表紙
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前編


『殺すのは待ってあげてください!』

炭治郎を庇うように立ち塞がり、必死に叫んだ女性隊士。
その後は、また炭治郎と彼の妹を庇い、不死川に腹を殴られていた。
血反吐を吐き、咳き込んで、それでも彼女は不死川を睨み付けた。

それがまるで弟を庇う姉のように見えて、冨岡は自身の姉のことを思い出した。

翌日に祝言を控えていながらも、自分を庇って死んでしまった姉のことを。

その日以来、冨岡はその女性隊士──炎柱の継子である雨宮深月のことを、度々思い浮かべるようになった。


*****


「あ、水柱様!こんにちは!」

明るい声で呼ばれた気がして、そちらの方を振り向けば、件の女性隊士が居た。
休みなのか、隊服ではなく上等な着物を着ている。

「お食事にでも行かれるんですか?私は、おつかいで……」

にこにこと愛想のいい笑みを浮かべて、世間話を始める深月に、冨岡は戸惑う。
彼女は、何故こんなにも好意的に話し掛けてくるのだろうか、と。

「この前、炭治郎君のお見舞いに行ったんですよ。自分の診察のついでだったんですけどね。元気そうでした」

炭治郎のことまで気遣う深月は、きっと誰にでもこういう調子なのだろう。
いや、師である杏寿郎には逆らってたし、不死川にもがっつり反抗していた。彼女の性格が読めない。

冨岡が困惑している間も、深月は楽しそうに一方的なお喋りを続ける。

「あ、今日の私の着物……水柱様の羽織と似てますね」

深月は着物の袖を指先で掴んで、片腕を軽く広げてみせた。
今日の彼女の着物は、葡萄色のような色だった。

冨岡が身に纏っている片身替の無地の方も、似たような色だ。

彼の羽織の半分は友人の形見、もう半分は姉の形見だ。
深月の着物の色は、姉の形見の方と似ている。

柱合会議での行動といい、今日の着物といい、深月を見ていると姉のことを思い出して、冨岡は心臓が押し潰されるような感覚がする。

「蔦子姉さん……」

気付けば、姉の名前を呼んでいた。

「えっと……お姉様、ですか?」

誰かの名前を呼んだ冨岡が、表情は変わっていないはずなのに泣きそうに見えて、深月はどうしようかと悩む。

鬼殺隊で剣士をやっているのだ。
姉を鬼に殺されていても不思議ではない。

「もしかして、私、水柱様のお姉様に似てるんですか?」

深月は心配そうに眉を下げながら、それでも微笑んで尋ねた。
すると、冨岡は小さく頷いて、姉のことを語り始めた。

大切な姉。翌日に祝言を控えていた姉。
それなのに、鬼に襲われたとき、自分を庇って死んでしまった。

炭治郎を庇う深月を見て、姉の姿が被った気がした。

そこまで話を聞いて、深月は納得が行ったような顔になる。

「柱合会議でもお話したんですけど、私は家族を……弟妹を鬼に殺されました」

殺された弟妹が生きていれば、炭治郎や禰豆子と近い年齢だったこと。
那田蜘蛛山でも、柱合会議でも、彼らが死んだ弟妹と被って見えたこと。

改めて説明して、だからこそ冨岡は自分を姉と重ねて見たのだろう、と思った。

「水柱様はお顔立ちが素敵ですから、お姉様も美人なんでしょうね」
「お前は、姉とは似ても似つかないが」

それはどういう意味だ。さっきと言ってることが違うじゃないか。
そんなことを言い掛けて、深月はぐっと言葉を飲み込んだ。柱に喧嘩を売るわけにはいかない。

だが、冨岡自身も、何故こんなことを口走ったのか理解していなかった。

確かに、深月を見て姉のことを思い出していた。
彼女の行動は、『姉』としての振る舞いだったのだ。
でも、彼女を『姉』としては見れなかった。

冨岡はふと、彼女と杏寿郎の距離感を思い出す。
深月は杏寿郎から顎を掴まれ、隊服をまさぐられ、抱き締めるように拘束されていた。
不死川に組み敷かれた後は、普通に抱き締められていたような。

継子にしては距離が近い気がするが、兄妹のように育ったのだろうか。

「雨宮は、煉獄と……」

煉獄とどういう関係なのか。
そんなことを聞こうとして、途中で止めて、冨岡は自分で驚く。

こんなことを聞いてどうする。
一体、自分はどうしてしまったのだろうか。

「あの、水柱様?杏寿郎さんがどうかされましたか?」

何かを言い掛けて黙り込んでしまった冨岡に困惑し、深月は尋ねる。
しかし、返事をもらえないまま、気付いたら冨岡に抱き締められていた。

深月は余計に困惑する。

「ええっ!?」
「……頭が、危ない」

冨岡がぼそりと呟くように言った。

頭が危ないとは、自分のことだろうか。そんなにおかしい奴に見えていたのだろうか。

深月は若干衝撃を受けつつ、視界の端にあるものを捉えた。

大きな角材が、おそらく先程まで深月の頭があった場所を通過していた。
それを肩で担いでいる男性は、少し周囲への配慮が足りていなかったようだ。

(ぶつかりそうだから庇ってくれたのね)

冨岡の言動に困惑していたとはいえ、この程度自分で避けられないとは鬼殺隊士失格だ。

深月は自嘲気味に溜め息を吐いてから、冨岡を見上げる。

「ありがとうございます。助かりました」

そう言って、冨岡の胸をやんわりと押すが、彼は離してくれなかった。
それどころか、背中に回された腕に力を込められる。

背骨が軋むくらいの抱擁はなかなか痛くて、深月は小さく呻き声を上げる。

それを聞いて、冨岡は少しだけ力を緩める。
それでも、深月を離さなかった。離したくなかった。

この感情を何と呼ぶのか、冨岡本人にもわからなかった。

冨岡の腕はすがってきているようで、きっとなんだかんだ言いながらも姉のことを思い出しているのだろう、と深月は察する。

彼は、『弟』という生き物なのだろう。
自分の弟妹や、千寿郎と同じ。
本当は姉や兄に頼りたいのだろう。もしくは、頼りたかった年頃に、それが叶わなかった。

そう思うと同情のようなものが込み上げてきて、冨岡の背中に腕を回す。

「大丈夫。大丈夫ですよ」

何に対しての『大丈夫』かはわからなかったが、そう言って、安心させるように彼の背中を優しく擦る。

昔、泣いていた弟妹にしていたように。
ここ数年、落ち込んでいるときの千寿郎にしているように。

しばらく擦っていると、柱で年上と聞いていた冨岡が急に幼く思えてきて、深月は苦笑した。

その瞬間。

「何をやっているんだ……?」

地の底から響くような声が聞こえてきた。

それは静かだが聞き覚えがあって、どう考えても怒っているような声で、深月は竦み上がる。

恐る恐る声のした方を降り向けば、すぐ側に杏寿郎が立っていた。
顔は笑っているが、目は笑っていない。
柱合会議での時のように、額に青筋を浮かべている。いや、以前より青筋が多いかもしれない。

ビキビキと笑顔をひきつらせながら、杏寿郎は深月の襟を掴んで、冨岡から引き剥がす。

「深月、何をやっているんだ?」
「あの、誤解です!これはですね……」
「何をやっているんだ?」

同じことしか言わない杏寿郎が怖くて、深月は顔を青くして涙を浮かべる。
しかし、こんな顔をしたところで杏寿郎が許してくれる気配はない。

杏寿郎のただならぬ怒気に、今にも泣き出しそうな深月。
二人の間の空気は最悪で、さすがの冨岡も深月に助け船を出そうと口を開く。

「煉獄、気分を害したならすまない。お前の継子に……」
「深月は俺の継子である前に婚約者だ!今後、気軽に触れないでくれ!」

今まで見たこともないような剣幕で叫ぶ杏寿郎に、冨岡は黙って頷くしかなかった。

深月が杏寿郎の婚約者であることは、冨岡と時透以外の柱であれば、事前に話しているか柱合会議の後に聞いているかで知っている。
だが、冨岡と時透の二人は、あの日、それを知る前に去ってしまったのだ。

冨岡は自分でもわけがわからないまま、気分が落ち込むのを感じる。
いつも明るく話し掛けてくれる杏寿郎に怒鳴られて悲しいのか、深月が杏寿郎の婚約者だったことが衝撃なのか。

「失礼する!」

杏寿郎は深月を肩に担いで、すたすたとその場を去る。

詰襟を着た派手な髪色の青年が、年若い娘を担いで往来を歩いている。

その異様な光景に、道行く人々は彼らを目で追う。
立ち止まってまで見る者、頬を赤くして見つめてくる者、見えないように子供の目を隠す者。

反応は様々だったが、杏寿郎に担がれ、視界が開けた深月には、どの人の顔もよく見えた。

「杏寿郎さん、降ろしてください!皆見てます!それに、槇寿郎様のおつかいがまだです!」

深月は真っ赤になって訴えるが、杏寿郎は無言で歩き続ける。

ここは煉獄家から程近い町だ。
これは、近所で噂になるのではないだろうか。
煉獄家の長男が女を奪い合い、最終的に力ずくで持ち帰った、なんて噂が立ったらどうしよう。

深月の心配を他所に、杏寿郎は人気のない道に入って、担いでいる深月の腰と脚をぎゅうっと抱き締めた。

そのまま跳躍し、文字通り一直線に自宅へ向かう。

「えっ、杏寿郎さん!?おつかいが!」

見慣れた景色が眼下に広がって、でもそれらを上から見るのは初めてで、深月は動揺する。
家に帰っているように思えるが、槇寿郎の酒をまだ買っていない。ついでに食材も買おうと思っていたのに。

何度「待って」「戻って」とお願いしても、杏寿郎は終始無言のままで、自分には怒鳴りもしないことがとても怖くて、深月は赤かった顔を再び青ざめさせる。

そうこうしているうちに、煉獄家の門の前に降り立ち、杏寿郎は漸く口を開いた。

「浮気者にはお仕置きが必要だな」
「浮気だなんて……誤解ですって……」
「言い訳無用だ」

杏寿郎は目を鋭くし、深月の尻を軽く叩く。
臀部に走った衝撃に、深月はびくっと腰を跳ねさせる。

「他の男の事など考えられない体にしてやるからな」

冷たく言い放たれた言葉に、深月はひゅっと息を詰まらせた。







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