9.5 (俺)
徐々に広がっていく赤黒い色に視線が釘付けになる。頭ごと名前に抱きかかえられていても分かるような大きな音。あの発砲音により何がどうなったか理解するのに少し時間がかかってしまった。認め無くない、嫌な出来事。
「っ、名前!?名前!!大丈夫か!!」
無意識のうちに泣きそうになっていたようで、目の前にいる名前の姿が涙のせいで滲んでいく。俺が名前を呼んでも反応がない、どうしようかと思っていると、ピクリと動き、勢いよく後ろを振り返った。倒れたままの男を一瞥すると、近くに投げ捨てられていたカバンを手に取り、その中身を漁る。あの祭りの時も使っていたものを取り出すと、男に近寄り体勢を変えて後ろ手に固定し始めた。その間も俺は名前の名前を呼び続けたが、全く届いておらず、淡々と作業をこなすだけだった。
その場にへたり込んだまま、その様子を眺めていると後ろから男の声を思われる話し声と、複数の足音が此方に向かって近づいてくる音が聞こえた。集中してその音を聞き取ってみると、先程の発砲音のせいで騒ぎになっているようで、その場を収めるのと現場の確認のために警察が対応しているようだった。
警察が、この現場をみたらどう思うのだろうか。撃たれたのは紛れもなく名前だけれど、所々血が滲んでいたりかすり傷を負っている気絶したままの男は名前により拘束されている。それを伝えようにも俺の言葉が届いていない以上どうしたらいいのか分からなかった。それでも、何かしなくてはと思った俺は無意識のうちにその背中に飛びついていた。
「先輩!」
足音がすぐ後ろまで来たとき、一人の男がそう声を発した。さっき警察だと向こう側で名乗っていた男が、名前のことを先輩、と呼んだのだ。つまり名前は警察官で、この男は少なくとも俺よりもずっと名前のことを知っているということ。その事実が胸を刺す様に痛みを走らせる。子供じみた独占欲が渦巻き、思わずお腹に回した腕に力を込めた。
名前を先輩、と呼んだ男は名前のスマホの画面をみてガクリと項垂れていた。何をしているかが気になり、背中からチラリと様子を伺っていると、男が小さくすぐに耳も戻りますねと呟いていたのが聞こえた。そして、名前から奪い奪い取ったスマホを操作してそれを投げて返す。この男のまるで俺を居ないものとして扱うような態度が無性に気に食わなかった。
病院行くっすよ、と名前に向かい声を掛けた男は自分の着ていたスーツのジャケットを脱ごうとしていた。そのジャケットを名前に手渡すつもりなのだとすぐに分かった俺は、自分の着ていたチェックのシャツを男よりも早く名前に被せた。子供じみた独占欲だが、この気に食わない男のものを身に纏っているのを想像するとイライラした。
「…これで血、隠れるから問題ないだろ」
相手の方が背が高いため、見上げる形になってしまうことさえも嫌だった。鼻で笑う様に吐き捨てれば、もともと良くなかった人相が更に悪くなった。
「チッ、クソガキが恰好つけやがって」
明らかに名前に対してのそれとは違う態度に、やっぱりこの男はいけ好かないと改めて思った。
病院へと向かう名前への同行を拒まれたが、名前がぎゅっと俺の手を握って離さないという行動をとったため渋々ではあるが同行を許可してもらうことが出来た。縫う必要があるからと、処置の為に別室へ案内される名前を見送り、俺はこのどうも好きになれない名前の後輩に値する男と共にロビーに居た。
「…後で先輩には確認するけど…とりあえず見たこと話してもらおうか」
外来の患者や入院の患者、見舞客など大勢の人が行き交うそこは病院とは言えど物静かな訳ではなく、男の比較的小さな声かけは注意していないと聞き逃してしまいそうなものだった。
「何で」
「何でもだ。先輩の手ぇ煩わせるのも面倒だし」
何故お前に話す必要があるのかと言う意を込めて短く声を発せば、面倒くさそうに吐き捨て、足を組んだ。
「…さっき、現場に来たとき"警察"って言ったけど…それに名前のこと"先輩"って、…あんた何者なんだ」
得体のしれない人物に話す必要はない。そう突っぱねるような物言いをすれば、やれやれと肩を竦めて大きな溜息をついた。
「はぁ、俺はおまえの言う通りソッチ側だ。先輩は…まぁ、先輩に聞け」
ま、教えてくれるようならな。と嫌みのように付け足した。この後どんな話をこの男に聞かれるかは分からないが、名前の負担を減らすためにもある程度話しても問題がないと踏み、頭の中で整理して話すことにした。
「…名前と映画を観た帰りに…多分、あの倒れていた男を見つけたんだと思う。俺には分からなかったけど、きっと慌てて追いかけて行ったと思うよ。俺も物音に気付かなきゃ、あの場所に居るだなんて分からなかった」
そして自分が名前の名前を呼んでしまったせいで気付かれてしまったこと、俺との間に入って被弾してしまったこと、そもそも名前には追いかけて来ないよう言われていたことを伝えると男は大きな溜息を吐いてから天を仰いだ。
「っはぁー…何だよそれ、デート?デートなの?先輩こんなガキとデートして楽しいのかよ…」
もっと俺のことを責めるのかと思いきや、全く予想していなかった返答に思わず面食らってしまった。
「あ?テメェのこと責めねぇのかって顔してんな。言いてぇのは山々だが、お前がいることに気づかなかったのは間違いなく先輩の過失だ」
ガシガシと頭を掻き、呆れたような声色でそう言った。
「それに、俺が責めれる立場ってわけでも無ぇしな」
そう言って、男は少しだけ悲しそうに眉を顰めて自嘲気味に笑った。何となく、この人も俺と同じような気持ちを名前に対して抱いているんだなというのが伝わってきて複雑な気分になってしまった。
男の方も、俺との間に流れるこの何とも言えない微妙な空気を感じたのか、それっきり口を閉ざしてしまう。そしてそれは俺も同じだ。
「ごめん、心配かけたね」
下を向いたままただただ沈黙していると、名前の声が聞こえ、顔を上げると姿が確認できたから、急ぎ足で駆け寄った。
「名前、大丈夫か…?」
処置はしてもらったのだろうが、元々来ていた服の上に俺の被せたシャツを羽織っているから、どう処置されたか分からなかった。血濡れの肩口の上に被せてしまったせいで、チェックのシャツは少量ではあるが既に固まっている血が付着していた。
「先輩、話はとりあえずこのガキから聞いたけど…何すか、コイツ」
名前が俺に対して返事をするよりも早く、男が椅子に座ったまま声を掛けた。その際に男が俺に向けた視線には、あからさまな疑念と敵意のようなものが含まれていた気がする。
「今、家で預かってる子だよ」
それ以上何も問わせはしないと言わんばかりの威圧感を放つ綺麗なまでの笑みは、向けられている張本人ではないというのに少しだけ怖いと思った。男の引きつった口元を見ると、その威圧感は相当なものなのだなと改めて思った。
「…私このまま家に帰るけど、そっちは任せてもいいよね?」
そのままヒヤリとした笑みを貼り付けたまま名前がそういうと、男は渋々といった風に頷いていた。俺との間では見ることのない名前の一面に、また少しだけモヤモヤした。
映画館近くの駐車場に名前の黒い車が置いたままになっていたから、そこまで送ってもらったが、その際も本当に一緒に帰るんだなと言わんばかりに驚いたような、それでいて牽制するような視線を送られた。そんなことよりも、名前に運転させてしまうことに対する申し訳なさの方でいっぱいだった。運転する名前を見ても、顔色一つ変えずにハンドルを握っていて、改めて名前の強さを実感した。
運転中も、名前が口を開くことはなかった。それもそうだろう。俺は名前の言いつけを破った挙句、怪我をさせてしまったのだから。呆れられてたって、いや、嫌われたって仕方がない話だ。約束を破ったのは俺なのに、咄嗟のこととはいえ何故俺なんかを庇ったのだろう。
「名前」
震えそうになる声をぐっと押し込めて名前を呼べば、へにゃりを眉を下げ、さっき後輩の男と接していた時からは想像もつかないような優しい顔で緩やかに笑った。
「なんで、なんで…俺なんかを庇ったんだ」
思わず、我慢していた涙が零れ落ちた。もっと怒ったっていいのに、その総てを許すかのような表情に堰を切ったかのようにぽろぽろと落ちていく。
「俺がっ、名前の…名前の言うこと、ちゃんと聞いてたら…っ」
いっそ責めてほしかった。怒ってほしかった。思い切り怒って貰えれば、もっと素直に謝れたかもしれない。それでも、ごめんとかそんな一言で終わるようなことじゃない。だからこそ、怒って貰いたかった。
なのに、名前は怒ったり責めたりするどころか、ぎゅっと正面から俺のことを抱きしめていた。
「零君に、怪我がなくて良かった」
抱きしめられたことにより、名前の声が耳にダイレクトに伝わった。心底安心したような声色は、本当に俺を責めるつもりがないということが明らかなほど穏やかで、目の奥が更に熱をもった。
「…名前のことが、心配になって…恐くて…」
俺のことをもっと咎めればいいのにという感情は気が付いたら頬を伝う涙のように流れてしまっていた。そしてそこに残った感情は、名前が、好きな人が消えてしまったらと言う恐怖で。それが今更になって襲い掛かってきた。
「ごめんね…恐かったね…本当に、ごめんね」
迷惑かけてごめんなさい、そう俺が言わなきゃいけないのに。それなのに名前は俺のことをまるで壊れ物のように優しく、それでいて安心させるかのように包み込んだ。
「…恐かった、けど…名前が死ぬんじゃないかって想像したら…もっと怖かった」
自分に向けられた銃口も、初めて味わう恐怖に足が竦んだけど、それ以上に目の前で血を流す名前がどうなってしまうのかという不安の方が恐かった。自分の目の前で名前がいなくなってしまったら、自分の不甲斐なさを受け止めきれなかったと思う。
「…私はね、死ぬこと事態は本意じゃないんだけど…時には死を覚悟しなくちゃいけない仕事をしてるから」
俺の死に対する恐怖は誰もが抱くようなものだと思う。でも名前は、強い志を宿した目をしていた。その言葉を物語るかのような瞳は、前にも見たことがあった。擦ったせいで赤くなってしまった目元を、名前の細い指先がそっと撫でていく。そしてその瞳と視線が交差した。
「…さっきの人は、教えてくれなかったけど…あの場所にいた他の人たちが"警察"だ、って」
現場に駆け付けた人たちと、病院までついてきたあの男は確かに"警察"だと言っていた。だが、名前については自分で聞けと、そう言っていた。
「そうだよ、ビックリした?」
「…何で隠していた?」
「…質問に答えずに、質問するのはどうかと思うよ…」
そしてまた、ははと小さく乾いた笑い声をあげてはぐらかそうとする。俺は子供で、頼りないし、何かしてあげられるわけでもない。それでも、ちゃんと向き合ってほしかった。
「警察官だけど、私はそうやって言っていい立場じゃないんだよ」
観念した名前は、言い淀みながらもそう口にした。警察官なのに立場を公に出来ない?何故?疑問が浮かび上がり、思案するも尤もらしい答えは浮かばない。
「…どういうことだ?」
「そうだなぁ、もし…もし同じ道を選んだら、分かるかもね」
名前のどこか自嘲めいた返答に、それ以上踏み込んではいけないということを察した。もし俺が警察官を志したら、その同じ道とやらを辿ることが出来るのだろうか。表情からは、知らないまま終わってほしいという感情が伝わってきたが、その時の俺はどうしてか、名前の隣に堂々と立つためにも同じ場所まで行けなくてはならないという漠然とした使命感が生まれた。もし、隣で同じ景色を見た時にその憂いた顔のままだったら、俺の手で何とかしてやることは出来るようになるんだろうか。
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