8.0 (俺)
夢をみた。ここにて初めてみたような暗い世界じゃない夢。ここに来てからというもの、ずっと隣にいてくれた名前が俺の隣で笑ってくれているだけの、何の面白みもない夢。俺の頭はそれを夢だとハッキリと認識しているのにもかかわらず、俺は満たされていた。寧ろ夢だからこそ伝えられると思った。

好き、名前のことが好き。

ただただ、夢なのをいいことに壊れたおもちゃの様に繰り返す。夢の中の名前は、俺のそんな言葉でさえも嬉しそうに微笑みながら聞いてくれた。夢と言うものが、総て自分の思い通りになるものなら…夢の中だけでも名前と恋人になれたのだろうか。いや、そんな都合のいいものなんてない。俺はまだ中学生で、名前は俺の約倍の歳月を生きているというのに。それでも、一言も発さずにただ微笑みを携える名前はとても綺麗で、夢だというのに思わず息を飲んでしまう。俺がどれだけ好きだと思っていても、それは伝えるべきではなくて、特別になりたいだなんて望んではいけない。ひたすら募る思いを夢でまで実感し、それが叶わぬものだと痛感した。

ふわり、と浮上した意識。カーテンの隙間から洩れる明かりが眩しくて思わず目を細めてしまう。そして徐々に覚醒していく意識のなか、自分がどれだけの間眠っていたかに気づいた。名前がお粥を作ってくれて、それを食べて…気が付いたら寝てしまっていて…それから?一度起きた様な気がするけど…ああ、そうだ。おでこに冷却シートを貼られてその冷たさに思わず目を開けてしまったんだ。それで、その冷たさが気持ちよくなって…この時間まで寝てたということか。いくら何でもねすぎじゃないか?
お粥も食べた記憶が何となくある程度で正直ハッキリと覚えていない。そう思うと途端にお腹が空いてきて、小さく腹の虫が鳴いた。お粥や冷却シートのことで十分に分かるが、きっと名前が看病してくれたのだろう。疲れてまだ寝ているんじゃないだろうかと思いながらリビングを覗き込めば、案の定居なかった。くるりと踵を返して丸の部屋に向かい、その扉の前に立つと夢の内容がフラッシュバックしてドアノブに伸ばした手が止まってしまう。どうしよう、どんな顔をして会えばいいのだろうか?一方的に俺が想っているだけとは言え、あんなあからさまに想いを告げる夢をみてしまったのだ。
どうしたものかとドアの前で焦っていると、ドアの向こう側からパチンと軽く何かを叩く音が聞こえてきた。一体何があったのだろうかと考えている間に目の前の扉が開いた。

「お、おはよう」

「え、あ、お…はようございます…?」

咄嗟に出た言葉がどもってしまったが、仕方がないと思う。そんな俺のぎこちない挨拶を不思議に思ったのかは知らないけど、名前の返した挨拶もどこかぎこちなかった。

「体調はどう?寝てなくて大丈夫?」

疑問形で返されたおかしな挨拶とは裏腹に、名前はすぐに心配したような表情で俺の体調について尋ねてきた。

「…ああ、まだ少しだけ怠いけど…」

「そっか…まだ万全じゃないし、退屈だろうけど寝てよっか」

感じたままの体調をそのまま伝えれば、眉を下げて心配そうな表情のまま再びベッドに戻るよう促してきた。名前の言う通り、万全ではないから寝てた方がいいのは理解できる、そして目が冴えわたってしまったしまった今、ただ横になることが暇なのも簡単に予想できた。空腹を満たしたいだけではあるが、どう伝えたものだろうか…素直に腹が減ったと言えばいいのだろうが、こうやって名前といざ対面してみると夢のことを思い出してしまい気恥ずかしくなってしまう。チラリと視線が合うが、つい逸らしてしまった。どうしよう、変に思われたりしていないだろうか?
そう内心で思い切り焦っていると、その場の雰囲気に似つかわしくないくぅ、と小さな音が鳴り響いた。このタイミングで鳴るだなんて、本当に止して欲しかった。先ほどまで感じていた気恥ずかしさとは違う恥ずかしさがぐっと込み上げてきた。

「そっか、おなか減ったよね。ご飯にしよっか」

察してくれた名前の言葉に頷くことで同意した。キッチンに着いたが、完全に治ったわけではないので普段通りのように手伝いはさせてもらえなかった。俺が手伝わなくてもテキパキと準備をする名前を見つめながら、何を作ってくれるのだろうかと思考を巡らせる。冷凍庫から冷凍うどんを出した時点でメニューは確定、と言ったところだろうか。名前はトッピングが質素でごめんね、と謝っていたが十分すぎるぐらいだ。食べる前に貼りなおされた冷却シートがまだほのかに熱を持つ額に触れて気持ち良かった。
出来上がったうどんをすすりながらテレビを横目に見ていると、さっきCMでも流れていた映画の特集が組まれているようだった。CMを見た時にも思ったが、とても迫力のある映像で驚いた。テレビから聞こえるナレーターの紹介では、CGは一切使っていないそうで、ここぞとばかりのアクションやカーチェイスもギリギリのところまでスタントは使わないようにしたと言っていた。
今まで勉学や部活に打ち込んできたのもあり、映画なんてまじまじと見ることがなかったが、こうして見てみるととても興味深いものだった。気が付いたら、うどんを食べる手が止まっていてその映像に見入ってしまっていた。

「零君、この映画気になる?」

どこか楽しそうに尋ねる名前に向き直り、首を縦に振ったのはいいが先ほどまでの映像に少なからず気分が高揚してしまい思った以上に勢いがついてしまった。

「よし、じゃあ今日はそこのソファ使って今の映画の前のシリーズ見よっか」

どうやら、名前はこのシリーズが好きらしい。食べ終わったら部屋からディスク持ってくるね、と付け足された言葉に心が躍った。早く食べ終われば見られる、そう思うと普段よりも食べるペースが速くなってしまう。我ながら子供じみていると思うけど、それだけ楽しみだった。





ディスクの入ったパッケージを持った名前がリビングに戻ってきた。今公開中のものが四作目のようで、その手には三つのパッケージが持たれていた。まだ体調が万全でないのもあり、ソファに座って大人しく待っているように言われたからじっとしているが、早く観たいというワクワクが止まらなかった。
名前がレコーダーにセットしようと電源を入れている最中、男女のもつれを話し合うようなワイドショーから切り替わり、その映像からは周りの騒がしさやどよめきが伝わってきた。中継先にいる男性アナウンサーの話では、強盗事件があったらしい。それも開店直後の銀行で。物騒な、とは思ったが続けて喋る男性の「言葉から逮捕されたということが伝えられた。恐らく逮捕直後なのだろう、現場の空気は張りつめているように感じた。
テレビカメラの先には多くの野次馬や、同じような報道関係者などがいて、ただただその騒々しさが流されていく。それをぼうっと眺めていると、真剣にテレビを見つめる名前が視界に入った。

「名前…?」

ディスクとリモコンを持ったまま微動だにしない名前に向かって声をかければ、ぴくりと肩が揺れる。

「ごめんごめん、物騒だなって思って…」

思わずテレビに集中してしまっていたことを謝罪された。何となく、あの真剣な眼差しに背筋がぞわりとしてしまったが、今はそんなことが無かったかのようにしていて、少し安心する。

「…でも、捕まったみたいだし、安心だな」

思ったことをそのまま伝えれば、名前は下げていた眉をそのままに、目をきゅっと細めて笑った。

「うん、そうだね。さて、見ようか」

ふと、違和感を覚えた。嘘を吐く時の綺麗すぎる笑顔ではない、その少し不格好な笑顔のせいで何も言えなかったが、話を綺麗な流れで、ごくごく自然に流されてしまったように感じた。明るい話題ではないから、それを変に思う俺がどうかしているのかもしれないが、ただなんとなく。名前そのものに違和感を感じた。
名前の手によりセットされ、再生される映画。いざ始まってしまうと、そちらに意識が持っていかれてしまったのを良いことに、俺はさっき感じたもやもやを無かったことにした。多分、さっきの名前の真剣な表情から、俺が踏み込んでいいものじゃないんだということを感じたから。きっと聞けば、またうまい具合にはぐらかされて自分が力のない子供だということを痛感させられるから。それならいっそ、何も知らない子供のままなら誰も何も傷つかなくて済むから。
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