5.5 (私)


変に思い悩んでしまっていたせいで、起きた時には既に昼だった。そんな馬鹿な。
慌ててリビングまで向かえば、うっすらと汗をかきながらソファに身を沈め眠る少年。
恐らくだが、私が起きてくるのを待っている間に眠くなったのだろう。
ソファの近くに置いてあるテーブルの上には昨日も読み進めていた漫画が積み上がっていた。
気持ち良さそうに寝ているが、起こさないとそれはそれで怒られそうだったので、仕方なくその身体を揺する。

「零くーん」

うっすらと開かれた瞳は焦点があっておらず、少年の眠たさを物語っている。
起きなくてはという意識がちゃんと働いているからか、身体を起こしながらごしごしと目をこすり、重たげだった瞼をぱちりと開き何度か瞬きを繰り返す。

「ん、おはよ」

「おはよう」

しっかりと焦点の合った視線を向けられて、挨拶を交わす。向き合うと決めたというのに、この緩んだ雰囲気がどうにもむず痒くて仕方がない。
やはりこの少年の存在は大きく、可愛くて仕方ないと思えるのだ。そうとなれば、嫌がられたとしてもとことん構い倒すしかない。
本当の姉でない事は百も承知だが、姉のように慕ってもらえたらと思わずにはいられなくなってしまった。自分でも思うけど、実に滑稽だ。

「ねぇ、零君。今日もおでかけしない?」

広いソファの空いたスペースに座り問いかければ、こくりと首を縦に振る。

「どこがいい?」

「昨日は俺の行きたい場所に連れってもらったから、今日は名前の好きな所で良い」

中学三年生の答えなのだろうか。どろどろに甘やかしてやりたい私からすると、この少年の回答は何ともまぁ拍子抜けである。
それならば、零君も楽しめて私もそこそこ乗り気になれる場所を考えるしかない。

「うーん、どこがいいかなぁ」

ドライブがてら遠出するのも良いかもしれないが、今からだと遠出するのも億劫になる。寝過ごしてしまった自分が妬ましい。
困った時に頼りになるのはスマホである。部屋着のポケットの中に入っていたそれを取り出して検索をかけると様々な場所がヒットする。
海やプールは論外だ、混むし焼けるし、零君はともかくアラサーにはしんどい。ましてもや、このイケメンと並んで歩くだなんて拷問みたいなものだ。

「あ、夕方からだと安くなるんだっけ」

ふと目に留まったのはとあるテーマパーク。夏休みなのだから例に漏れず大勢の来援客で賑わっているのだろうが、何だかんだ学生の時遠足で行った以来になる。
懐かしいなぁと思いながら隣にいる少年の視線の先をはスマホの画面のようだ。

「人は多いと思うけど、どうかな?夕方からのパス買って…閉園まで」

零君ぐらいの年頃の子だと行きたがらない場所になってしまうだろうか、そんな不安を抱えつつも口にすれば、スマホから私に目線を移した。

「楽しみだな」

目が合うと、それはそれは楽しそうに、緩やかに笑みを浮かべたのだ。かつて両親が、私の成長を喜んだ時のような、暖かいそれにぐっと奥の歯を食いしばった。





電車やバスを乗り継ぐのが面倒で、高速道路を使いあっという間に到着した。やはり夕方にも関わらず、賑わっていて、勿論私と同じような考えの来園者も少なくないようで、チケット売り場は少々混雑していた。

「まずは何乗ろう?零君絶叫系いける?」

パーク内の位置情報を示すパンフレットを眺めながら問えば、零君も私の手元にあるパンフレットを覗き込む。

「大丈夫、名前は?」

「私も!じゃぁ、ここから行こっか」

とりあえず、現在地からすぐに向かえる乗り物を選び、そこへ向かう。人は多いが、太陽が西に移動したおかげで幾分過ごしやすい。
向かう途中、テーマパークのマスコットキャラクターをモチーフとした被り物を販売している店があり意識がそっちに行ってしまった。
…うん、似合うんじゃないか?最早恒例となりつつある零君との手を繋ぐという行為。繋がれたままの手を引っ張って店へ向かうと、一瞬焦ったものの大人しくついてくる。
お目当ての売り場に着くや否や、手を放し目的のものを掴むと嫌そうな顔をする少年の頭に被せた。

「っふふふ、可愛い」

丸い耳をしたそれはとても可愛らしく、被せられた当人は不服そうであるが可愛いことに間違いはなかった。
無意識のうちに笑ってしまっていたらしく、それも相まってか零君はキッと私を睨みつけると、頭からそれを外して私の頭へ移動させたのだ。

「…俺よりも名前の方が似合うだろ」

「…待って、ごめん、アラサーにこれはしんどい…」

何という仕打ちだろうか。これを被って歩けるほど気持ち的にも私は若くない。仕事上擦り減って、疲弊しきったメンタルに追い打ちをかけるなんて。
いたたまれなくなって両手で顔を覆い俯けば、零君の焦った様子が声を通してよく伝わってくる。

「え、っちょ…名前?」

流石に泣いているとまでは思われていないだろうが、今まで取ったことのないようなリアクションに驚いているようだ。

「えっと…似合ってると、俺は思うけど…そんなに嫌か…?」

しゅんと肩を落とすのがよく分かるような声色に、ちょっとだけ罪悪感がわいたので両手をどけて、恨めしそうに少年を睨むことにした。

「嫌と言うより、年甲斐もなくこんなのつけてって思われるのが辛いのよ」

被っていたものを手に取り、売り場に戻しながら呟けば、渋い顔をして何かいいたそうな雰囲気を醸し出す少年。

「…アラサーって言っても、まだ20代なんだろ?」

なるほど、女性に年齢の話は禁句だということをちゃんと理解している少年らしい反応だ。

「そうね…27だけど、あっという間に30歳になるよ、うん」

年齢を重ねれば重ねるほど1年と言う時間の経過は早く感じるようになる。ナントカの法則で、時間と心理的長さは年齢に反比例すると聞いたことがある。
30歳の人間にとって1年の長さは人生における30分の1、3歳児にとっては3分の1。つまり、30歳の人間にとっての10年は3歳児にとっての1年であり、3歳児の1日が30歳の人間の10日にあたる…恐すぎるだろ…!
え、待って待って。四捨五入すると30なわけだから…零君の倍かぁ…うん…、どうしよう、切なくなってきたわ。

「…零君も私と同じぐらいになれば分かるよ」

仕事もなぁ…時間を早く感じる原因なのかもしれない。今でこそのんびり過ごせているが、普段なら仮眠室で過ごしたり、何日もあの部屋に帰らないなんてよくある事なのだから。
この子には、ワーカーホリックなんて道歩んでほしくないなぁ…。もういっそホストにでもなればいいよ、絶対ナンバーワンにしてあげるわ。

「名前?大丈夫か?」

どうやら、あらぬ妄想をしたままそっちの世界に浸ってしまっていたようだ。心配そうに眉を寄せる姿に、決して私の脳内は見せられないなと思った。

「ごめん、ぼーっとしてた…」

「そろそろ行かないと、乗れなくなるぞ」

そう謝れば、特に気にされることもなく終わったので安心していると、差し出される褐色の手。
ほら、と伸ばされた掌に自らのそれを重ねればぐっと引かれ、それに合わせて足も動き出す。
不思議なことに自分よりも小さくて華奢だと思った零君が、一瞬だけ違って見えたのだ。
自らの視界に飛び込んできた誤った情報に目を瞬かせてみると、改めて視界に入って来たのは見慣れた後ろ姿。
その背中に安心してしまったあたり、沼みたいな深みに嵌ってしまったのだなと思わざるを得なかった。

「まいったなぁ…」

ぼそりとした呟きは拾い上げられることもなく消えていく。
とりあえず、閉園までの残り時間を如何にして満喫するかを考えることにシフトしよう。そうしよう。
だってそうでしょう、家族のような愛しさとは思っていたが、弟をふっ飛ばして息子のようだなんて、…ん?何で思いたくないんだ?…まぁいいか。
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