表紙
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サンフラワーは清らかに


『俺のことは忘れて、君だけの幸せを見つけてほしい』

そんなことを言い遺して、深月の恋人は死んでしまった。いや、殺されてしまった。

深月は隠で、彼と一緒に戦うことはできなくて。
彼は、炎柱としてその責務を全うし、殉職した。

自分が戦えたら。優秀な剣士だったら。強かったら。
彼は、死なずに済んだのだろうか。

彼の死後、何ヵ月、何年経とうとも、深月はあの現場に到着したときのことを夢に見て、自分を責めた。

動かなくなった恋人。
彼を中心に広がる赤い水溜まり。

恐る恐る彼に触れると、まだ人肌の温かさを残していて。
頭巾を取って、柔らかく弧を描いたまま固まった彼の唇に口付ければ、濃い血の味がした。

「杏寿郎さん……」

呼んでも呼んでも返事はなくて、溢れる涙は止まらなくて、初めて仕事を放棄して泣き喚いた。

それから何ヵ月も経って、鬼のいない世界になって、日常に平和が訪れた。

そして、彼女の心に灯された炎は、生涯消えることはなかった。


*****


時は流れ、鬼がいない世界になってから百余年。

深月は生まれ変わって、事務員として会社勤めをしていた。しかも、前世の記憶というおまけ付きだ。

彼女の前世の大半は、亡き恋人を想う時間だった。
彼とのたった数年の幸せな思い出を、生涯大事に抱えて、最期まで一人で生きた。
いや、支えてくれた仲間が居たので、正確には一人ではなかったが、とにかく彼以外の男性と結ばれることはついぞなかった。

今世にて、深月は『自分に前世の記憶があるのだから、相手にもその可能性はあるのではないか』という考えを持った。

自分より意思が強い彼のことだ。きっと、前世の記憶を持っているに決まっている。

そう思って、彼を探しているが、未だに見つからない。

前世も今も、想いを寄せてくれる男性は何人か居たが、彼を越える人物などいない。

そのおかげで、今世の深月は『彼氏いない歴=年齢』だ。
決してモテないわけではないのに、彼氏を作らないので、同性愛者じゃないかと噂されることもある。

その日も、深月はもくもくと仕事に勤しんでいた。

終業後は、足やネットを使って、前世の恋人を探すという日課があるので、何がなんでも毎日定時で上がりたいのだ。特に、金曜日は翌日が休みだから、夜遅くまでネットを漁れる。

今日はその金曜日だ。いつも通り、ぴったり定時で上がり、ロッカー室に急いで向かう。
帰り仕度を終えて、さあ会社を出よう、という時。

同僚の一人が声を掛けてきた。

「雨宮さん。この後、予定ありますか?」

彼女は、同僚の中でも可愛いと評判の女性社員だ。
他の女性社員の中には彼女を嫌っている者もいるらしいが、彼女は給料分の仕事をこなしているので、深月にとってはどうでもいいことだった。

だが、しかし。

「あります」

深月は一言だけ返して、ロッカー室を出ようとする。
それでも、彼女はめげなかった。

「そう言わずに!今夜の合コン、空きが出ちゃったんです!数合わせでいいので、ね!」
「他を当たってください」
「だって、雨宮さんくらいですもん!合コンに誘える容姿の人で、私のことを嫌っていないの!」

そういうことを言うから嫌われるのではないだろうか。

深月は小さく溜め息を吐く。
目の前の同僚は、うるうるとした瞳で、捨てられた子犬のような表情をしていた。

「相手は公務員ですよ?消防士や教師もいます!お代も男性持ちですし、タダでご飯食べられると思って!」

今日だけですから、とすがってくる同僚の顔面は噂通り可愛くて、深月は根負けした。

「今日だけですよ……」
「ありがとうございます!準備するので待っててください!」

準備が要るのか、と深月は感心する。
きっと、合コンに向けて可愛い服を着てきたのだろうし、化粧直しもするのだろう。

まあ、自分は数合わせだから気を使うこともないか、と深月は壁際の姿見を見る。
女性用ロッカーとのことで、身嗜みに気を付けるために置いてあるものだ。

崩れてはいないが、最低限の化粧。ヘアアレンジもする気はない。服装だって、通勤用のパンツスタイルだ。
参加する予定もなかったので当たり前だが、合コンに対してのやる気のなさがありありとわかる。

一時間後にはこの格好を後悔するんて、この時の深月は微塵も思っていなかった。


*****


「煉獄、早くしろよ!女の子待たせちゃうだろ!」

高校時代の友人の声に、煉獄は曖昧な笑みを返す。

(こんなことをしている場合ではないのに……)

煉獄杏寿郎は、深月と同じく生まれ変わっていた。
今は、高校で歴史教師をしている。

そして、彼も前世の記憶を持っている。
恋人を遺して逝ってしまうことが気掛かりで、彼女に自分のことを忘れるよう言い遺した。

しかし、本当は、ずっと自分のことだけを想っていてほしかった。一生添い遂げたかった。

前世でそれが叶わなかったので、今世では叶えたい。
例え、彼女が前世のことを覚えていなくとも。

そう思って、彼女を探し続けているのだが、世界は広い。日本だけで一億人以上の人間が暮らしているのだ。
その中から、たった一人を探すなんて至難の技で。

でも、諦めきれなくて。

毎日毎日彼女を探していて、今日もそのつもりだった。
だが、高校時代の友人から急に電話が掛かってきて、『数合わせでいいから合コンに参加してほしい』と言われた。

何でも、相手には『教師もいる』と伝えたのに、その教師が来れなくなったそうで、代わりの教師を用意したかったらしい。

煉獄も最初は、教師じゃなくても公務員ばかりなのだからいいだろう、と突っぱねたが、友人はしつこく、最終的に『断ったら一生恨む』とまで言われて、渋々参加することになったのだ。

友人に連れられ、約束の店に入る。
店には、女性陣が揃っていて、男性陣も数名が先に着いていた。
煉獄は、女性はもちろん、男性とも面識がなかった。
男性陣は、友人の知り合いや同僚のようだ。

ちなみに、既に女性の隣を陣取っている男性も居た。気が早いことだ。

「すみません、遅れて……!」

友人は女性陣に頭を下げ、軽く自己紹介した後、一人の女性に話し掛ける。彼女は快く応じる。
おそらく、彼女が友人の本命なのだろう。彼女の対応からして、脈なしではなさそうだ。

煉獄も謝罪と自己紹介をして、女性陣の向かい側に座ろうとした。その時。

ふと、端の女性に目が行った。

その女性の隣には、既に男性が座っていて、女性は迷惑そうにしながら酒を煽っていた。
化粧も服装も、他の女性に比べるとシンプルで、男性に話し掛けられても生返事。
きっと、彼女も数合わせで参加させられたのだろう。

そこで、彼女が煉獄を見た。目が合う。

そして、二人とも一瞬硬直した。

煉獄は座りかけていた腰を上げ、すたすたとその女性に近付く。
彼女と男性の間に腕を差し入れ、男性に向かって挑戦的な笑みを浮かべる。

「彼女は嫌がっているように見えるが?」
「杏寿郎さん……?」

女性が呟いた名前を、煉獄は聞き逃さなかった。

自分の名前を知っている。
ということは、彼女も前世の記憶がある。

煉獄は彼女の方を向いて、柔らかい笑みを浮かべた。

「久しぶりだな、深月」

深月の目に涙が溜まっていく。
深月も、煉獄に前世の記憶があることに気付いたのだ。

「あら、お知り合いですか?」

二人の間のただならぬ空気を感じ取り、深月の同僚は嬉しそうに声を掛ける。

どう答えたものか、と深月が悩んでいると、煉獄が彼女の腕を掴んで立ち上がらせた。

「恋人だ!俺達は数合わせのようだし、失礼する!」

そう言って、煉獄は財布から万札を数枚取り出し、テーブルに置いた。
そのまま歩き出すものだから、深月は慌てて自分の荷物を掴む。

「おい、煉獄、待て!多すぎるって!」

煉獄の友人が後ろから呼び止めようとしても、煉獄は振り返りもしなかった。

女性陣の黄色い悲鳴が聞こえてきたので、週明けは会社で質問攻めかも、と深月は苦笑した。


*****


深月を連れ出した煉獄は、飲み直そう、と近場の店に入った。
そこは大衆居酒屋で、狭い二人席に通され、感動の再会を果たした二人には似合わない場所だった。

それでも、煉獄のことを感じられる狭さが嬉しくて、深月はついついにやける。

煉獄が注文をすると、店員は焦った様子で六人ほどが入れる個室に案内しなおしてくる。
彼の注文したものが多過ぎて、狭い二人席にはとても乗りきらない量だったからだ。

飲み物が来てから、早速乾杯する。
料理は次々に運ばれてくるので、それらを口に運びながら、思い出話に花を咲かせる。

料理は主に煉獄が平らげ、深月は締めにアイスを頼んだ。
酔いはかなり回っていて、蕩けた顔でアイスを口に入れる。

冷たいアイスが口の中で溶けて広がっても、酔いが覚めることはない。

深月は、前世で煉獄が死んだ後のことを話し始めた。

「私、杏寿郎さん以外の男の人じゃだめで……貴方のことを忘れるなんてできなくて……」

前世では、生涯独身を貫いた。
今世では、彼氏なんてできたことがない。

そんな話を聞いて、煉獄は嬉しそうに顔を綻ばせる。

彼女を縛り付けてしまったようで申し訳ないが、嬉しさの方が勝った。
それだけ、彼女の中で自分は大きな存在だったのだ、と。

それだけ、彼女は自分を愛してくれていたのだ、と。

「俺も、君のことを忘れられなかった」

煉獄は、スプーンを持っている深月の手を握る。
アイスはもう殆ど残っていなかった。

深月がスプーンを手離すと、スプーンはかちゃんと音を立てて器に落ちる。

「杏寿郎さんが居るってわかってたら、もっとかわいい格好したのに!お化粧も、こんなんじゃなくて……!」

合コンの席で杏寿郎と再会したとき、深月はひどく後悔したと同時に、合コンのために準備していた同僚の気持ちがわかった。
異性、特に好きな男性には、自分を少しでも可愛く見せたいものだ。

それなのに、よりによって自分は仕事用の格好だった。

悔しそうに唸る深月が可愛くて、煉獄は目を細めた。

(個室でよかった)

そう思いながら、身を乗り出せば、深月は目を閉じて、受け入れてくれる。

ほんのり甘いアイスの味を感じた後、煉獄は唇を離す。

深月は蕩けた顔のままで、煉獄の手を握り返す。

「キス、初めてだ……」
「むっ!?」

深月がぽつりと呟いた言葉に、煉獄は動揺する。

深月は、今生で彼氏ができたことがないと言っていたので、当然と言えば当然だが、キスもしたことなかったのであれば──

煉獄の視線が、自然と深月の身体へと落とされる。

それに気付いた深月は、ふふっと妖しい笑みを浮かべた。

「杏寿郎さんのせいで、私まだ処女なんです」

もらってくれますか、という質問に、杏寿郎は何度も頷いた。

そうと決まれば、さっさと会計を済ませてしまおう。
財布にはいくら残っていたか。近くにATMはあったか。
合コンの席で、あんなに金を置いてくるんじゃなかった。

そんな事を考えて、しかし焦りは表に出さないようにしながら、煉獄は深月の手を引いて立ち上がった。





隠の夢主は初めて書きました!
なかなか隠設定を生かせてない気がしますが!

ずっと一途に想い続けて、来世で再会を果たすの素敵ですね(*´∇`*)
書いてて楽しかったです!

新鮮なリクエストありがとうございました!











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