窮余の策か、望んでいたか
「俺が大人になったら、俺と
夫婦になってください!」
真っ赤な顔で必死に叫ぶ少年を、深月は心の底から可愛いと思った。
彼の淡い恋心はきっと今だけだ。
世の中には、たくさんの女性がいる。
それこそ、自分より素敵な女性なんて、きっと数えきれない程いる。
だから、この少年の恋心は、彼が大人になる頃には消えてしまうのだろう。
しかし、少年の可愛い求婚を無下に扱うのも気が引けた。
深月は、にこっと微笑む。
「いいよ。君が大人になって、気持ちが変わってなかったらね」
そんな日は来ないだろう、と高を括っていた。
*****
「深月さん。どこに行かれるんですか?」
杏寿郎はにこっと笑って、深月の腕を掴む。
深月は顔を青ざめさせ、曖昧な笑みを浮かべる。
「いや、今日は大切な用事が……」
「見合いでしょう?そんなものは必要ないかと」
杏寿郎が目を細めると、深月は心の中で溜め息を吐いた。
あの時、可愛い求婚をしてくれた少年は、今や立派な青年に成長していた。
背も伸び、体格も良くなった。顔付きも随分大人びて、可愛さなど欠片も残っていない。
ただ、性格は昔より子どもっぽくなっていた。
深月もいい年だ。むしろ年増の部類に入ってきた。
完全に婚期を逃し、生き遅れている。
いい加減に身を固めろ、と両親から親戚からせっつかれている。
そのため、お見合いに臨もうとするのだが、いつも杏寿郎に邪魔をされる。
それが何故かはわからないが、おそらく姉を奪われるような気分になり、嫌がらせをしているつもりなのだろう。
彼の仕事は、深月もよく知っている。
夜な夜な人を食う鬼を倒し、人々を救う、それはそれは素晴らしい仕事だ。
そう、彼は夜に働いているのだ。
それなのに、昼間もしっかり起きていて、どこからか深月の見合い話を聞きつけ、必ず邪魔をしに来る。
杏寿郎ももう大人なのだから、そういう子どもっぽい嫌がらせは止めて祝福してほしいものだ。
「お仕事はどうしたの?私なんかに構ってる暇はないでしょう」
今度はちゃんと溜め息を吐いて、深月は杏寿郎に尋ねる。
杏寿郎は笑顔のまま、彼女の腕を引き寄せる。
「仕事はしています。しかし、貴女が見合いに行くなど見過ごせない」
顔が近付いたことで、深月は驚いて目を見開く。
ここで赤面はしてくれないのか、と心中で残念がりながら、杏寿郎は続ける。
「それに、行っても無駄だと思いますよ?」
「意味がわからないことを言わないで。離してください」
深月がムスッとして杏寿郎を見上げると、彼は困ったように笑って、深月を解放する。
深月は警戒しながら後退し、杏寿郎がもう捕まえに来ないことに気付くと、足早に見合い会場の料亭へと向かった。
*****
なんとか見合いの時間には間に合い、深月はほっと胸を撫で下ろす。
今回の相手は、武家の血筋の人らしい。
──とは言っても、血気盛んというわけではなく、穏やかな好青年だと聞いている。
添い遂げるなら、穏やかな相手だといい。
深月はそう思っていた。
騒がしい毎日も楽しいのだろうが、深月はただ、小さな幸せを日々積み重ねていける相手が理想だと考えている。
時代は変わりつつあるが、女が自分の理想相手に出会い、相手を選べるほどではない。
だからこそ、今回の見合いは深月にとって渡りに船だった。
親を交えて話をして、しばらくすると相手と二人きりにされる。
何を話そう。彼は何が好きなのだろう。
深月は一生懸命考えて、口を開いた。
しかし、先に声を発したのは相手の男性だった。
「貴女は、私の顔を立ててここにいらっしゃるのでしょう?」
「はい?」
間抜けな声が出て、深月は慌てて口を隠すように押さえる。
男性は優しい笑みを浮かべ、深月の目を見ながら話す。
「貴女には好い人が居ると聞きました。それなのに、見合いにも行かずに断ると、私が恥をかくから、わざわざ来てくださったんですよね」
男性の言葉に、深月は呆然とする。
彼が何を言っているのか、全くわからなかった。
自分に好い人なんかいない。
穏やかな見合い相手に会いたくて、この場に来た。
誰の顔も立ててないし、誰かの恥を気にしてもいない。
そう考えるが、言葉が上手く出てこなくて、深月は首を傾げる。
「優しい人に愛されている、貴女の恋人が羨ましい。今回のお話は私から断りますので、お気になさらず……」
そう言って、男性は「時間を潰しましょう」と店の庭へ向かう。
あまり早く親を迎えては、本当に話をしたのか怪しまれるからだ。
それから、いくらでも弁明する時間はあったのに、深月は男性の勘違いを正すこともできず、見合いを終えた。
深月には一体何が起こったのかわからなかったが、それは序の口だった。
それから、何度見合いをしても、同じような事を言われ、同じように相手から断られた。
酷いときは相手が激怒していたし、深月が弁明しても誰も信じてくれなかった。
そして、数ヶ月もしないうちに、深月に見合いの話は来なくなった。
その代わりと言ってはなんだが、両親や親戚が杏寿郎の話をするようになった。
「あの子、何て言ったっけ?髪色が珍しい……そうだ、杏寿郎君だ。煉獄さんのご子息。彼は立派な仕事をしているなあ」
「年は少し下だけど、しっかりしているみたいね」
「あちらも深月のことを気に入っているようだぞ。生き遅れた年増女をもらってくれるなんて、奇特な青年じゃないか」
「煉獄さんの家は跡取りが要るだろう。子供を産めるうちに……なあ?」
度々杏寿郎の話をされ、深月はうんざりした。
杏寿郎は、鬼狩りの名門煉獄家の長男だ。
鬼殺隊で活躍し、人柄もいい。
ただ、深月にとって今の杏寿郎は『可愛くなくなった杏寿郎』なのだ。
穏やかとは程遠く、人の見合いを邪魔し続ける、全く可愛くない──
そこまで考えて、深月ははた、と気付く。
もしかして、今までの見合い相手が『深月に恋人が居る』と勘違いしていたのは、杏寿郎の仕業ではないだろうか。
以前は、見合い会場に行かせない、偶然を装って見合いに乱入する、といった物理的な妨害だった。
まさか、あんな陰湿な方法を杏寿郎が使うだなんて、少しも思っていなかった。
深月は直ぐ様煉獄家を訪ね、杏寿郎を問い質す。
彼はあっさり白状した。
「なんだ、バレてしまったのか」
「バレてしまったのか、じゃないわよ!私の人生を何だと思ってるの!?」
怒鳴るように言った後、深月はわなわなと震える。
杏寿郎は、そんな彼女の頬に手を添え、耳を寄せる。
「俺の物だと思っている」
「な、なっ……!」
何を言ってるの。そう言いたいのに、息が声に変換されない。
先程とは違う理由で震え、深月は顔を赤くする。
杏寿郎の声音は甘く、耳に掛かる吐息は熱かった。
深月の知っている杏寿郎は、こんな喋り方をする子じゃなかった。
杏寿郎は深月の顔が見える位置に移動し、彼女の目を真っ直ぐ見つめる。
彼女の両手を握って、少し息を吸う。
「俺は貴女が好きだ。ずっと好きだ。深月さんは、約束を忘れてしまったのだろうか?」
深月の脳裏に、かつての杏寿郎の言葉が浮かぶ。
『俺が大人になったら、俺と
夫婦になってください!』
あれは本気だったのだ、と深月は気付く。
いや、当時は本気だったのだろうが、もうあの想いは廃れていると思っていた。
杏寿郎の真剣な眼差しに、深月は息を呑む。
それでも、なんとか口を開く。
「で、でも、あれは貴方が子どもの頃の話でしょう」
「よもや、貴女ともあろう人が、約束を違えるんですか?あの時、俺の気持ちを踏みにじるつもりで了承した、と」
杏寿郎は深月を責めるように見つめる。
そんなつもりじゃなかった。杏寿郎がいつか別の人を好きになると思っていた。
そう返そうとしたが、それは言い訳でしかなく、言ったところで説得力もないので、深月は黙り込む。
赤い顔のまま困ったように眉を下げる深月を見て、杏寿郎はふっと笑う。
「どちらにしろ、もう逃げられませんよ。貴女のご両親や親戚とは話が着いてますから」
「え……ああ、あれも貴方の……」
深月は乾いた笑みを浮かべる。
顔の赤みは、少し引いてきた。
杏寿郎は、深月の両親や親戚も懐柔済みだ。
それは、彼らの話題がほぼ杏寿郎だったことから察しはつくが。
「どうして、そこまでするの……」
深月は半ば呆れて溜め息を吐く。
見合いを妨害して、見合い相手に嘘を吹き込んで。
果てには、両親や親戚にまで手を回す。
ちょっとやりすぎじゃないか、と。
杏寿郎は一瞬ぽかんとした後、また深月の頬に手を添えた。
「深月さんが好きだからに決まってるでしょう」
そう言って笑う杏寿郎の顔は男性のもので、赤みが引いていた深月の顔は再び赤く染まっていく。
杏寿郎は可愛くなくなったのではない。大人になって、格好よくなったのだ。
そう気付くと、心臓がうるさくなった。
そして、深月は目を伏せて観念した。
「わかった。わかりました。もう貴方以外と添い遂げるのは無理そうね」
深月はもともと、杏寿郎のことは嫌いではない。
見合いを邪魔され続けたので、避けていただけだ。
それも自分のことが好きだから。自分と添い遂げたいから。そういう理由なら、許せないこともない。
それに、彼はもう大人の男だと気付いたら、意識せざるを得なくなった。
深月はふと、目を開けて杏寿郎の顔を見る。
彼は頬を紅潮させ、嬉しそうに笑っていた。
その顔にはどこか昔の面影があって、まだ可愛いじゃないか、と深月もつられて笑った。
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