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背中の包帯が取れた頃、深月はあっさり目を覚ました。
火傷もほぼ感知しているので痛みも少なく、のほほんとしている彼女を見て、しのぶは苦笑する。

「深月さん、三週間も目を覚まさなかったんですよ」
「そうなんですか?通りでお腹が空いてるはずです!アオイちゃんのご飯食べたいなあ!」

深月は満面の笑みを返し、ちょっとだけ我が儘を口にする。

図太くなったものだ、としのぶはさらに苦笑する。

「はいはい。アオイに頼んできてあげますから、大人しくしていてくださいね。あと、明日まで様子見ですから、今日は帰しませんよ」

深月は「はーい!」と元気よく返事をする。
これでは、どちらが年上かわからない。

深月がここまで機嫌が良い理由は、しのぶから杏寿郎の記憶が戻ったと聞かされたからだ。

もう、元通りになれるのだ。以前のように、彼に愛してもらえるのだ。

そう思うと、にやにやが止まらなかった。

しのぶが出て行った病室で、深月は杏寿郎に甘えることを想像しながら、アオイの食事が届くのを待つ。

杏寿郎には記憶を失っていた間の負い目があるだろうから、きっと甘やかしてくれる。
彼も柱として忙しくしているので、無理をさせるつもりはないが、何日かくっついて回ろう、と考える。

百貨店で新しい洋菓子が発売されたという噂も思い出したので、買ってもらおう、と決める。
蜜璃も食べたがっていたので、たくさん持って彼女の元へ遊びに行こう。
もちろん、代金は杏寿郎持ちで。

いくら名家で金銭感覚がおかしいとはいえ、高級な洋菓子を蜜璃の分も、となるとさすがの杏寿郎でも少し躊躇うだろう。

その様子を想像してくすくす笑っていると、誰かが病室に入ってきた。
それを見た深月の顔から、すっと表情が消える。

例の女性隊士だ。
素直に見舞いに来たとは思えないが、彼女の腕には一応風呂敷が抱えられている。

「何か御用?」

深月が冷たく尋ねると、女性隊士は持っていた風呂敷を深月に押し付けた。

「お見舞いです……」

彼女の声も表情も少し残念そうで、深月はふっと挑戦的な笑みを浮かべる。

「杏寿郎さんが居ると思った?」
「っ……!」

女性隊士の顔が赤く染まり、悔しそうに眉をひそめる。

ああ、やはり。彼女は杏寿郎を諦めていないのだ。
深月はそう察して、風呂敷を開ける。

「お菓子ね。ありがとう。杏寿郎さん達と頂くわ」

わざと杏寿郎の名前を出す。
深月は基本的に、年下には優しくする主義だが、この女性隊士には諸々の恨みがあるので、意地悪することにした。

「あのね、杏寿郎さんが居たとして、貴女は相手にされないと思うよ」
「そ、そんなのわからないじゃない!」

女性隊士は、深月の挑発に簡単に乗ってきた。

「私、煉獄さんと接吻したし!煉獄さんだって嫌がらなかったし!それに、雨宮さんより私の方が可愛いもん!」

大した自信だが、深月は彼女を脅威と感じてはいない。
ただ、彼女の行動が許せなかった。

おそらく彼女は、杏寿郎と深月が婚約していることも、杏寿郎が記憶を失っていたことも知っていた。

「楽しかった?上官の婚約者を奪おうとして」

深月がにっこり笑って尋ねると、女性隊士はひゅっと息を詰まらせた。
構わず、深月は続ける。

「とんだ不敬よね。上官の婚約者にあんなことしておいて、悪びれる様子もない。よかったわね、ここが蝶屋敷で」

怪我人を増やしたらしのぶさんに怒られちゃうもの、と続けながら、深月はもらったお菓子を脇に置く。

「私、貴女のこと許さないから」
「別に、許してほしいだなんて思ってない……」
「そうね。でも、私は貴女を罰する権利を持ってる。上官だから」

事情を知りながら、それにつけこんで杏寿郎を奪おうとしたこと。
深く考えずに叫んで、深月や仲間を危機に曝したこと。
その際叫んだ内容も、とても上官に対するものとは思えない。

ただ、何も痛め付けようというわけではない。

「貴女の拠点、遠くにしてもらうから。杏寿郎さんにお願いして、お館様に進言していただくつもりなの」

二度と、杏寿郎はおろか深月にすら近付けないように。
それくらいの我が儘なら、杏寿郎だって聞いてくれるだろう。

女性隊士は顔を青ざめさせる。
好きな人が手に入らないどころか、今後は姿を見ることすらできない。

「待ってください!今までのこと、謝りますから!許してください!」
「ええ?ふふ、急にどうしたのかしら?」

深月は口元に手をやり、くすくすと笑う。

「貴女、さっき『許してほしいと思ってない』って言ってたじゃない」

女性隊士はへなへなとその場にへたりこんで床に手を突く。
目の前に居る女性は、杏寿郎の婚約者とは思えない程、真っ黒な笑顔を浮かべていた。

きっと、杏寿郎は深月に騙されているのだ。
こんな悪い顔をする女を、彼が好きになるわけがない。

そう思って顔を上げたところで、別の声が病室に響いた。

「深月、そろそろいいか?」

女性隊士は、ばっと声がした方を振り向く。
杏寿郎だ。杏寿郎が来ている。

直ぐ様彼に駆け寄り、すがり付こうとする。

「煉獄さん!雨宮さんが虐めるんです!」

しかし、杏寿郎はそれをするりと避け、深月の側に行く。

「着替えを持ってきた。君の一番のお気に入りだ」
「わあ!ありがとうございます!」

杏寿郎に差し出された着物を、深月は笑顔で受け取る。
その無邪気な笑顔からは、先程の真っ黒な様子は伺えない。

女性隊士が今しがた受けた仕打ちを杏寿郎に訴えようと口を開く。
だが、声を発する前に息を呑む。

杏寿郎が、深月に口付けたからだ。
女性隊士が居ることも忘れているかのような、否、むしろ見せつけているかのような、甘い口付けだった。

自分が杏寿郎にした、触れるだけの接吻とは違う。

女性隊士はその光景にしばらく目を奪われていたが、ちゅっと音を立てて杏寿郎が深月から唇を離す。

「深月。後輩にはもう少し手加減してやれ。そういうところが恨まれるんだ」
「えー……杏寿郎さんだって、わざわざあの子の目の前でこんなことして……」
「その気はなかったとはいえ、君を裏切ってしまったからな。俺には深月しかいないという証明だ」

そこで、杏寿郎がちらりと女性隊士を見る。

彼の目は、「消えろ」と言っているようだった。

女性隊士は悔しさと恥ずかしさでふるふると震える。

杏寿郎は、深月と自分の会話を全て聞いていたのだ。
その上で、深月のことを引き続き愛しているのだ。
自分のことなど何とも思ってなくて、接吻や抱擁を避けなかったからといって、想いを受け入れてくれたわけではなかったのだ。

居たたまれなくなって、女性隊士はその場から逃げ出した。

彼女が去ってから、深月は悩むように自身の頬に手を当てる。

「少し意地悪が過ぎましたかね……」

でも、後悔はなかった。
杏寿郎を盗られるくらいなら、後輩に嫌われるくらい苦にならない。それに、彼女に好かれたいとも思えない。

まあいっか、と明るく結論付けて、深月は杏寿郎に抱き付いて、しのぶに受けた説明を彼にも伝えた。







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