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後編


煉獄家から大分離れ、人気のない道で、深月はしゃがみこんだ。

ずっと止まらずに全速力で走ってきたので、息を整えるのに時間がかかる。全集中の常中を会得したのに、なんという体たらくか。

息が整っても心臓は大きく速く脈打っていた。

まさか、人生初の接吻を、会うのが二度目の上官に奪われるなど思ってもみなかった。

初めて会って、任務を共にしたあの日。
的確な指示を出し、二百人の乗客を守り抜き、上弦の参に一人立ち向かった煉獄のことを、深月はかっこいいと思った。

その後、彼に加勢した時、隣に立つ彼は、怪我を負っていてもとても頼もしかった。

今日、見せてくれた優しい笑顔にもときめいた。

素敵な人だと、思ったのに。

「助平じゃん!!」

衝撃だった。

謎の理論でうら若き娘の、しかも後輩の唇を奪うような人だったなんて。

『後輩の盾になるのは当然だ』とか炭治郎に言っていたのは幻覚だったのだろうか。

家柄も顔も体格もいい上に、柱なので給料もいい彼のことだ。
きっと、女の一人や二人誑かすなど、造作もないことなのだろう。

だが、こちとら恋を知る前に親を惨殺されて、剣士になった乙女だ。
接吻どころか、男性に手を握られるのだって初めてだった。

彼には二度と近付くまい、と深月は心に決めた。


*****


煉獄は、千寿郎に用意してもらった茶と菓子を無駄にしてしまったことを謝って、彼に下がってもらう。

一人になってから、自身の唇に触れて、そこに残った感触を噛み締める。

上弦の参との戦闘に加勢してくれた彼女の戦いぶりは見事だったが、年頃の少女らしく恥じらう様子は可愛らしかった。

強くて可憐な彼女が側に居てくれたら、今後の人生がどんなに華やぐか。
そう思うと、勝手に体が動いていた。

(あの反応は、おそらく初めてだったな)

一瞬、何をされたかすらわかっていない様子だった。
震えて、距離を取って、走って逃げる姿は、小動物のようで愛らしかった。

煉獄の口角が自然と上がる。

煉獄はあることを思い付いて、障子を開ける。
鎹烏を呼ぶとすぐに飛んできて、差し出された煉獄の腕に降り立つ。

「要。お館様に報告してほしいのだが……」

この『報告』が、隊士の間に広まるまで、一週間と掛からなかった。


*****


雨宮深月は困惑していた。

ここ数日、何故か会う人会う人が「おめでとう」と祝福してくる。

しかし、深月には祝福される事柄に覚えがない。
誕生日はまだまだ先だし、階級は上がってないし、そもそもそのどちらも知らないような仲間も祝福してきた。

何のことだ。何の話だ。一体、何を祝われているのだ。

今日に至っては、深月のことを名字で呼んでいる年上の隠が、「雨宮もついに……いや、もう雨宮って呼べねえな」などと言いながら涙ぐんでいた。

なんだその娘の成長を喜ぶ父親のような態度は。
そう思ったが、なんだか不気味で口に出せなかった。

不思議に思いながらも、誰にも追及できずに過ごしていたある日。

炭治郎からもおかしなことを言われた。

「おめでとう。早い気もするけど、俺は良い縁談だと思う」
「え?何が?」

深月はぽかんとする。
縁談なんて、どこから湧いてきた話だろう。

炭治郎もぽかんとして、首を傾げる。

「何がって、結婚するって聞いたぞ。この前善逸が騒いでたよ」
「ええ?私、善逸くんと結婚する予定なんかないけど……変な冗談言うのね」

深月は乾いた笑みを浮かべた。
あの心優しい仲間は、禰豆子に相手をしてもらえなくて、とうとう気が触れたのだろうか、と心配になる。

しかしながら、炭治郎の次の言葉に、深月は善逸のことなどどうでもよくなった。

「深月こそ何を言っているんだ?煉獄さんと結婚するんだろう?」

おめでとう、と笑う炭治郎。

深月は硬直し、何か言いたいのに言葉が見つからず、口をぱくぱくさせる。

結婚どころか、二度と近付くまいと決めた煉獄と、自分が結婚するなんて。

「わ、私、そんな話知らない」

なんとか絞り出した言葉は、なんとも情けない声で紡がれた。

「ええっ!?でも、お館様公認だって言ってる人もいるらしいけど」

炭治郎は驚きのあまり声を大きくする。
これだけ縁談話が広まっているのに、本人が知らないなんてことがあるだろうか。

「それに、その……」

頬を赤らめて視線を逸らしてから、炭治郎は少し言い淀む。

「二人は恋仲だって噂になってるぞ。せ、接吻する仲だって……」

炭治郎の赤面が、深月に伝染する。
否定せず真っ赤になる彼女を見て、炭治郎は「本当にしてるんだな」と気まずさを誤魔化すように笑う。

したというかされたというか。
こんな話まで広まって、それを友達に知られて恥ずかしくないわけがない。

そもそも、接吻の件を知っているのは、唇を奪った張本人の煉獄と、現場を見ていた千寿郎くらいだろう。どこから漏れたのか。

「あ!」

深月は噂の出所を悟った。
炭治郎に別れを告げ、急いで煉獄家へ向かう。


*****


「煉獄さん!!出鱈目広めないでください!!」

誰の許可も取らずに上官の生家に乗り込んで、大声で怒鳴る。

先日案内された部屋の障子を開ければ、先日と同じく煉獄が布団の上で読み物をしていた。

深月はずかずかと部屋に入り、煉獄の側に腰を下ろして身を乗り出す。

「変な噂流したの、煉獄さんでしょ!皆信じ切ってるんですけど!」

煉獄は口角を上げて、読んでいた本を閉じて脇に置き、深月の腰に腕を回す。
深月はぎょっとするが、すぐに引き寄せられて腕の中に収められてしまう。

「出鱈目じゃないだろ。口付けを交わした仲じゃないか。こんなに近くに来て……もう一度してほしいのか?」
「結構です!変なこと言わないでください!」

深月はあっという間に耳や首まで真っ赤になる。
煉獄の胸板も腕も硬くて、体温が高いのか熱くて、心臓がうるさいくらい大きくなる。

密着しているせいでその鼓動が伝わって、煉獄はくつくつと笑いながら深月の頬に手を添える。

「言っただろう。『深月をもらおうと思った』って」

思考回路が違いすぎて、返す言葉が見つからない。
深月は煉獄の服をぎゅっと握り締めて、ふるふると震える。

このままではまずい気がするのに、どきどきして動けない。

煉獄の手が少しずれて、親指が深月の唇をなぞる。

「口付け、初めてだったんだろう?責任は取るぞ」
「それ、は……」

確かに初めてだったが、煉獄の戯れだと思っていたので、責任を取ってもらうつもりなんてなかった。

でも、煉獄は責任を取るつもりだったのだ。もしかしたら、戯れではなかったのかもしれない。

まあ、それと噂の件は別だ。

深月は断ろうと口を開くが、声を発するのは煉獄の方が早かった。

「お館様にも報告済だ。まさか、断ったりしないだろうな?」

深月は愕然とする。
炭治郎が言っていたことは本当だったのだ。
鬼殺隊当主まで話が行っているのに、一介の剣士である自分がこの縁談を断れるわけがない。

「まあ、死ぬほど嫌と言うなら、俺からお館様に話しておくが……」
「えっ」

嫌かと言われたら、そうではない気がして、深月は声を上げる。

任務を共にした夜、煉獄に惹かれたのは確かだった。
今まで何に怒っていたかというと、煉獄の強引さに対してだろうか。

よくよく考えたら、驚いただけで、接吻は嫌じゃなかった。
今だって、抱き締められていること自体は不快じゃない。

「嫌じゃないです」

つい、思ったことを口にすれば、煉獄は嬉しそうな笑顔になる。

至近距離で見るそれを、太陽みたいだ、と深月は思った。

「では、問題ないな!」

煉獄がそう言うと同時に、深月の視界が回った。
一瞬で押し倒されて、布団の上に組み敷かれる。

「れ、煉獄さん……?」

深月はこれ以上ないくらい顔を赤くして、覆い被さってくる煉獄の胸をやんわりと押す。

しかし、煉獄は止まらず、段々と顔を近付けてくる。

もう避ける気も逃げる気も起きなくて、深月はそっと目を閉じた。

「んっ……」

唇が重なる瞬間、思わず声を漏らしてしまう。

二度目の接吻は、随分と長いものだった。





煉獄さんからの外堀埋め尽くされはとてもいいですよね!

リクエストの内容的に、夢主は炭治郎達と同期なのかなあ、と思いながら書かせていただきました(・ω・*)

素敵なリクエストありがとうございました!











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