表紙
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前編


漸く汽車の鬼を倒したと思ったのに。

目の前で繰り広げられる戦いに、深月は呆然とする。

今夜は──もう昨夜だが、炭治郎達と一緒に炎柱と合流し、汽車の任務についた。
鬼はなんとか倒した。汽車が横転したが、乗客も皆生きている。

上出来だと思った。満足だった。

それなのに。

「なんで、上弦の鬼が……」

突如上弦の参が現れて、煉獄が一人で応戦している。

この場で柱は煉獄だけだ。
炭治郎や深月達では、力の差がありすぎて、加勢することすらままならない。

深月が、どうしようどうしよう、と考えている間に、煉獄はどんどん怪我を負っていく。

猗窩座と名乗っていた上弦の参は、肉弾戦を得意とするらしい。
猗窩座の拳によって、煉獄の左目は潰され、内臓も傷付いている。きっと、折れた骨も一本や二本じゃないだろう。

このままでは、煉獄が死んでしまう。
鬼殺隊を支えてきた、炎柱が死んでしまう。

そう考えて、深月はあることを思い出す。

そういえば、あの鬼は、自分を見もしなかった、と。

猗窩座は、はじめに炭治郎の頭を潰そうとしていた。
曰く『話の邪魔になるかと思った』『弱者を見ると虫酸が走る』とのことだったが、だったら、何故自分を襲わなかったのか。

そりゃ、自分は炭治郎より怪我も少なく、彼よりかはぴんぴんしている。
それでも、一般的に見て、女の自分の方が弱く見える。いや、鬼に一般的な感性を求めるのもおかしいが。

そして、猗窩座がやって来た時、自分は煉獄から離れたところに居た。
炭治郎は煉獄に守ってもらっていたが、初めから自分を狙えば、簡単に殺せたはずなのに。

(もしかして……)

深月はある結論に至る。

もしこの結論が間違っていたら、一瞬で殺されるだろう。
それでも、上手くいけば煉獄の盾くらいにはなれる。

深月は日輪刀の柄を強く握り締めて、猗窩座に向かって駆け出した。

煉獄を庇うように立ち塞がり、猗窩座の目の前に躍り出る。

猗窩座は煉獄の腕を砕かんと、既に腕を振りかぶっていた。

だが、しかし。

深月に気付いた途端、後ろに飛び退いた。

(やっぱり……)

あの鬼は、深月を──女を攻撃するつもりがないのだ。

女が怖いのか、綺麗な状態のまま食べたいのか。
理由はわからないが、鬼の思考回路などどうでもいい。

自分が攻撃されないという事実だけあればいい。

深月がにいっと口角を上げると、すぐ後ろから怒鳴り声が飛んできた。

「何をやっている!!待機命令だと言っただろう!!君は下がっていなさい!!」

鼓膜が破れるかと思うぐらい、大きな声だった。

ちらりと後ろを振り向けば、煉獄が残った右目で睨んできていた。その眼光の鋭さたるや。
深月はびくっと肩を跳ねさせたが、前に向き直る。

「命令違反の罰なら後で受けます。煉獄さん、私が間に入ります。あの鬼、多分女に攻撃してきません」
「なっ……!」

何を言っているんだ、と言い掛けて、煉獄は猗窩座の行動を思い出す。
より狙いやすい深月は狙わず、炭治郎を狙っていた。
今だって、深月に攻撃せずに後退した。

彼女の言っていることは、本当かもしれない。

「わかった、頼む。ただし、危険を感じたらすぐ下がるんだ!」
「はい!!」

深月は笑顔で応えて、日輪刀を構え直した。


*****


それから、数週間後。
深月は煉獄家に来ていた。

立派な門をくぐり、炎柱の弟だという千寿郎の案内で、ある部屋に向かう。

千寿郎が障子を開け、部屋に入ったので、深月もそれに続く。

「雨宮!来てくれたのか!」

部屋の中には、布団の上で読み物をしている煉獄が居た。

「ご無沙汰しております。煉獄さん」

深月は正座して、深々と頭を下げる。

あの夜、煉獄は大怪我を負ったものの、一命を取り留めた。
しばらく蝶屋敷で治療を受け、今は生家で静養中とのことだ。

深月は彼の見舞いに来たのだ。
彼の潰れた左目には包帯が巻かれていて、見ているだけで痛々しかった。

しかし、煉獄は明るい笑顔を浮かべている。

「君と話をしたいと思っていたんだ!あの夜、助けてくれたから」
「えっ!?いえ、助けたなんて……煉獄さんが、私達を守ってくださったんです」

柱を助けたなんて恐れ多くて、深月は首をぶんぶんと振る。
ふと、煉獄の笑顔が優しいものに変わる。

それにどきっとして、深月は彼から顔を背ける。

煉獄は千寿郎を見やり、彼に声を掛ける。

「千寿郎。すまないが、彼女に茶と菓子を出してもらえるか?」
「はい。雨宮さん、少々お待ちください」
「いえ、お構いなく……」

千寿郎は快く頷き、部屋を出て行く。

深月は、なんとなく煉獄と二人きりになるのが気まずくて、千寿郎にも居てほしいと思ったが、引き留められるわけもなく。部屋に二人きりで残される。

「雨宮。そんな隅に居ないで、こっちへおいで」

掛けられた声は優しくて、深月は鼓動が速まるのを感じながら煉獄の方を見る。

あの汽車の任務で初めて会った煉獄は、もっと快活で、声も大きくて、燃え盛る太陽みたいな人だった。
戦闘時は勇ましく、柱の称号を持つに相応しい、絵に描いたような清廉高潔さを持った人だと思った。

だが、今の彼は、そんな初めの印象と雰囲気が違いすぎて困惑する。

深月が動けずにいると、煉獄が再度声を掛ける。

「こっちへ来なさい。命令だ」

先程と同じ、優しい声。
強制するつもりはあまりないが、痺れを切らした、という感じで、深月はおずおずと腰を上げて煉獄に近寄る。

近寄っても近寄っても、煉獄が何度も「もう少し」と指示してくるので、深月はいつの間にか煉獄の布団に膝が乗るくらい近付いていた。

さすがに近すぎるのではないか、と思って、深月が下がろうとしたのを、煉獄は見逃さなかった。
彼女の手を握って、自身の膝に乗せる。

「君のおかげで俺の命は永らえた。改めて礼を言う」
「い、いえ……あの、それより離してください」

近い上に手まで握られては、顔に集中する熱を処理できない。
深月は耳まで赤くして、小さい声で訴える。

「ん?すまん、怪我の後遺症で耳が遠くてな。もう一度言ってもらえるか?」
「なっ……!」

にっこりと笑って嘯く煉獄に、深月は抗議しようと口を開くが、彼の圧が重くて何も口にできない。

煉獄は、耳に影響するような怪我などしていない。任務を共にしたのだから、深月もそれくらい知っている。

煉獄だって、深月がそんなことも分からないような娘だとは思っていないだろう。

だからこそ、『もう一度言ってもらえるか?』の前には『言えるものなら』が付くことだろう。
とても言えるわけがない。

権力と圧力に負け、深月はぐっと黙り込む。
清廉高潔だと思っていたこの人は、存外狡賢い大人なのかもしれない、と印象を改め、警戒して体に力が入る。

煉獄は大人しくなった深月に満足して、話を始める。

「君はもう任務に復帰したのか?他の少年達も元気か?」
「私は、大した怪我じゃなかったので、すぐに復帰ました。皆も元気です。炭治郎君は、しばらく休んでましたけど」

無難な話題に安心して、深月の体から力が抜ける。

「そうか。それはよかった!竈門少年は、特に酷い怪我だったからな」

そうは言っても、煉獄より重傷の者などいなかった。
面倒見がよく、優しい人なのは間違っていないらしい。

深月の体からさらに力が抜け、段々と警戒は弱まっていく。

そのまま炭治郎達のことや任務の時のことを話して、割と話が盛り上がってきた頃。

ふと、深月は千寿郎が出て行ってから随分と経ったことに気付く。
別に茶も菓子も催促するつもりはないが、いくらなんでも遅すぎるのではないだろうか。

「煉獄さん。弟さん遅いですね。何かお手伝い……」

何かお手伝いした方がいいですか、と尋ねようと思ったのに。

何かに口を塞がれて、途中から言葉が出せなくなった。

深月の眼前には、ほんの少しだけ細められた赤と金と白。
その赤と金が煉獄の瞳で、白が包帯だと気付くのに、数秒かかった。

それに気付いてから、それなら口を塞いでいるものは、と考えて、深月は勢いよく仰け反る。
幸い、後頭部にも背中にも煉獄の腕は回されていなかったし、手もお喋りの間に開放されていた。

深月は立ち上がって、部屋の隅まで後退する。
背中が障子にぶつかって止まってから、恐る恐る煉獄を見下ろす。

彼は妖しく目を細め、口角を上げていた。

一体何故こんなことになったのかはわからず、深月はわなわなと震える。

「な、なんで……」

煉獄はふっと笑って答える。

「上官の見舞いに来たのに手ぶらはないだろう」

だから、と一瞬目を伏せて、にっこりと笑う。

「深月をもらおうと思って」
「はあ!?」

とんでも理論に思考が追い付かず、深月は思わず声を張り上げる。

「煉獄さんって、もっと清廉高潔な人だと思ってました……!!」

そんなことを捨て台詞のように言って、深月は部屋を飛び出そうと、障子を荒々しく開ける。
すぐそこの廊下には耳まで赤くした千寿郎が居て、見られたのだ、と察する。

しかし、彼に構っている余裕などなく、逃げるように走り去った。







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