悋気の突風
目の前の光景が信じられなくて、実弥は目を丸くした。
自宅の前に、彼の恋人である深月が居る。
そこまではいい。いつものことだ。大方、手土産でも持って遊びに来たのだろう。
しかし、彼女の側に煉獄も居る。
何故、彼も居るのか。何か用事があるのなら、家を訪ねる前に鎹烏を飛ばすはずだ。
そして何故、彼は目を細めて深月と話しているのか。
何故、彼女の腕を掴んでいるのか。
何故、彼女を引き摺り始めたのか。
「待て待てェ!何してんだァ!」
実弥は正気に戻り、二人を追い掛ける。
彼に気付いた煉獄は足を止め、深月は実弥を振り返る。
「あ、実弥さん!」
嬉しそうに顔を綻ばせる深月が相変わらず可愛いが、それは一旦置いておき、実弥は煉獄の腕を掴む。
「こいつをどこに連れて行くつもりだ?」
努めて冷静に尋ねるが、眉をひそめるのは我慢できなかった。
不機嫌そうな顔の実弥を見て、煉獄はいつも通りの笑顔を浮かべる。
「不死川が不在だと言うのでな!暇なら食事でもどうかと思ったんだ!」
悪びれもせず言いのける煉獄に、実弥は小さく溜め息を吐いた。
「じゃあ、俺が帰ってきたから、こいつは暇じゃなくなったなァ。食事は無しだ」
残念だったなァ、と言いながら、実弥は煉獄の腕を引っ剥がし、深月を後ろに下がらせる。
煉獄はふっと笑って、「うむ。今日は無しだな!」と去っていった。
『今日は』というのが気になるが、深く追求するのは面倒くさそうだし、煉獄はあっという間に見えなくなった。
実弥がまた溜め息を吐いていると、くいっと上着の裾を引かれた。
それに気付いて振り返れば、深月が不安そうにこちらを見上げていた。
「実弥さん、怒ってますか?」
そんな風に聞かれたら、怒れるものも怒れない。
実弥は困ったように笑って、深月の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「怒ってねぇよ」
そう返すと、深月は安心したように笑った。
*****
二人で家に入ると、深月が早速お茶にしようと言い出した。
なんでも、人気店のおはぎを、わざわざ数十分並んで買ってきたらしい。
「すごい行列で、実弥さんの分を買ってくるので精一杯でした!」
深月はにこにこと笑いながら、実弥におはぎとお茶を差し出す。
それを受け取りながら、自分の分も買ってくればよかったのに、と実弥は首を傾げる。
深月も甘いものが好きだ。おはぎもぜんざいもよく好んで食べているから、あんこが嫌いなわけがない。
それを察したのか、深月はふふっと笑って、一個しか買ってこなかった理由を説明する。
「私の番で『あと二個ですよ』って言われちゃいまして……」
それなら丁度いい、と深月も思った。
しかし、二個購入しようとしたところ、後ろに並んでいた親子、特に子供の方が、不満そうな声を上げた。
それを聞いたら、さすがに二個買うわけにはいかなくなって、実弥の分だけ買うことにしたのだ。
「私の分は、またいつか買えればいいですし。いつものおはぎも美味しいですからね」
そう締めて、のほほんとお茶を啜る深月。
実弥は彼女のそういう優しさも好きだが、それでは損をするんじゃないか、と心配になった。
一口かじったおはぎは、人気店のものだけあって、かなり美味しかった。
こんな小さな幸せすら簡単に手離してしまう彼女を、改めて守ってあげたいと思った。
とりあえず、食べかけのおはぎを彼女の口元に差し出す。
「ほら、食え。美味ぇぞ」
深月は少し躊躇ったが、結局我慢できずにそれを一口頬張った。何度か噛んで、目を輝かせる。
「美味しい!すごく美味しいです!」
「ああ。よかったなァ」
子どものようにはしゃぐ深月を見て、実弥は愛おしそうに目を細めた。
*****
数日後。
実弥はまたもや目の前の光景が信じられなかった。
自分が気付いていないだけで、時を遡っているのか、と思うくらい、数日前と同じ光景だった。
自宅の前に、深月と煉獄。
煉獄は、また彼女を食事に誘っていた。
「今日も食事は無理です。実弥さんと先約がありますし……」
深月は少し怯えた様子で、煉獄からの誘いを断る。
しかし、煉獄はそれで引き下がるような男ではない。
「では、いつならいいだろうか!茶屋でもいいぞ!何だったら、うちに食べに来るか?弟は料理が上手いんだ!」
どこを見ているかわからないが、おそらく自分を見ている目がちょっと怖くて、深月は視線を逸らす。
すると、煉獄は彼女の視線に合わせて顔をのぞきこんできた。
急に近付いてきた顔に、深月は吃驚して硬直する。
「どうした!遠慮しなくていいぞ!」
決して、遠慮をしているわけではないのだが。
困り果てて、深月はきょろきょろと辺りを見回す。
誰か通りかからないか、誰か助けてくれないか、と思ったのだ。
そして、実弥を見つけると、ぱあっと顔を明るくさせた。
「実弥さん!お待ちしてました!」
実弥が来たなら、煉獄も諦めてくれるだろう。
深月は嬉しそうに、実弥に手を振る。
しかし、喜んだのも束の間だった。
実弥に向かって振っていた手を煉獄に掴まれ、引き寄せられる。
幸い、体がくっついたり、体勢を崩したりすることはなかったが、手の甲に柔らかい感触があって、深月はびくっと肩を跳ねさせる。
恐る恐る自分の手を確認すれば、煉獄がそこに口付けていた。
彼はすぐに顔を離し、ふわりと微笑む。
「西洋の挨拶だそうだ。また誘う」
深月は混乱して、恥ずかしくなって、頬を染める。
挨拶か何か知らないが、そんなこと、実弥にだってしてもらったことがないのに。
しかも、実弥が見ている前でなんて。
なんとなく、実弥の方から『ぷつん』と聞こえた気がして、深月は震えながら彼の方を振り向く。
そして、一気に顔を青ざめさせた。
実弥は怒ると怖いのだが、今まで見たなかで一番怖い形相をしていた。
「深月に何しやがる、コラァ!!」
実弥はそう怒鳴りながら、瞬時に距離を詰め、煉獄から深月を奪い返す。
彼女の手を取り、隊服の裾でごしごしとその甲を拭う。
「いいか、煉獄!こいつは俺の女だ!次、手ぇ出したら、テメェでも許さねェ!」
実弥にとって煉獄は『いい奴』だったが、今この瞬間、深月に関してだけは敵だと認定した。
煉獄は「むう」と考え込むように口元に手を当て、やはりいつものように笑った。
「それは悪いことをした!だったら、彼女の気が変わるのを待とう!」
「なっ……普通はここで諦めるだろ!」
実弥の怒声を背中に浴びながら、煉獄はさっさとどこかへ行ってしまった。
実弥は舌打ちをして、深月の腕を引っ張って、家の中に入る。
洗い場まで連れていき、石鹸まで使って彼女の手を洗う。
「え!?あの、自分で洗いますから!」
「黙ってろ」
冷たくはないが、優しくもない声でそう言われ、深月は口をつぐむ。
だが、実弥の手付きは優しかった。
特に手の甲を重点的に洗われているので、彼も嫉妬するのか、と思うと少し嬉しくて、深月の口角は自然と上がる。
そして、そのうち手がくすぐったくなってきた。
好きな人の手で、壊れ物でも扱うかのように優しく洗われているので、無理もない。
手の甲も、掌も、指先も、実弥の手や指が触れたところから甘く痺れるような感覚がして、顔に熱が集中する。
「んっ……くすぐったい、です……」
変な声が出そうになるのをなんとか我慢して、深月は一旦止めてほしい、と乞い願う。
実弥はそれを聞いて、一瞬ビタッと硬直した後、彼女の手の泡を流し始めた。
お願いを聞き入れてくれたのだ、と深月は胸を撫で下ろす。
仕上げに、手拭いでしっかり水気を拭いてから、実弥は深月の手を持ったまま見下ろす。
どうして離してくれないんだろう、と深月が首を傾げていると、実弥は彼女の手の甲に口付けた。
それは一回で終わらず、ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、何度も繰り返される。
洗われている時の比ではない、甘い痺れを感じて、深月は耳まで真っ赤にする。
「えっ?えっ?あの、実弥さん、ちょっと……ひゃあ!」
深月は抗議しよう、と口を開くが、途中で大きな悲鳴を上げた。
実弥が、手の甲をべろりと舐めてきたからだ。
彼の舌はそのまま指を伝い、指先に到達する。
そこにも口付けてから、実弥は深月の指を口に含む。
彼の口内が熱くて、指がおかしいくらい痺れて、その痺れが脳まで届きそうで、深月は涙目になる。
「ごめんなさい!許してください!」
何に対しての謝罪かはわからないが、思わず許しを乞うてしまう。
実弥は指先を軽く吸ってから、口を離す。
「別に怒ってねぇよ」
本当に、怒ってはいない。
ただ、大事な恋人が他の男に触れられたのだ。それを無かったことにできるくらい、上書きしてやろうと思った。
ただの嫉妬心だ。
「深月。次から、俺を待つなら家の中にしろ。また他の男に捕まっちゃ敵わねェ」
「は、はい!わかりました!」
深月は何度も頷いた。
さらりと勝手に家に入る許可を貰えたことには気付いていない。
その反応がなんだか可愛くて、実弥はふっと笑う。
深月の頬に手を伸ばして、顔を近付ける。
「えっ!えっと……」
深月は困惑しながらも、ぎゅっと目を閉じた。
実弥と恋仲になってから、何度かそういう行為はしたが、何度経験しても心臓がどきどきして、なかなか慣れない。
何も食べられるわけじゃないのに、固く目を閉ざす深月が可笑しくて、実弥は思わず吹き出す。
笑われたことに気付き、深月はうっすら目を開ける。
きょとんと実弥を見つめると、彼は優しく微笑んで、頭を撫でてきた。
それが心地好くて深月が目を伏せると、噛み付くように唇を奪われた。
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