2.5 (俺)
「…困ったぞ」
名前さんに連れて来られたショップの試着室を出れば、真剣な表情をしながらそう呟いた。今着ているものは店員である男の人が名前さんに、おすすめなんですよと手渡した服だ。自分で言うのもなんだが、試着室内で鏡に映る姿を見て案外似合うものなんだなと思ったばかりだ。名前さんの言葉から考えるに、似合っていないのだろうか?大人なこの女性と比べたら、確かに俺はまだまだ子供だ。
「…似合わないか?」
選んだのは店員だとはいえ、やはり身の丈に合った服装ではないのだろうか。もしそうなら、似合うと思ってしまった己が恥ずかしい…そんな不安を隠しつつ名前さんを見ると、小さく首を横に振った。
「ううん、似合いすぎて困る」
至って真顔で言ったのだ。どうやら、先程から見せていた真剣な表情とは裏腹に、似合っていることで困っていたらしい。選んだ服が似合ってて困るって、どういう状況なんだと思わず眼を丸くしてしまった。頭のてっぺんから、足の先まで確認するように上から下まで俺を見て、うんうんと一人納得したかのように頷いた。
「あ、お兄さん。もっとこの子に似合いそうなの見繕ってください」
「はい、かしこまりました」
5歩ぐらい離れたところに控えていた店員に楽しそうに声を掛けると、にこにこと上機嫌な名前さんを見て、店員も楽しそうに笑って答えた。先程、お金を惜しむつもりはないと宣言した通りここの店で買いこむことに決めたのだろう。似合う、と褒めてくれたぐらいだ。気に入ってくれたのだろう。でも、折角だから店員じゃなくて名前さんに選んで貰いたかった気もする。
「名前さんが選んでくれたっていいのに…」
無意識のうちにそう口にしていた。すぐに顔を逸らしてみたものの、恥ずかしさのあまりじわりと顔が熱をもつ。こんな甘えた、子供じみた欲求を知られたと思うと、恥ずかしくてたまらない。名前さんの顔を見る余裕もないぐらいに。
「折角似合うんだもん。私なんかよりセンスの良い店員さんに任せた方がいいよ」
思った通り、俺の言葉はしっかりと届いていたようだった。ちらりと名前さんの方を盗み見れば、店員の方を楽しそうに見つめていた。店内にある商品を手に取り真剣に選ぶ姿はなかなかの好青年と言ったところだろうか。ちくりとどこか傷んだような気がしたが、俺の目の前に映る光景がなんだか面白くなくて溜息をついて誤魔化した。
「お待たせしました!こちらはいかがでしょうか?」
爽やかな笑みと、数々の商品を携えて店員が戻ってきた。適当に見繕ってとお願いしたが、いくら何でも多すぎやしないか?引きつった表情を浮かべてしまったが、仕方がないと思う。すると、名前さんは何着か適当に受け取り、更にそれを俺に押し付けた。無理やり手渡されたそれを手に、試着室へと逆戻り。着替えるのは正直面倒だ。
でも、また似合うと言ってもらえるのなら、そんな面倒を惜しまずに着替えるのも悪くないのかも知れない。…ドアの向こう側から全部買うとか、ついでにって聞こえたけど…聞かなかったことにしよう…。
さっき買ってもらった服に身を包み、名前さんの後を追って着いた場所は…下着売り場。
「よし、何がいい?昨日はボク…」
「少し黙れ…!!」
この女性は、やっぱり恥ずかしさとデリカシーが欠けているみたいだ。多分、昨日脱衣所に置いておいた下着のことを言おうとしていたのだと思う…。渡された下着は今まさに身に着けているのだから、言わなくても分かる。本当にお願いだから黙っていてほしい。切実に。多少言葉遣いが荒くなってしまったが、敬語は使わなくていい約束だ。現に気にしていなさそうな名前さんはケロっとしている。
「自分で選べる?買える?大丈夫?」
「選べるし買えるし大丈夫!」
失礼にもほどがある。買い物ぐらい自分一人で出来るし問題ないに決まっている。この人は俺を一体いくつだと思っているのだろうか。流石にカチンときたので捲し立てるように返してしまったが、敬語をよそよそしいと言っただけあって特に気にもとめていないようだ。
「はい、じゃあこれお金ね。下着だけじゃなくて、ついでに靴下とか肌着とかも買っちゃってね」
そう言って手渡されたのは二万円。こんなに渡されても、と思ったが余ったら返すだけだ。何の問題もない。…いや、待て。さっきの買い物では現金を手渡すなんてしなかった。なのになんで?この人に限って、下着を買うなら自分は邪魔だよねと遠慮する訳がない。
「どこにいくんだ?」
つまり、名前さんはこの場を離れるという事。置いてかれるとは思わないが、傍を離れるということがこんなにも不安になることだとは思わなかった。
「大丈夫。車に荷物を置いてくるだけだよ?すぐに戻ってくるから」
俺の気持ちを察知したのだろう、安心させるように言い聞かせる声色で頭を撫でてきた。この人にこうされるようになってから、俺は本当にガキくさくなったと思う。これだけで落ち着いてしまうのが少しだけ悔しく感じた。
「…分かった。あまり待たせないでくれよ…」
「はいはい」
「…はいは一回。大人のくせに知らないのか?」
「…はぁい」
悔しい気持ちを隠せずに、つっけんどんな態度をとてしまったが、名前さんは柔らかく笑うだけ。こんなくだらないやり取りでもちゃんと応えてくれるのだから、この人はやっぱり大人なんだなと思った。
どうしてこうなってしまったんだ。
サイズを確認し必要なものを最低限…より少し多めにカゴに入れて会計を済ませる。デザインなどは特に気にもせずシンプルなものを適当に見繕うだけだったから10分もかかっていない。いや、買い物は別に問題なかった。滞りなく終わった。今困り果てているのはこの状況である。会計を済ませ、名前さんを見つけやすい位置に移動しようとすると俺と同じぐらい…?いや、少し年上かもしれない女子達に囲まれた。所謂逆ナンというものだろうか、きゃぁきゃぁと高い声がやたらと耳障りでげんなりする。
「君かっこいいねぇ」
「ねぇねぇ、いくつなのぉ?」
「一人?良かったら一緒に買い物しようよぉ」
何故こんな目にあわないといけないのだろうか?それもこれも名前さんのせいだ。帰ってきたら嫌みの一つや二つ言ってやろう。それにしても、一言も発しない俺に対し無駄に声をかけてくるとはこの女子たちの頭は大丈夫なのだろうか。きっと、というか間違いなく大丈夫じゃないだろう。迷惑です、と顔に書いてあってもおかしくない表情でいるのに気づく様子もないからな。はぁ、こんな奴らに構っている暇など無いのに…囲まれているせいで名前さんを見失ったり、気づいてもらえなかったらどうしよう。そろそろ帰ってこないだろうか、そう思い顔をあげて辺りを見渡せば探していた張本人と目が合った。それだけでホッとしてしまう。ホッとしている場合ではない名前さんのせいでこうなったのだから、何とかしてほしい。そう視線で訴えると、名前さんの雰囲気が変わった。
「零、お待たせ。お友達?」
さも落ち合う予定をしていたかのように、軽く手を振りながらこちらに向かってきた。初めて呼び捨てで呼ばれ、嬉しい気持ちもあるがこの女子達を前にそんな表情をする気にはなれなかった。
「知らない。名前が遅いせいで声かけられたんだけど」
名前さんに対する嫌みとして、そしてまた迷惑だということに気づかないこの女子達に向けて棘のある発言をしてみる。突然の突然現れた俺よりも、自分たちよりも年上の女性に、女子達も固まっていた。無理もないだろう。中身こそ残念だが、名前さんは所謂美人に分類される…と思う。そんな女性と親しい仲にであるととれる会話をすれば、女子達のからさっきまでのにこやかな表情が徐々に消えていく。俺が名前さんをどうして呼び捨てにしたかと言うと、親密さをこの人たちに伝えようと思ったからだ。
「こら、人前ではちゃんとお姉ちゃんって呼びなさいって言ってるでしょ?」
…なるほど。姉らしく接するためにあえて呼び捨てにしたってことか。歳が離れた姉弟、反抗期なら姉のことを呼び捨てで呼んだって問題ないはずだ。
「やだ」
きっぱりと言い切れば諦めたように深くため息を吐いた。出来るならこの姉弟ごっこを早く終わらせたい。そんな気持ちでいっぱいだ。
「ほんと、可愛くないわねぇ…ほら、まだ買うものあるんだから行くよ」
可愛くないとはいいつつも、仕方がないと思っているのだろう、姉がいたら、こんな感じなのだろうか。そう思わせるには十分な演技力だ。自然に手首をつかまれて、この場から連れ出そうとする。ああ、やっぱり名前さんが傍に居てくれると安心するのだ。少し歩いたところで立ち止まり、女子達を見据える。
「ごめんなさいね、姉弟水入らずで買い物したいから…ナンパなら他をあたってね?」
いつも通り綺麗に笑うその横顔から、普段は感じない何かを感じ取った。笑っているのに、威嚇しているような、そんな雰囲気。凄まれたことにより、一層顔色を悪くした女子達は俯きぼそぼそとか細く呟いた。…ツンデレとかシスコンって聞こえたけど聞こえなかったことにする。名前さんは俺の姉ではないのだから、気にする必要は…ないはずだ。走り去る前の呟きは、名前さんにも聞こえただろうか?もし聞こえていたらと思うと恥ずかしくて、力任せに掴まれた腕を振りほどいてしまった。チラリと横顔を盗み見ると、眉を下げてしょんぼりとしているように見えた。俺に代わって取り囲んでいた女子達を追い払ってくれたことを思うと、そんな顔をさせてしまったことが申し訳なくなり、恥ずかしさを我慢し名前さんの右手の指先をぐっと握る。
「…ありがと」
どうやら俺と名前さんの手の大きさはさほど変わりがなく、指先を握ったつもりでいたがこれでは手を繋いでいるも同然だ。お礼を言うつもりがツンとした態度のせいであまり伝わらないかもしれない。更に指先に力を込めると、そこにはまるで愛しむかのような笑顔の名前さん。…もし、もしもの話である。この人が本当に俺の姉だったなら、俺はもっとツンとした態度をしないシスコンだったろう。
4/4
prev next△