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恋の鞘当て



※時間軸は、長編 第二章より後の設定です。



高価そうな着物が汚れるのも気にせず、転んだ子どもを抱き起こして、泣き叫ぶその子をあやす女性。

いや、まだ娘といった年頃だろうか。

美しい顔で優しい笑みを浮かべ、子どもを落ち着かせ、きょろきょろとその子の親を探す。
親を見つけた後は、少しも恩に着せる様子を見せず、去っていった。

そんな彼女を見ていた男性は、生まれて初めて心臓を射抜かれたような感覚がした。


*****


「つまり、その娘がこの子で、貴方はこの子を探していた、と」
「はい!」

杏寿郎が努めて冷静に確認すると、男性は嬉しそうに頷いた。
深月は杏寿郎の後ろで、おろおろとしている。

ついさっきのことだが、休日を謳歌していた杏寿郎と深月に、この男性は突進してきた。

杏寿郎は警戒し、深月を庇うように後ろに下げ、深月は困惑してされるがままになった。

二人きりの外出を邪魔され、杏寿郎の機嫌は若干悪くなった。
しかし、男性の勢いがただ事ではなかったので、もしかして深月が何か無礼でも働いたのだろうか、と思ってしまい、事情を尋ねたところ、「好きです!」と簡潔な告白が返ってきた。

余計に訳がわからなくなり、場所を移動してさらに詳しく話を聞いたところ、冒頭のような説明を受けた。

そして、現在に至る。

深月は困惑する。
好意はありがたいが、本日は杏寿郎と外出できる貴重な日なのだ。
能か歌舞伎でも観に行こうと誘われて、せっかくめかし込んできたのに、と溜め息を吐く。

こうなれば、さっさと断って諦めてもらうのがいいだろう。杏寿郎も側に居るので、断りやすい状況だ。

深月は杏寿郎の後ろからひょこっと顔を出し、口を開く。

「あの、私は……」
「君は黙っていなさい」

杏寿郎が静かに言い放ち、再び深月を下がらせ、背中に隠す。

(いや、なんで?私には杏寿郎さんが居ますって言えばいいだけじゃない?)

深月は首を傾げる。

杏寿郎は深月を振り返ることなく、男性に警戒心を向けていた。
着飾った深月を他の男の視界に入れたくないのだ。
ましてや、深月に懸想している男となれば尚更だ。

「すまないが、彼女は俺と出掛けるところでな。諦めていただけるだろうか」

深月の代わりに、杏寿郎がやんわりと男性の告白を断る。
言葉こそやんわりしていたが、その声には有無を言わせぬ迫力があった。

しかし、男性もなかなかだった。

「でしたら、日を改めましょう。お嬢さんの気が変わるかもしれませんし」

杏寿郎の圧力に全く屈することなく、朗らかな笑顔を浮かべてみせる。

男性にとっては、深月の隣に杏寿郎が居る理由も、深月ではなく杏寿郎が話している理由も、どうでもよかった。
ただ、深月と再び会えたことだけが嬉しくて、彼の顔は自然と綻ぶ。

一般的な市民であれば、杏寿郎に圧力を向けられたらすぐに退散するものだが、恋は盲目とはよく言ったものだ。

「お嬢さん、お名前をお伺いできますか?あ、先に名乗らねば失礼ですね。私は……」
「結構だ!貴方の名前はこの子に必要ないし、この子の名前を貴方が知る必要もない!お引き取り願おう!」

男性の言葉を遮って、杏寿郎は強めに言う。
そこで、男性の頬が少しひきつった。

「失礼ですが、貴方は何なんですか?このお嬢さんの従僕か何かで?」

杏寿郎の物言いは、明らかに使用人のそれではない。
そうわかっていて、男性はわざと『従僕』と言ったのだ。

杏寿郎の額に青筋が浮かぶ。

「俺とこの子は恋仲だ。貴方が立ち入る隙間はない」
「それはわかりませんよ。お嬢さんの気が変わるかもしれませんし」

先程言った台詞を繰り返す男性。
おそらく、これもわざと言っている。

「止めてください!恥ずかしい!」

耐えきれなくなった深月は、杏寿郎の腕を引いて怒鳴るように言った。
それから、男性に軽く会釈をする。

「すみません、失礼します」

そう言って、さっさとその場を後にする。

人通りが少ないとはいえ、自分に関することを道端で言い争われるのは恥ずかしかったし、何よりこれ以上杏寿郎との時間を邪魔されたくなかった。

男性は意外にも追って来ようとせず、にこにこと深月に向かって手を振っていた。


*****


任務までの道中、先日の出来事を思い出して、深月は溜め息を吐いた。

『深月を好きだ』という男性と遭遇した日、杏寿郎の機嫌は割とすぐに直った。
いつも通りの笑顔を浮かべ、深月に優しく接してくれた。しかし、たまに男性のことを思い出していたようで、険しい顔をしている時もあった。

杏寿郎も深月も休みは少ない。人々を救うための仕事なのだから、当然と言えば当然だが、それでも恋仲である以上、それらしいことをしたくなるものだ。
あの日は、本当に久しぶりに休日が被って、貴重な二人きりの外出の日だった。

少しだって、二人の時間を邪魔されたくなかったのに。

(でもあの人に悪気は無いのよね)

むしろ深月に対しては好意しかなかったわけだが。
それを迷惑に思うのも失礼だろうか、と深月はうんうん唸りながら悩む。

そのまま歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「お嬢さん!」

心底嬉しそうな声で、聞き覚えがあった。
無視するわけにもいかず、深月は振り返る。

そこには、先日の男性が居た。

「やはり、お嬢さんでしたか!服装が大分異なってましたので……」
「ああ、これは仕事着ですので」

深月は軽く会釈して答えながら、『この隊服姿を見て、あわよくば幻滅してくれないだろうか』と考える。

「いやあ、お嬢さんは何を着ても似合いますね!」

だめだった、と深月は出そうになった溜め息をぐっと堪える。
そして、やはりこのままではいけない、と男性の目を真っ直ぐ見つめる。

「あの、申し訳ありませんが、私にはお慕いしている方がいますので……」
「先日の方でしょう?そんなに彼が好きなんですか?」

男性も、深月が真剣に話していることに気付き、眉を下げて尋ねる。
深月はしっかり頷き、男性はやはりそうか、と自嘲気味に笑う。

「実は先日、失礼ながらお二人の後をつけたのですが……」

あの日、男性は深月に笑顔で手を振ったものの、どうしても諦めきれず、杏寿郎と深月の後を追った。

杏寿郎は不機嫌を引き摺ることもなく、深月に優しく接していたし、彼女を第一に考えているように見えた。

そして、二人がお互いを見る際の表情を見て、特に深月の幸せそうな笑顔を見て、これは割り込めない、と思ってしまった。

「お嬢さんが幸せなら、それが一番だと思いました」
「それは……ありがとうございます。私なんかにそこまで思いを寄せてくださって」

深月がふわりと微笑むと、男性も嬉しそうに笑った。
想いは叶わなかったが、深月が自分に笑顔を向けてくれただけで、充分だと思ったのだ。

そこで、深月の視界が暗くなった。
何事かと驚き、深月は暴れようとしたが、がっちり押さえ込まれて動けない。
体を締め付けるこの感触には覚えがあった。

「杏寿郎さん……」

どうにか顔を上げると、やはり杏寿郎の顔が見えた。

どうやら、横から一瞬にして抱き締めてきたらしい。
その際、杏寿郎が深月の体を引き寄せたので、彼女の顔は彼の胸板に埋まり、視界が暗くなったのだ。

「この子に何か用だろうか!?」

杏寿郎が強めに尋ねると、男性は両の掌を杏寿郎に向けて、降参するようにひらひらと降った。

「お話していただけですよ。振られてしまいました」
「む?」

杏寿郎は驚いて深月を見下ろす。
深月は男性の言葉を肯定するように何度も頷き、怒らないでください、と心の中で念じる。

それは伝わったようで、杏寿郎は「そうだったのか」と言いつつ、腕の力を緩める。

それでも杏寿郎の腕から抜け出さない深月と、彼らが着ている揃いの羽織を見て、男性は苦笑する。

羽織は大きさも同じで、深月が杏寿郎の物を着ているのだろう、と察することができた。
ますます、付け入る隙がない。

「お嬢さんが幸せそうなので、その邪魔をしたくはありませんから」

身を引きましょう、と男性は朗らかな笑顔を浮かべる。

「今は、ですけどね。お嬢さん。幸せでなくなったら、いつでも私のことを訪ねてくださいね」
「えっ」
「では、私はこれで」

困惑する深月に返事をする暇も与えず、男性は去っていった。

その背中が見えなくなってから、深月は恐る恐る杏寿郎を見上げる。

杏寿郎は少し不満そうな顔で、深月を見下ろしていた。

「嫌な予感がして、深月を探してみればこれか……君に惹かれる男が多すぎるな」

そんなことを言われても、と深月は困ったように笑う。
彼女は、好意を寄せてくる男性が多いとは思っていなかった。
今回の男性以外で、記憶に強く残っているのは先輩隊士くらいだろうか。

杏寿郎は少し眉をしかめ、深月を強く抱き締めてから、長く息を吐く。
彼女の髪に口を埋めて、もごもごと不満そうに呟く。

「君に惹かれる男は俺だけで充分だ」
「そ、そうですか」

抱き締められ、髪に触れられ、しかも子どものような態度で愛の告白と変わらない言葉を言われ、深月は赤面する。

しかし、杏寿郎が可愛くて、深月の口角は自然と上がる。
こんな杏寿郎が見れたので、先日男性から外出を邪魔されたことは許してあげることにした。





企画参加と一緒に感想もありがとうございました!
毎日通ってくださってるんですね!ありがとうございます(・∀・*)
楽しいと言っていただけて嬉しいです!

『奪い合う』というのは、長編で書いてなかったので、新鮮でした!
これが『奪い合う』なのかは微妙ですが(・ω・;)
リクエストありがとうございました!











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