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紫芍薬は続かない


杏寿郎と深月は同じ任務についていた。
同じ任務というのは結構あることで、それ自体は問題なかった。

しかし、問題は任務中に起きた。

その夜に現れた鬼は、鞭のようにしなる長い腕を持ち、それによって鬼殺隊士を近付けないようにしていた。

そこで、深月は自分が囮になると提案したが、杏寿郎はそれを却下した。

「どうしてですか!」
「俺の方が速いだろう!鬼の頚は君が斬れ!!」

深月が怒鳴るように尋ねれば、杏寿郎も怒鳴るように答える。

それなら、杏寿郎の方が確実に鬼の頚を斬れるだろうと考え、深月は杏寿郎の命令を無視して跳躍した。

「なっ……深月!!」

杏寿郎の咎めるような怒声を背中に浴びながら、深月は鬼との距離を一気に縮めようとする。

案の定、鬼は標的を深月に定め、長い腕を振るってくる。
それを弾いて、さらに距離を縮めようとすれば、鬼は深月へまた腕を振るってくる。

次は、それを引き付けるように後ろに飛ぶ。
あまり離れすぎると囮の意味がないので、鬼の爪が掠めるぎりぎりの距離を保つ。

その様子を見ながら、杏寿郎は悔しそうに歯を食い縛った。そして、鬼に向かって駆け出す。

鬼の横から距離を詰め、その頚を狙う。

杏寿郎の刀が鬼の頚に届く直前、鬼の爪が深月の太腿を抉った。

(距離感間違えた……!)

深月は苦痛に顔を歪める。
地面に着地するが、抉られた方の足に力が入らず、片膝を折る。

彼女の頬を鬼の爪が掠めたとき、鬼の身体が灰となって崩れた。
頬の怪我は血が出ないくらい浅く、深月は安心したように息を吐く。

杏寿郎が鬼の頚を斬ったのだ。

囮としての役目はまあまあ果たせただろう、と深月は震える足で立ち上がる。
ふと顔を上げれば、目の前に杏寿郎の顔があって、びくっと肩を跳ねさせる。

杏寿郎は、無言で深月を見下ろしていた。
いつもの笑顔ではなく、明らかに不機嫌そうな顔をしている。

深月は誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。

「怒ってます?」
「怒っていないように見えるか?」

質問を冷ややかな質問で返され、深月は視線を横にずらす。

「見えませんね」
「そうか」

杏寿郎は呆れたように溜め息を吐いて、深月の前に膝をついた。
それから深月の太腿に顔を近付け、抉れた傷口に口をつけたかと思うと、強く吸った。

「いっ……!!」

突然の激痛のせいで、深月は涙目になる。
それに構わず、杏寿郎は吸った血を吐き捨て、また抉れた傷口を吸う。

「痛い痛い!!」

深月は杏寿郎の頭を押し返そうと両手で抵抗するが、杏寿郎は深月の脚を抱えるように持ち、びくともしない。

吸った血を吐いた杏寿郎が、三度みたび傷口を吸う。

そこで、とうとう脚に力が入らなくなり、深月はその場に尻餅をつく。
それでも、杏寿郎は彼女の脚を追って唇を離さない。

三回も吸われた傷口は、痛いどころか熱くて、深月は唇を噛み締める。

怒っているから、意地悪をするのだろうか。
意地悪するにしたって、もっと他の方法にしてほしい。
太腿が痛くて、熱くて、こんなことをする杏寿郎が恨めしい。

そんなことを考えていたが、段々と痛みで頭が朦朧としてきて、深月は拳を握り締めた。

「痛いって言ってるでしょう!杏寿郎さんの馬鹿!」

思いっきり怒鳴って、握った拳を杏寿郎の頭に振り下ろす。

「ん゛っ!」

杏寿郎からくぐもった声が聞こえて、深月は首を傾げる。

確かに力の限り拳を振り下ろしたが、それで悲鳴を上げるような人ではないだろう。

不思議に思っていたら、杏寿郎がゆっくりと顔を上げた。

彼の顔、主に口元は深月の血で真っ赤に染まっていた。

杏寿郎は、袖で自身の口元を拭う。
荒く拭われた赤が、所々彼の顔に残った。

自分の血で汚れた杏寿郎の顔が妙に色っぽくて、深月は息を呑む。
しかし、今は杏寿郎に対して怒っているので、精一杯彼を睨み付ける。

「結構な扱いだな……」

杏寿郎は眉をひそめて、不機嫌そうに言った。
彼の口の端から、赤い液体が一筋垂れる。

それは深月の血ではない。
深月が急に頭を殴ったせいで、舌を噛んだのだ。
勢いもよかったのでそこそこ深く切れている。

やってしまった、とは思ったが、杏寿郎だって痛くしたじゃないか、とも思って、深月は謝らずに顔を背ける。

杏寿郎は溜め息を吐いて、深月の脚の止血を始める。

「鬼の爪に毒があるかもしれないから、一応毒抜きをしてやろうと思ったのだが……お気に召さなかったようだな」

杏寿郎の言葉に、深月は目を見開く。
意地悪ではなく親切心のつもりだったとは。

「あるかどうかわからない毒を抜こうとしたんですか!?嘘でしょ!?」
「毒があるとわかってからでは遅いだろう!」

声を大きくして返しながら、杏寿郎は深月の太腿をきつく縛り上げる。

「ほら、蝶屋敷に行くぞ」

小さい子に無理矢理言い聞かせるような声色でそう言って、深月を抱え上げる。

深月は、全力で抵抗を始めた。
杏寿郎の顔を両手で押して、降りようともがく。
そのせいで、杏寿郎の首はあまり曲がってはいけない方向に曲がる。

「信じらんないっ!ものすごく痛かったんですよ!ありもしない毒を抜かれたせいで!しかも、何の説明も無しに!」
「深月。大人しくしなさい」
「離してください!自分で歩けます!」
「その怪我では歩かせられんだろう。出血も多い」
「それは、杏寿郎さんが無駄に血を吸ったせいでしょう!?」

そこで、深月の耳にブチッという音が降ってきた。

「そもそも、君が命令を無視したんだろう!!」

力の限り深月を怒鳴り付ける杏寿郎。
今までの怒声が可愛く思えるくらいの迫力だった。

深月はびくっと肩を震わせて、思わず手を引っ込める。
そして、ぽろぽろと泣き出した。

「杏寿郎さん、私のこと信用してない……」

深月を泣かせてしまったことに罪悪感を覚えたが、杏寿郎は平静を装って彼女に尋ねる。

「何の話だ?君はたまにわけがわからないことを言う」

呆れたように溜め息を吐けば、深月が平手を繰り出してきた。
彼女を抱えているので避けられなかった。仕方なくそれを受け入れるが、正直言ってどうということはなかった。多少痛む程度だ。

「私に囮なんかできないって思ったんでしょう!」

そういうつもりで命令したんじゃない。
杏寿郎はまた溜め息を吐く。

「違う。俺は深月に鬼の頚を任せようと……」
「それに!」

杏寿郎の言葉を遮って、深月は続ける。

「毒だってあるかもわからなかったのに!杏寿郎さんは過保護すぎます!私を剣士として認めてないんでしょ!」
「どうしてそんな話になるんだ……」

杏寿郎は困ったように眉を下げる。
深月の思考回路は理解できないが、理解できるまで対話していたら、彼女が失血死してしまう。

泣き喚く深月をなんとか押さえつけながら、杏寿郎は蝶屋敷に向かった。


*****


蝶屋敷で治療を受けた深月は、そこそこ重傷と判断され、二、三日の休養を命じられた。

だったら帰りたくない、とごね始める深月。

しのぶは困ったように笑い、杏寿郎を見上げる。
杏寿郎は小さく溜め息を吐いて、深月を抱えようとする。

「やだ!触らないで!杏寿郎さんなんか嫌い!」

深月は子どものように駄々をこねて、しのぶにしがみついた。

杏寿郎は硬直する。
『嫌い』だなんて言われるのは、出会った頃以来ではないか。
当時も少々傷付いたが、今改めて言われるとかなり衝撃が大きかった。

しかし、気を取り直して深月をしのぶから引っ剥がして抱える。

「胡蝶、世話になった!」
「いえ……あの、深月さんをお預かりしましょうか?」

大方、喧嘩でもしたのだろうが、今回の深月は今までで一番強情に思えた。
このまま連れ帰っては、何か問題が起きるのではないだろうか。

そう思って、しのぶはやんわり提案したのだが、杏寿郎は「それには及ばん!」と明るく答える。

「深月は俺が面倒を見ると決めているからな!」
「はあ。そうですか……煉獄さんがそう仰るなら……」

しのぶは眉を下げて笑う。

明るく話す杏寿郎は、深月が目一杯伸ばした手で首を変な方向に曲げられていた。

猫みたいだな、と思いながら、しのぶは二人を見送った。


*****


帰宅してから、深月は部屋に閉じこもった。
完全にいじけている。

杏寿郎は深月の部屋に入り、丸まった布団を見て困ったように笑う。

「深月。出てきてくれ」

布団を軽く叩くが、反応はない。

それならば、と杏寿郎は躊躇いなく布団に腕を突っ込んだ。

「きゃあ!」

驚いた深月が布団をはねのけながら飛び起きる。
それを見て、杏寿郎はふっと微笑む。

「胡蝶にもらった痛み止めは効いているようだな」

深月はじとりと杏寿郎を見つめてから、また閉じこもろうと布団を掴む。
杏寿郎はそれを阻止して、彼女を腕の中に収めてしまう。

深月は抜け出そうと身動ぎするが、完全に腕に収められては難しく、観念して脱力する。

機嫌を損ねていても身を預けてくる深月が可愛くて、杏寿郎は彼女を抱き締める腕に力を込めた。

「深月、すまん。君を信用していないわけじゃないんだ。適材適所のつもりだった。それと、ただ君が一等大切で……」

深月の太腿が抉れた時、動揺してしまった。
鬼の爪に毒があったらと思うと怖くなって、一秒でも早く毒を抜かねばと思った。結局、毒はなかったのだが。

そう説明して、深月の頭を撫でる。

深月は、きゅっと唇を噛み締める。

任務後は、杏寿郎の行為があまりにも痛くて、つい怒ってしまったが、蝶屋敷あたりからはもう意地だけで怒っていた。
『適材適所』というのも納得がいった。
杏寿郎は、深月のことを想って、役割を決めるような人ではない。任務中に私情を挟んだりしない。

でも、やっぱりすぐに折れて見せるのは罰が悪い気がして、深月はだんまりを決め込む。

そんな彼女の心中を察して、杏寿郎はそっと囁く。

「深月。俺は君のことが好きだから、『嫌い』と言われて悲しかった」

その言葉に、深月がぴくりと反応する。

杏寿郎の腕の中で反応したものだから、それは杏寿郎にしっかり伝わる。

杏寿郎は腕に力を込めて、ぎゅうっと音がしそうなほど深月を抱き締める。

「もう触るのはいいのだな。『嫌い』というのも取り消してくれないか?」

乞うように言えば、深月がゆるゆると顔を上げる。
今にも泣き出しそうな顔で、杏寿郎の服を掴む。

「ご、ごめんなさい……」
「うん」

やっとまともに深月の顔を見れた気がして、杏寿郎は優しく微笑んだ。

「意地張ってました。もう怒ってません。嫌いだなんて嘘です……!」
「ああ」

子どものようにすがり付いてくる深月が愛しい。
そう思いながら、杏寿郎は彼女の頬に手を添える。

「じゃあ、これで喧嘩はお終いでいいか?」
「はい……杏寿郎さん、好きです。本当は、大好きですからっ」

深月は杏寿郎の首筋に顔を埋め、必死な声でそう言った。

首筋にかかる深月の吐息が、彼女が生きていることを証明しているようだった。
安心した杏寿郎は、嬉しそうに笑う。

「俺も深月が大好きだ」





いつも読んでくださっていたようで、ありがとうございます!

地域によるかもですが、まだ気温の変化が大きいですね(・ω・;)
皆様も、お身体に気を付けてお過ごしくださいませ!

リクエスト内容についてですが、喧嘩させよう喧嘩させようと思った結果、煉獄さんがキレちゃいました(*´∇`*)

書いてて楽しかったです!
リクエストありがとうございました(*_ _)











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