紅黄草の温もり
※長編夢主。時間軸は第四章十一以降です。
『怠い』
初めはそれだけだった。そのうち、『熱い』と『寒い』も追加された。
でも、どれも動けない程ではなく、夜には任務があって、しかも杏寿郎以外の柱に同行しなければいけない。
まさか、柱との任務を急に休むわけにはいかないだろう。
深月は自身の頬を両手で叩いて、自分を鼓舞する。
あまり強く叩くと頬が赤くなって杏寿郎に心配されるので、軽く叩いた。
さあ、出発しようと部屋を出た途端、深月は硬直した。
障子を開けたすぐそこに、杏寿郎が居たからだ。
杏寿郎は深月に用事があったようで、彼女を視界に捉えると、微笑んで口を開いた。
「深月、今日は不死川と任務だったな。彼はいいやつだが、あまり失礼の無いように」
「はい。気を付けます」
不死川がいいやつなのかは疑問だったが、深月も笑顔を返した。
深月が不死川と合同任務に行くのは初めてなので、杏寿郎は少し心配なのだろう。
何せ、不死川は柱合会議で深月が衝突した相手だ。
杏寿郎も、深月が不死川にまた失礼を働くなど、本気で思っているわけではない。
ただ、不死川と深月の性格上、衝突する可能性が無きにしも非ずといったところで、もし衝突すれば確実に階級が下の深月が怒られるわけで。
深月が怒られるのはあまり気分がいいものではない。
先に釘を刺しておけば、余程の事がない限り、深月は感情を殺して不死川に接してくれるだろう、と思ったのだ。
杏寿郎は深月の返事に安心して、自分も出発しようと考える。
そこで、深月の顔色に違和感を覚えた。
「大丈夫か?」
不意にそんなことを聞かれ、深月は一瞬驚いたが、何事もなかったかのように答える。
「何がですか?大丈夫ですよ」
「いや、なんだか顔色が優れないように見えて……気のせいか」
「ええ。気のせいですよ」
深月はふふっと笑って、廊下を進む。
彼女の背中もなんだかいつもと違うように見えて、杏寿郎は首を傾げた。
*****
「何やってんだァ!!この愚図!!」
「すみません!!」
不死川に怒鳴られ、深月は脊髄反射で謝る。
今しがた、深月は鬼の頸を斬ろうとして、足を滑らせたのだ。怒鳴られても言い返せない。
なんだか震える脚を気合いだけで動かし、深月は鬼を追い掛ける。
追い付く直前に毒付きの暗器で鬼の動きを止め、なんとか頸を斬り落とした。
日輪刀を払って、付着した鬼の血を飛ばし、鞘に収める。
次の瞬間、頭を鷲掴みにされ、無理矢理後ろを向かされる。
それは首の骨が折れるかと思う程の勢いで、深月は少し涙目になる。
案の定、頭を鷲掴みにしてきたのは不死川だった。
「テメェ、その程度の実力で柱に楯突いたのかァ。いい度胸してやがんなァ」
いくつも青筋を立てている不死川の形相に、深月は顔を青ざめさせる。
鬼なんかより、彼の方が余程怖い顔をしている。
「あの、本当にすみませんでした……柱合会議でも、今も……」
深月が震えながら謝罪しても、不死川は彼女の頭を離さなかった。
うざったそうに溜め息を吐いて、手に力を込める。
「本当に煉獄の継子か?弱ぇし、態度は
悪ぃし、有り得ねぇ失敗しやがるし」
煉獄の教育が悪いんじゃねえかァ、と言いながら、不死川は深月の頭を投げ捨てるように離す。
それを聞いて、深月はキッと不死川を睨み付けた。
自分が弱いのも、態度が悪いのも、有り得ない失敗をしたのも、それらは自分のせいなので、どれだけ悪く言われても受け入れるしかない。相手は柱なのだから、説教として聞いていられる。
しかし、それらを杏寿郎のせいかのように言われると、許せなかった。
「杏寿郎さんのせいじゃありません!私が……」
私が悪いんです。だから、そんな風に言わないで。
そう言い掛けて、深月は口を両手で押さえた。
不死川に反抗してしまった。また失礼な態度を取ってしまった。
そう思ったのもあるが、とんでもない吐き気に襲われたのだ。
もう鷲掴みにされてないのに頭痛がして、熱いや寒いといった感覚が耐えられない程になってきた。
気付けば、脚に力が入らなくなっていて、前のめりに倒れていく。
「オイ、どうした!?」
不死川の焦ったような声が頭上から聞こえたが、深月はそれに答えることができなかった。
意識はあるが、あまりにも怠くて声を出すのが億劫になる。
不死川は倒れかけた深月を抱き止めていた。
腕の中でぐったりしている彼女の身体は異常に熱く、すぐに熱があるのだと悟る。
「具合悪いならそう言やいいだろうが」
そう呟くと、舌打ちをして、深月を片腕で抱き上げる。
不死川は七人兄弟の長男だ。今は弟一人しか残っていないが、昔は弟妹達の世話をしていた。
そのせいか、抱き方が小さい子どもを抱くときのようで、深月は朦朧とする意識の中で恥ずかしさを覚える。
それでも、やはり声は出せないし身体は思うように動かなくて、不死川にもたれ掛かってしまう。
不死川は、深月の背中をとんとんと軽く叩く。
それも小さい子どもにするような手付きで、杏寿郎の手じゃないのに少し安心してしまって、深月は目を閉じた。
*****
帰宅した深月を出迎えて、杏寿郎の笑顔は固まった。
何故か、深月は不死川に抱えられている──というより、子どものように抱っこされている。
そんな抱き方、自分だってしたことないのに、と杏寿郎は内心動揺する。
「こいつ熱あんぞ。休ませてやれ」
「ああ。すまん、深月が世話になったようだな!」
杏寿郎は深月を受け取ろうと腕を差し出し、不死川も彼女を渡そうと上半身を傾ける。
そこで、落ちると思ったのか、深月が不死川の首にすがり付いた。
不死川の開けられた襟からのぞく胸板に、深月の胸が押し付けられる。
「杏寿郎さん……」
うわ言のように呟く深月。
どうやら、不死川を杏寿郎と勘違いしているらしい。
深月は熱で朦朧としているし、杏寿郎と不死川は背格好が似ている。
無理もないといえばそうなのだが、杏寿郎はそれを看過出来るほど大人ではなかった。
直ぐ様不死川から深月を引っ剥がして奪い取り、ぎゅうっと音がしそうなほど抱き締める。
深月から苦しそうな呻き声が小さく上がるが、お構いなしだ。
「手を煩わせてすまなかった!今はこの子を休ませたいので、礼は今度でいいだろうか!」
「お、おう……」
不死川は少し呆気にとられながらも、軽く手を振って去っていった。
杏寿郎は深月を彼女の部屋へと運ぶ。
彼女の身体は熱くて、表情は辛そうで、やはり体調が悪かったのだ、と考える。
こんなことなら、任務前にちゃんと様子を見てやればよかった。
顔色が優れないように見えたのは、気のせいではなかったのだ。
今更だが後悔して、彼女を抱き抱える腕に力が入る。
「うぅ、痛い……」
深月の苦しそうな声が聞こえて、杏寿郎はハッと我に返る。
不死川が深月を抱っこしているところを見て、深月が彼にすがり付いているところを見て、嫉妬心に駆られてしまった。
そればかりか、体調が悪い彼女を力一杯抱き締めてしまった。
「すまん、深月。大丈夫か?君の部屋に着いたぞ」
杏寿郎は優しく微笑んで、深月を一旦床に降ろそうと屈む。
しかし、深月は杏寿郎の首に腕を回し、離れようとしない。
先程、不死川にしたのと同じように、杏寿郎の胸板に胸を押し付けるほどすがり付く。
「杏寿郎さん、あったかい」
深月は杏寿郎で暖を取っていた。
もしかして、杏寿郎と勘違いしていたが、先程も不死川で暖を取ろうとしていたのではないだろうか。
杏寿郎は困ったように笑い、深月の頭を撫でる。
「布団を敷くから、一旦離れてくれ。それに、着替ないといけないだろう」
「んー、やだぁ……」
深月は杏寿郎の肩に顔を埋め、やだやだと首を振る。
その仕草も、甘えるような声も、子どものような話し方も可愛くて、杏寿郎はにやけそうになる口元を片手で隠す。
不死川に抱いた嫉妬で固まっていた心が、柔らかく溶けていくようだった。
杏寿郎は深月を片腕で抱き抱え、空いている腕だけで器用に布団を敷く。
深月と一緒に布団に寝転がり、掛け布団を被る。
着替えていないが、敷布は後で洗えばいいだろう。
深月はもぞもぞと彼の胸板に顔を埋める。
片腕は首にすがり付いたまま、もう片方の腕は胴体に回し、片脚を杏寿郎の脚の間に割り込ませる。
できるだけ密着して、暖を取ろうとしているのだ。
深月の胸や脚の感触に、杏寿郎はびくっと震える。
隊服越しとはいえ、それらは甘い毒のようだった。
しかし、深月は今熱があるのだ。安易に触れるわけにはいかない。
後で氷枕でも作ってやろうと考えながら、杏寿郎は深月を温めるように優しく抱き締めた。
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