8.0 (私)
あの後、考えることをすっかり放棄した私の脳内はただ単調な作業のように零君の看病をした。あれだけ眠っていたにも関わらずその後もよく睡眠をとってくれる少年のおかげで私も随分と落ち着くことが出来たように思える。
ライクなのかラブなのか分からないあの発言がどうにも頭から離れないが、気にしていられない。少なからずとも、懐いてもらえていると思ってはいたので前者であれば私も素直に喜ぶことが出来る。ただ何となく、本当に何となくだけれどあの熱にうかされて上気した頬や、起きていた時のあのほのかに潤んでいた綺麗な瞳を思い出すと後者の可能性も捨てきれないと錯覚してしまう。いや、こんな考えをしている時点で駄目だ。お巡りさん、こいつです…!!
こんな調子で次の日を迎えたわけだ。当然だが寝不足である。まぁ、今まで彼氏が全く居たことのない生娘ではないが、一回り年下の少年に言われてみろ、とりあえず取り乱すに決まっている。私自身が零君をどう思っているかなんてことよりも、恐らく本人が一番言うつもりがなかったことがこれまでの様子から窺えることが問題だ。まあ、あれだ、如何にして何事もなかったように振舞うかが重要になる。
…うん、本人が言ったこと覚えてたらどうしようもないんだけどね?寝言ぐらいの感覚で、私が聞いてるだなんて思ってなければ…私が変によそよそしくしてしまうと良くない。覚悟を決めろ!潜入捜査でいくらでもやってきただろう!と、自分の頬を両手で挟み込むようにパチンと叩いて一喝する。気合を十分に入れた私は戦地に赴くかのような緊張感を持ったまま自室を出れば、目の前にはおでこに冷却シートを貼り付けたままの少年がいた。
「お、おはよう」
「え、あ、お…はようございます…?」
私を訪ねて部屋の前にいた零君は、勢いよく空いたドアに驚いた様子だった。それでも、真っ先に挨拶をするあたりが少年らしい。それに対して私はなんてざまだ。違和感のある敬語に疑問形。これでは怪しんでくれと言っているようなものではないか。
「体調はどう?寝てなくて大丈夫?」
言ってしまったものは撤回しようがないので仕方ない。それならば疑問を抱かれる前に、違うことで意識を逸らすしかないと思った私は、質問することにした。
「…ああ、まだ少しだけ怠いけど…」
「そっか…まだ万全じゃないし、退屈だろうけど寝てよっか」
昨日は体力的にも厳しくて自然と眠りについたのだろうが、今日はそうでもないらしい。暇すぎても疲れるだろうが、安静にしてもらうのが一番だ。そう思い寝るように促してみるも、ちらちらとこちらを見て、目が合うと逸らされる。私と零君の間に流れる微妙な空気に先ほどまで部屋で考えていた嫌な予感が過った。すると、沈黙を破るかのようにくぅ、と小さく音が鳴った。どうやらその音は零君の腹の虫のようで、聞かれてしまった恥ずかしさからか顔だけでなく耳まで赤く染めていた。
「そっか、おなか減ったよね。ご飯にしよっか」
そう提案すると、目線はそらしたまま小さく頷いた。どうやら私の嫌な予感は杞憂に終わったようだ。
場所を移動しキッチンへ向かい普段通り準備を始める。食欲はあるようなので、うどんにしてみた。トッピングは気持ちばかりのネギとかまぼこなので申し訳ないが、病み上がりだと言うことを考えるとこれぐらいが丁度良いと思う…私は。
うどんを食べる前に冷却シートを貼り替えてあげれば、その冷たさに少しだけ肩を跳ねさせたが気持ちよさそうに目を細めていた。
テレビとうどんをすする音をBGMにしていると、公開したばかりの映画の特集が組まれていて、私も零君も思わずその映像に見入っていた。スパイものの洋画で、アクションシーンがとにかく凄いのだ。スタントはありだが、CGなしでここまでの迫力ある演出をしたのは流石である。私もこのシリーズのファンでブルーレイボックスをちゃんと購入したクチだ。
「零君、この映画気になる?」
箸を止めたままテレビ画面を見つめる少年に、そう声を掛ければ勢いよくこちらに向き直り、何度か首を縦に振った。
「よし、じゃあ今日はそこのソファ使って今の映画の前のシリーズ見よっか」
食べ終わったら部屋からディスク持ってくるね、と付け加えれば心なしか目をキラキラと輝かせている。よほど零君の興味を引いたのだろう。そして早く見たいのだろう、うどんを食すスピードが若干上がったような気がした。
自室にて丁寧に保管されていたそれを取り出し、中にディスクの入ったパッケージを更に取り出す。今絶賛放映中のそれは今作でシリーズ四作目となる。グロテスクな訳ではないが、このアクションシーンは見ていて痛々しくなる部分もある。パッケージにはPG12との記載があるのが良い例だろう。
私も一緒に見直そうかな、なんて考えながらリビングに向かえばワクワクを抑えきれていない子犬のような少年がスタンバイしていた。なにこれ可愛い。レコーダーにセットしようと電源を入れれば低い音を立てて動き出す音がする。その時に目の前のテレビ画面が芸能人の浮気だの不倫だのについて話しているワイドショーからパッと切り替わり、ざわざわとどよめきの中リポートするアナウンサーが映し出された。
何事かと思いディスクとリモコンを持ったまま画面に見入ってしまったのは私だけでなく、零君も同じようだ。男性アナウンサーの緊張した話し方とその内容から分かったのは、ここからは少し遠い都市銀行で強盗事件があったこと。そして犯人は捕まったということ。重傷になるような怪我人も居なかったようで、ホッと胸を撫でおろした瞬間だった。テレビ画面の端にどこかで見たことのある青年が映っていた。
記憶力は悪くない方だと思っていたが、如何せん多くの野次馬や報道陣のせいですぐに見えなくなってしまい判別にまで至らなかった。一体誰だろうかと記憶を辿るもハッキリとした顔を思い出すことが出来ず、もやもやとしたわだかまりが残る。
「名前…?」
テレビに視線をやったまま動かない私を不思議に思ったのか、零君が恐る恐る声をかけてきた。いけない、つい自分の考えに没頭してしまった。
「ごめんごめん、物騒だなって思って…」
ごく自然な様子を装って申し訳なさそうに眉を下げて謝れば、私が反応したことに安心したのか表情を少し明るくさせたまま首を横に振る。
「…でも、捕まったみたいだし、安心だな」
零君がそう言ったとき、テレビでは丁度上着をかけられた犯人であろう人物が警察官に連行されていく姿が流れていた。
「うん、そうだね。さて、見ようか」
このままテレビに気を取られていては怪しまれるだけだ。そう思い話を切り上げて、ようやくレコーダーにディスクをセットした。同じ映画会社の宣伝が少しだけ流れた後、やっと始まるシリーズ一作目の冒頭が映し出された。序盤から迫力のあるシーンが流れるせいか、零君は興味津々といった様子でテレビ画面を見つめている。普段であれば私も楽しんで観ることのできる映画だと言うのに、先程のもやもやが何ともいえない気持ち悪さを醸し出していて脳内を支配していた。
あれは一体誰だったのだろう。そもそも私の記憶にある人物とテレビに一瞬映り込んだ人間が同じ人物なのかも分からない。おぼろげな記憶のなか見たことがあると言うことは、重要な人物ではないと考えられる。直近で身に覚えがあると言えば、私が謹慎するハメになったテロ組織の下っ端…もとい残党の可能性がある。そういえば、先程のニュースでは凶器について説明がされていなかった。いや、聞く前に映画を再生してしまったのだろう。
ずぶずぶと思案することに飲まれていき、ハッと気づいた時には物語の中盤に差し掛かっていた。ここもまた見所で、主人公のアクションシーンからのカーチェイスはドキドキさせられっぱなしだ。隣にいる少年も例に漏れずその魅力にどっぷりとはまっているようで、映画に集中していない私のことなんて気付いていない様子だった。
ポケットに入っているスマホを取り出して強盗犯の持っていた凶器について調べようと思ったが、やめた。私は謹慎中の身である。ニュースでは犯人は逮捕されたと言っていたのだ。私が気にすることではない。あの時映り込んでいた男だって、私の見間違いの可能性だってある。取り出しかけたスマホを再びポケットの中にしまい込んで、集中できないまま私も零君に倣って映画を観ることにした。
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