9.5 (私)
痛い。肩が焼けるような熱を持っている上に、近距離での音に一時的に聞こえなくなってしまっているのか、目の前で涙を堪える零君の声を聞き取ることが出来なかった。
ハッと我に返り慌てて男の方を振り返れば、その場に倒れていた。構えていたはずの物は原型を留めていない…なるほど、改造銃だったか。本物でない以上連発は無理、一発で駄目になるあたり威嚇射撃にも使えない…この男はそれも知らずにくすねてきたのだろう。
都合のいいことに地べたに倒れている男は気を失っているようだった。恐らく今の音を聞きつけた人が此方に向かって来るだろう。そうなってしまえば私もまずい。とりあえず、この男の身動きだけでも取れないようにしてから立ち去らなくては。
じわじわと血の滲む左肩はそりゃぁ痛いけど、動けないわけではない。利き腕をやられなかったのが救いだ。いつの間にか手元を離れていたバッグを手繰り寄せ、その中からお馴染の結束バンドを取り出し、仰向けになってままの男を転がして後ろ手に拘束する。
さて、そろそろ離れないといけない、そう思った時だった。浅黒い肌をした細い腕が私の腹に回された。一体どうしたのだろうと背中に感じる温もりに視線をやると、少年の綺麗な髪色よりも先に黒いスーツを身に纏った男たちが映った。
後輩だ。彼らが到着したということは、ひとまずこの場から足早に立ち去る必要はないのだろう。何やら後輩が喋っているようだがまだ戻らない聴覚では何も聞き取ることが出来ず、おまけにはなっから読み解く気力のない私は背中に零君をひっつけたままポケットに入っていたスマホを取り出し、メモ帳に打ち込む。その際に見えた着歴の数はスルーさせていただく。
"撃たれた時の衝撃で今何も聞こえてない、すまん"
スマホの画面を見せると、ガクリと肩を落とし、先程まで少し焦ったような表情をしていた顔を片手で覆った。
少しの時間を置き、後輩は私のスマホをひったくるように取り上げ、同じように文字を打ち込んだ。
"とりあえず病院"
そう打ち込んだスマホを私に投げて寄越すと、着ていたジャケットを脱いで、スマホと同じように投げて寄越そうとした時。ぱさり、と上から被せられるチェックのシャツ。それは、映画館が冷えすぎてても良くないからと言って無理やり羽織らせたシャツだった。
ぽかんとしていると、何やら眉間にしわを寄せた零君が後輩に向かって話しているようだった。そしてまた、後輩も相変わらずの凶悪な人相で零君に向かって話しかけているようだった。うーん、穏やかな空気ではないだけに、聞こえなくて良かったかもしれない。
連れていかれた病院で処置を終えることにはすっかり聴覚は元通りになっていた。処置を施してくれた主治医の話によると、弾は掠っただけで、今は傷口も縫い終えているから治るのにそう時間はかからないとのこと。ただ、無茶はしてくれるな、とも付け加えられた。適当に返事をしてロビーに戻ると、明らかに不機嫌そうな顔をした零君と後輩がイスに座って待っていた。
「ごめん、心配かけたね」
そう声を掛ければ私の存在に気づいた零君がパッと顔を上げて駆け寄ってくる。
「名前、大丈夫か…?」
しゅんと怒られた子犬のような顔で見てくるのだから、思わず顔がにやけそうになるのを必死になって我慢する。
「先輩、話はとりあえずこのガキから聞いたけど…何すか、コイツ」
気怠そうにイスに座ったままの後輩はジロリと零君を睨みつけながら尋ねてきた。
「今、家で預かってる子だよ」
まあ、勝手に私が保護してるだけなんだけどね。余計な詮索を避けるよう、にっこりと綺麗な笑みを浮かべれば、後輩は気味の悪いものでも見たかのように引きつった表情へと変化する。
「…私このまま家に帰るけど、そっちは任せてもいいよね?」
表情を変えず、口元に弧を描いたまま圧力をかければ、渋々と首を縦に振った。
うーん、それにしても厄介だ。後輩が零君に事情を話したとなると、零君が私のことを気にしないわけがない。待っててと言ったのにその言いつけを破った事も含めて話し合わなくては。
そのまま無言の圧力で愛車を停めていた駐車場にまで送ってもらい、零君が心配そうに見つめる中運転して帰ってきた。リビングについても終始無言のままの少年。さて、どう話を切り出したものか。
「名前」
どうしようかと思案した矢先、少年が今にも泣きだしそうな顔で私の名前を絞り出すかのように呼んだ。
「なんで、なんで…俺なんかを庇ったんだ」
ぽろり、と零君の目から透明な雫が頬を伝い、落ちる。綺麗な青い瞳がゆらゆらと揺れ、そしてまた頬を伝う。
「俺がっ、名前の…名前の言うこと、ちゃんと聞いてたら…っ」
本当は、何で私の言いつけを守らなかったんだ!と怒るつもりでいたというのに。私の為にこうして涙を流す少年のことを叱る気になんてならず、不謹慎にも喜びさえ感じてしまったのだ。もう、私のことを心配してくれる人なんてこの世にはいないと思っていただけに、嬉しかった。
そう思うや否や、身体は正直なもので気が付いたら動いていて、ぎゅっと零君のことを抱きしめていた。
「零君に、怪我がなくて良かった」
あの時こうしていれば、そんなのは所詮結果論。私が零君を叱ったところで、責めたところでこの怪我が治るわけでもない。それよりも、私が零君を守ることができたということが何より嬉しいのだ。大切だと思うものを、守ることが出来たのだから。
「…名前のことが、心配になって…恐くて…」
すん、と鼻を鳴らし目元を乱暴に拭う零君を見て、きゅうと胸が痛んだ。置いて行かれることに人一倍恐怖を感じることも、普通に育ってきた子供が、あんな光景を目の当たりにして怖くないわけないことも、麻痺してしまった私の感覚ではすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
「ごめんね…恐かったね…本当に、ごめんね」
上手く力の入らない左腕は添えただけで、背中に回した右腕に力を込めて更に抱き寄せた。
「…恐かった、けど…名前が死ぬんじゃないかって想像したら…もっと怖かった」
零君の中で、私と言う存在がどんどん大きくなっていくことを痛感した。それは、今の私にとってはとても喜ばしい事ではあったが、これからの零君のことを思うと残酷なことだった。本来あるべき所に帰った時のことを思うと、更に胸が痛んだ。
「…私はね、死ぬこと事態は本意じゃないんだけど…時には死を覚悟しなくちゃいけない仕事をしてるから」
身体を離し、赤くなった目元をそっと親指で撫でれば、少年はその蒼い瞳を丸くして私を見つめた。
「…さっきの人は、教えてくれなかったけど…あの場所にいた他の人たちが"警察"だ、って」
確かにあの場を仕切るためには自分たちが警察関係者であることを言わなくてはならないだろう。私は物理的に聞くことが出来なかったが、零君はちゃんと聞いていたのだろう。
「そうだよ、ビックリした?」
「…何で隠していた?」
「…質問に答えずに、質問するのはどうかと思うよ…」
思わず苦笑いを浮かべてしまった。私がふざけるのを許さないとでも言わんばかりの視線が突き刺さる。
「警察官だけど、私はそうやって言っていい立場じゃないんだよ」
帰ってしまえば関わりなど無くなるのだから。言ってしまってもいいんじゃないか?そう思いはしたが、実際に口に出すのは何故だか憚られてしまった。
「…どういうことだ?」
「そうだなぁ、もし…もし同じ道を選んだら、分かるかもね」
国の為、国民の為。私は自分の仕事に自信と誇りを持っている。目的のためには手段を択ばないし、自分の命だって惜しくない。優しくて聡い、この子には私と同じ道など目指して欲しくない。今の言葉は皮肉のつもりだ。分かってほしいけど、分かってほしくない。零君には、あるべき場所で、平和に穏やかに健やかに過ごし、育ってほしいから。
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