乙女桔梗と東菊
痛い。怖い。やめて。
彼女が何度そう言っても、少年達は聞き入れてくれなかった。
彼女に石を投げ、彼女を捕まえて、足を掴んで持ち上げる。
その直後、其処ら中に響くような声が聞こえてきた。
「やめるんだ!可哀想だろう!」
その声に心底驚き、少年達は硬直する。
声の主は燃えるような髪色をした青年だった。
足早に少年達に近付き、彼らの手から彼女を──子猫を取り上げる。
「弱いものいじめはよくないな!」
鼓膜を破るかのような勢いで話す彼に、少年達はびくっと肩を跳ねさせ、謝りながら逃げ去った。
「大丈夫か?」
そう問われて、子猫は礼の意味を込めて鳴き声を返す。
額を青年の顎に擦り付ければ、青年はくすぐったそうに微笑む。
「折れてはいないようだな。うちで飼ってやれればいいのだが……」
申し訳なさそうに言って、青年は子猫を地面に下ろす。
足は痛んだが、折れても捻ってもいないので、すぐに治るだろう。
そう思った子猫はまた礼を言うかのように鳴いて、去っていく青年の後ろ姿をずっと見つめていた。
青年の姿が見えなくなった頃、子猫は踵を返してある場所に向かう。
そこはとある神社だった。
猫は一鳴きして、本殿の戸を肉球で叩くように撫でる。
そして、願った。
『あの人に直接お礼を言いたいです』と。
*****
昨日助けた子猫が気になって、煉獄はその場所へ向かった。
猫というのは気まぐれな生き物だと聞いたことがあるので、無駄かもしれない、とは思った。
それでも、もし昨日の猫が居たら、無事を確認できたら、安心できると思ったのだ。
煉獄は、辺りを見回す。案の定というか、猫の姿はなかった。
あの猫は、無事に逃げられただろうか。また、少年達に掴まってないだろうか。
煉獄は少し考え込んで、居ないものを心配しても仕方ない、と踵を返し、一瞬硬直する。
背後に、いつの間にか娘が居たからだ。
その娘は、じっと煉獄を見つめていた。
「何か用だろうか!」
いつも通りの快活な声で尋ねると、娘はにこっと笑った。
「もしかして、子猫を探してますか?」
その質問に、煉獄は一瞬目を見開いてから頷いた。
*****
その娘が言うことには、彼女は昨日、煉獄が子猫を助けるところを見たらしい。
そして、子猫は無事にどこかに去っていったとのこと。
「貴方はとても優しいんですね」
「いや!当然のことをしたまでだ!」
どこを見ているかわからない目で答える煉獄に、娘はくすっと笑う。
その仕草に、煉獄は一瞬呆けたが、気を取り直して方向転換する。
「それでは、俺は仕事に行くので!」
「はい。では、また明日」
娘が当たり前のように『また明日』と言うので、煉獄はつい笑ってしまう。
「ああ。また明日、話でもしよう!」
なんとなく約束を取り付けて、その場を去った。
*****
翌日も、煉獄は同じ場所に来た。
そこには、昨日の娘が既に居て、彼の姿を視界にとらえたかと思うと、パッと花が咲いたように笑った。
「こんにちは!来てくださったんですね!」
「ああ、こんにちは!」
明るい彼女の挨拶に、煉獄も明るく返す。
そして、手に持っている紙袋を差し出す。
「手ぶらでは何だと思ったので持ってきたんだが、どうだろうか!」
そう言って、紙袋を開け、中身を娘に見せる。
紙袋の中には、まだ少し温かい焼き芋が入っていた。
家で焼いたので、手土産代わりに持ってきたのだ。
「わあ!ありがとうございます!頂きます!」
娘が嬉しそうに笑うので、煉獄もつられて微笑む。
焼き芋を一つ取り出し、半分に割り、それを娘に渡す。
娘はそれを受け取って、小さな口でかじりつく。
しかし、次の瞬間、びくっと肩を跳ねさせる。
どうやら、彼女にとって焼き芋はまだ熱かったらしい。
涙目になる娘に、煉獄はふっと笑って声を掛ける。
「大分冷めたと思っていたのだが……君は猫舌なんだな」
娘は恥ずかしそうに頬を染め、息を吹き掛けて焼き芋を冷ます。
その日は一緒に芋を食べて、少し話をして別れた。
*****
娘と出会ってもう三日目になる。
煉獄は、手土産を持って例の場所に出向く。
昨日同様、娘は居たが、今日は昨日のような笑顔で出迎えてくれなかった。
少し眉を下げ、悲しそうに笑う。
「何かあったのか?」
見るからに様子がおかしいので、煉獄は思わず尋ねる。
娘は悲しそうな笑顔のまま答える。
「今日でお別れなので」
何故そんなことを言うのか、煉獄には理解できなかった。
理由を聞いても、「もう話せなくなる」としか帰ってこない。
手土産に持ってきた梨を渡す機会を失って、煉獄はそれが入った袋をぎゅっと握り締める。
娘はにっこり笑って、煉獄の手に自身の手を添える。
「ありがとうございます」
「君に礼を言われるようなことは何もしていない」
強いて言えば、昨日焼き芋をあげたぐらいだ。
今日持ってきた梨もそうだが、礼を言われたくて持ってきたわけではない。
しかし、娘は首を横に振る。
「いいえ。貴方は、私を助けてくれました」
煉獄は困惑する。
この娘とは、一昨日が初対面だったはずだ。
今までの任務で助けた少女や娘の中にも、彼女は居なかったはずだ。
彼女を助けた覚えなどない。
「誰かと勘違いしているのではないか?父や弟とよく似ていると言われる!」
弟は背格好が違いすぎるから、きっと父と勘違いしているのだろう。
そう考えて、煉獄は一人納得がいったように笑う。
「いえ。私を助けてくれたのは貴方です。わからなくていいんです。ありがとうございます」
そう言って、娘はふわりと微笑む。
「この三日間、貴方とお話できてよかったです。お礼も言えましたし……」
ふと、娘が煉獄に歩み寄り、彼の頬に額を擦り付けた。
予想外の行動に、煉獄は避けるでもなくそれを受け入れる。
娘はすぐに離れ、また笑う。
「お元気で」
煉獄は少し呆けた後、困ったように笑った。
「ああ。君も息災で」
彼女が嘘を吐いているようには見えないし、話せなくなるというのも、きっとどうしようもないことなのだろう。
せめて、と煉獄は持ってきた梨を娘に渡す。
「ご近所さんからのお裾分けだが、よかったら食べてくれ」
「ありがとうございます。私、貴方に貰ってばかりでしたね。すみません」
娘は梨を受け取り、ふふっと笑う。
謝りながらも、その声色は少し明るくて、嬉しそうだった。
「それでは、さようなら」
そう言って去っていく娘の背中を、煉獄はしばらく見つめ続けた。
*****
「来てしまった……」
例の場所で、煉獄は小さく溜め息を吐く。
娘はもう待っていなかった。
彼女が言った通り、本当にもう会えないのだろう。
帰ろう、と踵を返したところで、物音が聞こえて、煉獄はそちらを振り返る。
物音は、茂みの中から聞こえていた。
もしかして、彼女が居るのだろうか。
そう思うと、確認せずにはいられなかった。
茂みに近付き、掻き分け、中をのぞきこむ。
物音の正体は、あの娘ではなかった。
しかし、数日前に助けた子猫だった。
無事だったのか、と思うと、自然と笑みが溢れた。
煉獄は、猫が何かを食べていることに気付く。
「それは……」
梨だった。昨日、煉獄が娘にあげたのと同じ。
「あの子は、梨が嫌いだったのだろうか」
思わずそう呟くと、子猫が大きく鳴いた。
まるで、煉獄の考えを否定するかのように。
煉獄は目を見開き、ふっと笑った。
梨を受け取った時、娘は嬉しそうだった。
煉獄の厚意を無下にするような子にも見えなかった。
恐らくだが、昨日別れた後にこの子猫見つけて、梨を与えたのだろう。
「食べにくくないか?」
煉獄は、小さな口で梨を皮ごと食べている子猫に話し掛ける。
少し悩んでから、梨を取って、素手で二つに割った。
これで、少しは食べやすくなったのではないだろうか。
梨を元の場所に戻すと、子猫は早速食事を再開した。
しゃくしゃくと音を立てながら、器用に皮以外を食べている。
「腐ったら口にしてはいけないぞ……と、言ってもわからんか」
煉獄は考え込むように口元に手を当てる。
いくら涼しい時季とはいえ、梨は数日もしないうちに腐るだろう。
この小さな猫が、梨が腐る前に全て食べきれるとは思えなかった。
「よし。心苦しいが、腐ったら俺が回収しよう!」
昼間に様子を見に来る時間くらいある。
煉獄が考えを口に出すと、子猫は礼を言うように鳴き、彼の膝に乗ってきた。
精一杯体を伸ばして、彼の頬に額を擦り付けてくる。
その仕草に、昨日の娘のことを思い出し、煉獄は微笑んだ。
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