5.5 (俺)

俺の身体がゆさゆさと揺らされて、初めて自分が寝てしまっていることに気がついた。頭ではわかっているが、一度閉じた瞼は重く開けることが億劫になってしまう。

「零くーん」

ああ、名前も起きたのか。そうだろう、今この場で俺を起こすことが出来る人物なんて名前以外あり得ないのだから。薄く目を開ければ、ぼんやりとした視界に映りこむ人の影。焦点の定まらない目を擦りながら身体を起こし、パチパチと瞬きをして徐々にクリアになっていく視界を確認した。

「ん、おはよ」

「おはよう」

ぼんやりとしたものではなく、ハッキリとした視界で名前をとらえ、短く挨拶をすれば同じように返してくれた。…隠し通せばいいだなんて、一体誰が言ったんだ。寝顔を見られたという羞恥心も備わっているが、それ以上に目を開けた時一番に好きな人が目に映るなんて嬉しい事もない。その優しさが滲み出た様な笑顔なんて、起き抜けに見てドキッとしないわけがない。意識してしまった以上、どんな些細なものも気になって仕方がないのだ。

「ねぇ、零君。今日もおでかけしない?」

俺が身体を起こしたことにより空いたスペースに、ぽすりと座りながらそう提案をする名前。折角の誘いを断る理由もなく頷けば、楽しそうに目を細めた。

「どこがいい?」

「昨日は俺の行きたい場所に連れってもらったから、今日は名前の好きな所で良い」

今の言葉に間違いはないが、土地に明るい訳でもない。昨日の花火だって、テレビで特集されていなければ行くことなんてなかっただろう。部活動や宿題に明け暮れていた前年と前々年の夏のことを思うと、今年の俺はとても夏を満喫していると思う。それもこれも、名前のおかげだ。

「うーん、どこがいいかなぁ」

眉間に皺を寄せながらうんうんと唸り、スマホを取り出したかと思うと睨めっこをして考え込む。…どこがいいだろうか。名前に丸投げするような発言をしてしまったが、こうも悩まれてしまうと俺も少しは考えなくてはならないような気がしてしまう。ベタかもしれないが、今の時期出かけるなら海やプールだろうか?…いや、駄目だ。もっと違う場所はないだろうか。

「あ、夕方からだと安くなるんだっけ」

二人して黙って考え込んでいると、ふいに名前が声を上げた。でもそれは、どちらかというと俺に話しかけているというよりも独り言のようなトーンだ。一体何の話だろうと思い手元を覗き込んでみれば、見覚えはないがテーマパークのような写真が映し出されていた。

「人は多いと思うけど、どうかな?夕方からのパス買って…閉園まで」

俺は、名前の好きな所で良いと言ったはずなのに、こうやって聞いてくるところが名前の良さの一つだ。多分、こういうテーマパークは好きじゃなさそうだとか考えているんだろうというのがよく分かる。

「楽しみだな」

こう言うのもなんだが、今の俺からすれば名前と一緒に居られる、行けるという時点で何処でもいいのだから、何を心配する必要があるのだろうか。まぁ、それを口に出すことをしないのだから伝わらないとは思う。ただ、俺が楽しみにしていることが少しでも伝わればいいと思って、口にすれば何かをぐっと我慢するような笑みを浮かべられてしまった。





本棚にある漫画の主人公の良きライバル…?のような人物が乗るのとは色違いの車に乗り、名前は高速道路をすいすいと他の車を抜き走っていく。中三の言う乗り心地なんてたかが知れているかもしれないが、名前は運転も上手だと思うし、悪くない。車高が低いせいで景色はあまり見えないが、ここからしか見えない景色もあるものだと思う。そんなことを考えている間に着いていて、少しずつ西に下がっている太陽のせいで青々とした空の色は少し違って見えた。

「まずは何乗ろう?零君絶叫系いける?」

入場してすぐにかけられた質問、受け取ったパンフレットを名前が広げたのでそれを覗き込んでパーク内を確認する。

「大丈夫、名前は?」

「私も!じゃぁ、ここから行こっか」

どうやら、絶叫系と言われるようなスリリングな乗り物はあまり多くないらしい。名前がこうして聞いてくるということは、人気のアトラクションの一つと言う事だろう。ここからすぐに向かえる位置にお目当てのアトラクションがあるそうで、そこに向かうことにした。慣れたと言えば慣れた。だがしかし、好きな人と手を繋ぐと意識してしまえば別物で、暑さのせいか恥ずかしさのせいかじんわりと繋がれた掌に汗がにじむ。手を繋いでいたいけど恥ずかしい、離したくない、でもこのじとりとした掌が気になると悶々としていると、不意に引っ張られる腕。何処に連れていかれるのだろうか、目の先にあったアトラクションから逸れた位置にある店内に入ったかと思うと名前は嬉々としてそれを手に取った。

「っふふふ、可愛い」

名前の手に持たれたそれは、俺の頭にある。このテーマパークのマスコットキャラクターを連想させる丸い耳のついたカチューシャは俺に被せるべきではないと思う。あからさまに嫌な顔をしていると思うが、名前は俺の表情など見向きもせずに堪え切れなかった笑い声をあげて、ただただ笑うばかり。可愛いと言われるのも正直不本意だ。睨みつけてみても、その笑みを絶やすことなく向けてくるのだから効果は無いとみた。いつまでも、俺と俺の頭にあるそれを見ていられるのも癪だったから、それを取り外し、名前の頭に被せてやる。

「…俺よりも名前の方が似合うだろ」

「…待って、ごめん、アラサーにこれはしんどい…」

さっきまでの笑顔は何処へやら。俺がそう言うや否やがくりと肩を落とし項垂れた。その名前の言うしんどさはつい先ほどまで俺が一身に受けていたというのに、いざ自分の身にふりかかればこうである。何て理不尽なのだろうと思っていると、俯いたまま両手で顔を覆ったのだ。

「え、っちょ…名前?」

今までにないリアクションに正直動揺した。名前に限って泣くことはないと思うが、普通に文句を言われて終わると思っていただけにどうしていいか分からない。

「えっと…似合ってると、俺は思うけど…そんなに嫌か…?」

慰めになるかは分からないが、本心をぶつけてみる。俺の贔屓目なのかもしれないが本当に似合っていると思う。すると覆っていた手が顔から離れ、顔を覗かせたが、その瞳はじろりと俺を睨んでいる。

「嫌と言うより、年甲斐もなくこんなのつけてって思われるのが辛いのよ」

唇を尖らせて拗ねた様な表情の方が年甲斐もないと思うが、そんなことは口にせず、売り場に戻されるそれを黙って見た。名前は自分の年齢を気にしすぎじゃないか?と、思う。アラサーアラサーというが、見た目は実年齢よりも若く見える…と思う。

「…アラサーって言っても、まだ20代なんだろ?」

思わず出た言葉はしっかりと耳に入っていたようで、少しだけ遠い目をしながら天を仰いで深く息を吐いた。

「そうね…27だけど、あっという間に30歳になるよ、うん」

悟りきったかのような表情で力なく笑うが、目は全く笑っていない。何やらぶつぶつと呟き始め、時折何分のいち…とため息交じりに聞こえてくる。俺の倍とか言っているが、何のことだろう…年齢なら申し訳ないが四捨五入すれば俺の倍だろう。

「…零君も私と同じぐらいになれば分かるよ」

何もかも諦めた様な達観した表情で言い切られた。…名前と同じぐらいになるまでは随分と長い年月を過ごすことになるだろう。ただ、男と女では年齢の気にし方が違うと思う気がするから、俺が名前と同じ年齢になったとき…そこまで気にしていない気もする。そんなことを考えながらじっと見ていると、遠い目をしたままの名前がぼんやりと宙を見つめ始めた。

「名前?大丈夫か?」

まさか、年齢一つでそこまで考え込まれる…いや、追いつめられるとは思わなかった。心配になり声をかけてみると、ハッと我に返ったようだった。

「ごめん、ぼーっとしてた…」

「そろそろ行かないと、乗れなくなるぞ」

ただ呆けていただけであればいいが、深追いは禁物だ。俺が聞いたところで名前は上手い具合にはぐらかしてしまうのだから。そう思って、気にしたような素振りは見せずに、自分の手を名前に向かって突き出した。一度だけチラリと俺の顔を見て、遠慮がちに白い手を俺の手の上に重ねる。掌が二人分の熱が混ざり合うのと同時にその腕を引き目的地となっているアトラクションへと足を向ける。俺の気のせいかもしれないが、名前の手があの日差し伸べられた力強いものとは違い、とてもか細いものに感じた。その違和感にきゅっと指先に力を入れると、いつも通りの手の感触にホッとする。名前が何か後ろで呟いたようにも聞こえたが、聞き取れなかったものを聞き返すつもりもなく何事もなかったかのようにその時が流れた。そういえば、俺から手を繋ぎにいく分にはそんなにも緊張しないものなのだなと心の中で一人ごちる。積極的に手を繋ぎに行く自分は想像しても違和感だらけで、何だかむず痒くなってしまった。
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