禊萩を抱いていた
「しのぶさん、聞いてください!さっき、煉獄さんとお話できたんです!」
しのぶに包帯を巻かれながら、にこにこと話す深月は、とても怪我人とは思えない程元気がある。
「あら、よかったですね。次は背中を見せてください」
しのぶは彼女の話を軽く受け流し、彼女の隊服を脱がせて背中の傷を診察する。
呼吸での止血は成功しているが、傷が深いので縫合が必要だろう。
さっさと道具を用意し、彼女の傷を縫ってしまう。
縫合の間も、深月はお喋りを続けていて、痛みなど殆ど感じていない様子だった。
「私の怪我を心配してくださって……煉獄さんも
蝶屋敷にいらしてたから、きっとどこかお悪いんでしょうに……優しいですよね!」
しのぶは、深月の胴体に包帯を巻きながら、「はいはい。よかったですね」と適当に相槌を打つ。
その後も深月の話は続いたが、それらは全て煉獄に関する話で、中には耳にたこができるくらい聞いた話もあった。
しのぶはそれら全てを適当に受け流し、深月の治療を終える。
深月はいそいそと隊服に袖を通し、すくっと立ち上がる。
「ありがとうございました!」
「待ってください。帰ってはいけません。しばらくはうちで様子を見ます」
しのぶは、早速帰ろうとした深月の襟首を掴み、呼んでおいたアオイに引き渡す。
「アオイ。深月さんの新しい隊服を貰っておいてくださいね」
「はい。かしこまりました。深月さん、病室にご案内します」
「はーい!」
上機嫌でアオイについていく深月。
彼女達を見送ってから、しのぶは困ったように笑う。
深月は、炎柱の煉獄杏寿郎に恋心を抱いている。
彼女は一途で、でも分を弁えていて、決して煉獄に無理に迫ったりはしない。
たまにお喋りできるだけで、あんなに喜んでいる姿は、同姓のしのぶから見ても可愛らしく思える。
ただ、今回のように怪我をしているときは、少し困りものだ。
何故なら、深月は煉獄と話すと機嫌が良くなりすぎて、怪我の痛みを忘れてしまうからだ。
今は平気そうにしているが、感情が平常時に戻ったら、きっと痛みを訴え始めるだろう。それくらいの怪我だった。
過去にも何度か似たようなことがあったので、深月の言葉は信用せず、怪我の度合いを見て、蝶屋敷で休むように指示を出している。
「本当に、お二人ともお互いのこととなると我を忘れるんですから」
しのぶは深月とはまた別の、同僚の顔を思い浮かべる。
彼は、怪我などしていない。蝶屋敷に用事もない。
それでも、ここに来ていた。
きっと、隠や鎹烏づてに、深月の怪我を耳にしたのだろう。心配になって、様子を見に来たのだろう。
そこで、診察室の出入り口から、すみがひょこっと顔を出した。
「しのぶ様、別の方が運ばれてきました。深月さんが庇った方なので、大きな怪我は無さそうですが……」
自分たちだけで処置していいのか判断が難しいらしく、すみは眉を下げる。
「すぐ行きます。すみ、ちょっと」
しのぶは立ち上がると、すみの耳に口を寄せる。
「煉獄さんが近くにいらっしゃると思うので、『深月さんの面会は問題ないです』と伝えてください」
「はい、わかりました!」
すみは頬を赤く染めて、煉獄を探しに行った。
深月の恋心は、蝶屋敷の少女達には周知の事実で、行く末が気になるところなのだ。
さて、全く関係が進まない彼らをどうしたものか、としのぶはくすくす笑った。
*****
案内された病室で、支給の寝巻きに着替え、深月は大人しく本を読んでいた。
徐々に傷が痛くなってきたところで、病室に大きな声が響く。
「雨宮!具合はどうだ!」
「煉獄さん!来てくださったんですか!」
深月はぱあっと顔を明るくさせ、本を脇に置く。
傷の痛みは一瞬にして忘れた。
「どこも痛みません!ありがとうございます!」
貴方の顔を見れば痛みなんて吹っ飛ぶんです、とは言えず、深月は頬を少しだけ赤くして、にこにこと答える。
その嬉しそうな顔につられて、煉獄も笑みを深める。
「元気そうでよかった!」
それから、少し世間話をした後、煉獄は病室を出て行った。
彼の居なくなった病室は静かで、深月は少し寂しくなる。
お互い鬼殺隊で剣士をやっているので、次はいつ会えるかわからない。もしかしたら、これで最後かもしれない。
そういう仕事を自ら選んでやっているのだ。
だからこそ、煉獄と会う度、後悔しないよう考えて口を動かすが、相手の立場上あまり強く主張はできない。
告白する気もなければ、恋仲になることなど望んでもない。
深月は表情を暗くするが、首をぶんぶんと振ってからぱっと顔を上げた。
「今日は二回もお話しできたし!」
わざわざ見舞いに来てくれて、世間話も出来たのだ。
これ以上を望んだら、バチが当たるだろう。
深月は気を取り直し、読書を再開した。
*****
それからというもの、煉獄は度々深月の見舞いに来た。
深月はそれを用事のついでだと思い込んでいるので、『そんなに蝶屋敷に用事があるのか。柱は忙しいなあ』などと感想を抱いていた。
それに、例えついででも、見舞ってくれるだけで本当に嬉しいのだ。
煉獄はというと、毎回見舞いの品を持ってきていた。
それは菓子だったり、花だったり。
一般的な女性が喜びそうなものを選んで持ってきてくれていて、その気遣いに深月は胸が締め付けられるような感覚になった。
もしかして、煉獄は自分を剣士ではなく一人の女性として扱ってくれているのではないか、と淡い期待を持ってしまいそうになる。
ある日、煉獄が取り出したのは、高価そうな櫛だった。
特に何も考えずに持ってきたのだろうが、それだけは受け取るわけにはいかず、深月は全力で断った。
何せ、櫛を女性へ贈るということには、求愛や求婚の意味が含まれるからだ。
それを受け取ったとなれば、あらぬ噂が立って、煉獄に迷惑が掛かるかもしれない。
だから、断ったのに。
「煉獄さん……?」
煉獄は、初めて見せる悲しそうな顔で、それでも無理に笑っていた。
「すまん。これは迷惑だったか」
「えっ!?いえ、迷惑では……ただ、煉獄さんのお立場を考えると……」
深月の説明の途中で、煉獄は少し荒い動作で立ち上がった。
深月は思わず言葉を止める。
「次は洋菓子でも持って来よう!」
そう言って去った煉獄の顔はいつもの笑顔に戻っていたが、深月は何も言えずに彼を見送った。
*****
先日、失礼を働いたのに、煉獄はいつも通り見舞いにやって来た。
深月がもうすぐ任務に復帰できる旨を伝えると、彼は安心したように微笑んだ。
それに見惚れて、深月はぼうっとする。
彼は、いつからこんな風に笑うようになったのだったか。出会った当初は、目も合わなくて、怖かった覚えがある。
「よかった。もう、見舞いには来れそうになかったから……」
煉獄の眉が、ほんの少しだけ下がる。
深月がどういう意味だろう、と首を傾げていると、煉獄は続きを話す。
「見合いを勧められてな。今後、気軽に女性に会うなと言われた」
「あ……そう、でしたか……」
多くは望んでいないはずだったのに。
話ができるだけで、充分幸せだったのに。
『見合い』という言葉が思いの外心に突き刺さって、深月は涙を堪えるので精一杯になる。
これ以上何と返せばいいかもわからず、口を閉ざす。
煉獄はぽつりぽつりと事情を説明し始めた。
炎柱──煉獄家の長男としては、跡継ぎを残さなければいけないこと。
今のところ、特に決まった相手はいないこと。
だったら、と縁談話が持ち上がって、まずは見合いから、という話になったこと。
相手の家もそこそこの名家で、剣士ではないが代々鬼狩りに協力してきた家柄らしい。
ただ、歴史が古い分、昔ながらの考えが強いので、見合いを受けた時点で婚姻が成立したと思われていて、既に櫛や簪、着物などを要求されている。
さらには、煉獄が特定の女性と会っている事実が気に食わないとのことだ。
「特定の女性って……?」
「君のことだ。雨宮」
煉獄は、困ったように笑う。
「なんで……煉獄さんは、優しいからお見舞いに来てくれただけで……疚しいことなんか何もしてないのに」
そこまで言って、これからも煉獄の優しさにすがろうとしている自分に気付いて、深月は唇を噛み締める。
分を弁えているつもりだったのに、いつの間にこんなに欲深くなってしまったのだろう。
自分には、これからも煉獄と仕事以外で関わることも、彼の見合いを止める権利も、何もない。彼と釣り合うだけの家柄すら持ち合わせていない。
「疚しいことはある」
「え……?」
煉獄の言葉に驚いて、深月は目を見開くが、煉獄は悲しそうに微笑むだけで、何も答えてくれなかった。
最後に、煉獄は深月の両手を取って、握り締める。
握られた手が熱いのは、煉獄の体温のせいか、速くなった鼓動のせいか。深月は動揺して硬直する。
煉獄は何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに病室を出て行った。
「煉獄さん、どうしたんだろう……」
深月は煉獄の意図がわからず、しばらくぼんやりと考えていた。
でも、人の気持ちなんてわかるわけがなくて、ましてや煉獄のような気高い人間のことなど理解できるわけがない。
深月は溜め息を吐いて、煉獄が握ってくれた両手を見下ろす。
まだ彼の手の温かさが残っているようで、忘れたくないと思った。
ふと、手の下、膝の上に何かがあることに気付き、深月は手を持ち上げる。
膝の上には、先日受け取りを拒否した櫛があった。
「どうして」
深月は混乱する。何故、これがここにあるのか、と。
櫛は、確かに受け取らず、返したはずだ。
ここにあるということは、先程手を握った隙に、煉獄が置いたと考えるのが自然だろう。
『特定の女性と会うな』と言われたばかりだろうに、やはり彼は女性に櫛を贈る意味を知らないのだろう。
「いや、待って……」
深月は煉獄の話を思い出す。
正直言って、煉獄の見合いが衝撃過ぎたので、内容を全く飲み込めていなかったが、『婚姻が成立したと思い込んでいる見合い相手から、櫛や簪、着物などを要求されている』と言っていた。
それなら、相手が何故そういった品物を要求してきたかわかっているのではないだろうか。
それを別の女性──自分に贈る意味とは。
手元に櫛などあれば、女性との関係を疑われるから?
だったら、処分してしまえばいい。
高価だからもったいない、と考える御仁でもないだろう。
それ以外の理由で、考えられるものは何か。
深月は櫛を握り締めて、寝台から飛び降りた。
病室の戸を荒々しく開け、廊下を裸足で駆ける。
後でしのぶやアオイに怒られることは明白だったが、足を止めることはできなかった。
どうせ、明日には在るかわからない命だ。
今、行動を起こさなかったとしても、煉獄がただ見合いをするだけ。自分の知らない女性と結婚するだけ。
それなら、少しだけ、期待してもいいじゃないか。
そんなことを考えて、深月は蝶屋敷の門から飛び出る。もちろん裸足のままだ。
きょろきょろと辺りを見回して、道の先に燃えるような羽織を見つける。
「煉獄さん!」
腹の底から声を出せば、羽織が翻って赤と金の瞳と目が合う。
深月は、驚く彼に駆け寄って、彼の胸に思いっきり飛び込んだ。
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