「どうしよう……絶対怒られる」
学校まで残り数十メートルの場所で、恐れを感じて足を止めた。教室で待ち構えている現実に対してではなく、恭弥さんへの恐怖である。なぜならば昨日、目が覚めた時は外は太陽の光で明るく、時計の針はてっぺんを指していて。無断で学校を休んだ後悔がじわじわと襲う。
だけどこれは仕方ないことだ、やはり心のどこかでは学校に行きたくないという気持ちがあったのだろう。ああもう、怒られたら開き直ってしまえばいいのだ、咬み殺したきゃ咬み殺せ!
そして重たい足を動かした。
「やあ、優奈」
「!!」
「……驚きすぎ。僕を幽霊か何かだとでも思ってる?」
「思ってないです!ただ考え事してて、いきなり声かけられたのでびっくりしただけです。それより、昨日は無断で仕事も学校も休んですみませんでした」
校門に差し掛かったところで、恭弥さんに声をかけられた。咬み殺したきゃ咬み殺せ……と思っていたけれど、やはりそこは遠慮したい部分ではある。寝坊したということは伏せて、昨日の無断欠席したことについて謝罪すれば、「ふうん」とさして興味なさそうな反応が返ってきた。
「そういえば優奈、自分から標的になったそうだね」
「え、知って」
「もちろん。学校中に広まったと思うよ、昨日、草食動物たちが大声で叫びながら校内を歩き回っていたから」
「……悪趣味」
眉をひそめながら低めの声で呟けば、くすっと笑う声が耳に入ったので視線を向ける。と、そこには面白そうに目を細めている恭弥さん。
「やっぱり面白いね、きみ」
「はぁ、そうですか?」
よくわからないけれど。とりあえず、そのおかげで咬み殺されずに済んでいるのだろうから否定はしなくていいか。別に嬉しいわけでもないけどと思っていれば、ため息が聞こえた。
「早く仕事して。ただでさえ遅刻してるんだから、その分ちゃんとやってよね。じゃないと、咬み殺すよ」
「了解でーす。仕事内容もしっかり把握したし、今日は呼びませんよ!」
「当たり前だよ」
これ以上群れたくないと言って離れていく。
“群れている”の基準がわからないから何とも言えないが、二人でも群れていることになるんだなぁと、黄色い飛行生命物体を肩に乗せて歩いていく恭弥さんを見ていると、コツン、と何かが背中にぶつかった。
振り返ってみるが誰もいない。何かのいたずらかと思ったが、ふと地面に視線を落とすと、そこには白い紙クズ。なんだろうと拾い上げ、ぐしゃぐしゃになったソレを開いた。
今すぐ体育館裏に来なさい!
お呼び出し……?
誰がこんな内容の紙を投げてきたのだろうと、指定場所である体育館の方に目を向ける。するとそこには、軽くウェーブがかかった黒髪の女の子。花だ。
予想外な人物からの呼び出しに少々混乱するが、あたしがそちらに気づいていることがわかったのか、必死に手招きをする(なんとも可愛らしい)花を見て、段々と笑いが込み上げそうになり咄嗟に口元を押さえた。それから周囲を見回し、体育館裏へと駆けた。
「遅い!もっと早く来なさいよ!」
「え、だって……京子もいたの!?」
「うん」
来てみれば早々に怒られてしまったが、そんな花の隣には京子もいて。ますますよくわからない展開。
「えっと、なんであたし、呼ばれ゛っ!?」
「花っ!」
「ふう、すっきりした!」
「え、あの、花ちゃん……?痛いんだけど?」
いきなり殴られたせいか、一瞬記憶が飛びそうになった。じんわりする頬に手を添えて困惑しながら花を見れば、すっきりした表情。そりゃあね、思いきり殴ったもんね。でも待ってね、どうしてこういうことになったのか理解できないよ!
「ほら、京子も!」
「あたしは京子にも殴られるの!?」
背中を押され、あたしの正面に立つ。ぱちりと視線が合えば、京子は少し困ったように笑って、殴ろうか殴るまいか悩んでいるのか手を出したり引っ込めたりと落ち着きがなかった。
その様子がちょっとおかしくて、小さく笑った後、あたしは左頬に添えていた手を離して口を開く。
「いいよ京子」
「え?」
「どんとこい!あたしは、受け止めるから!」
「うっ、うん!わかった……!」
バッチィイン、と乾いた音が響く。
「っ!?」
「ご、ごめん優奈ちゃん!」
今度は不意打ちではなかった。だというのに、先ほどと同じようにあたしは目を丸くして、左頬を押さえることとなった。
京子さんの平手打ち、思いの外、痛いぞ。もしかしてお兄さんの指導でも受けてる?じんじん痛む頬をするりと指で撫で、後々赤い手形が現れてくるかもしれないなとぼんやり思った。
「受け止めました。で、あたしはなんで呼ばれたの?まさかこうして殴られるためだけ?」
すっきりしたかったのもあるけど、と花が言葉を濁しながら京子と目を合わせる。そして、何かを決めたかのように、こくりと頷き合い再びあたしに視線を向けた。
「あんたバカよね、本当に。守り方なんていくらでもあったでしょ、不器用すぎ」
「私たちずっと優奈ちゃんの味方だからね!?困ったことがあったら何でも言ってほしい」
「……あ、」
言葉を受けて、リボーンのセリフが蘇る。
ああ、本当だね。京子も花も、あたしの弱音を聞き入れることのできる優しい子。そんな二人を目の前にしても、もしかしたら弱音なんて言えないかもしれないだなんて、あたしはひどい人間だろうか。
「それにね、私……こんなこと言いたくないけど、優奈ちゃん、消えちゃうんじゃないかって、思って」
「え?」
「そう。それ、私も思ってたの。こんなこと思うなんて、私らしくないんだけどさ」
瞳を潤ませる京子と、髪の毛をいじりながら照れ臭そうに言う花は、本当に対照的だった。けれど、二人が望むことは同じで。「私たちはここにいるよ」と声が合わさる。
その言葉に思わず涙腺が緩んでしまったが、ここで泣いてはいけないと、出そうになる涙を引っ込めるため空を仰いで、笑顔を作った。
「バカだね二人とも!あたしが消えるわけないでしょ、心配性なんだから!」
「なっ、あんたねぇ!」
「早く行かないとチャイム鳴っちゃうよ」
ほら行った行った!と、京子と花の背中を押せば、不満そうな顔をする二人。また教室でねと手を振れば、渋々といった感じで校舎の方へと向かっていくその背中を見送る。
あんまり長居させてしまうと、また、利用されてしまうかもしれないから。
「何か用、常盤愛莉さん?」
「あら、驚いた……気づいてたの」
そう言えば、優奈ちゃんは「もちろん」と余裕そうな笑みを見せてきた。
「昨日はどうしたのかしら休んで。……もう来ないのかな残念だなぁって思ってたから、嬉しいけどね?」
「昨日は寝坊」
「へぇ……教室が怖かったとかじゃなく?」
「そんなことはないよ。確かに頑張れば学校には来れたけど、途中から行ったら恭弥さんに何言われるかわからないなって思って」
「っ、そう」
本当ムカつく性格してる、優奈ちゃん。そもそも、愛莉の手駒にならなかった雲雀さんがどうしてこんな子の味方になっちゃったのか本当理解できない。
「常盤、」
「なによ」
「あたしをいじめたければいじめればいい。でも、これだけは覚えておいて。今度、京子や花を利用することがあったなら、絶対に赦さないから」
「!」
そう言い捨てて、愛莉の横を通って校舎に向かっていく。
ああ、なぁに今の目。ひどく冷たい、背筋が凍るような視線。間近でそれを見てしまったせいか、身体が麻痺したのか少しの間は動けそうになかった。あの子、ただの一般人なの?
「でもまぁ……ふふふ」
わざわざ弱点まで教えてもらえたし、なんてことはない。絶対に赦さないと言われたけれど、忠実な手駒がたくさんいる愛莉に勝てるだなんて思わないことね。
お姫様を守るヒーローみたいな表情を崩してあげる。
来客用に用意されているスリッパを勝手に取り出して、教室に向かう。いやほら、自分の下駄箱からは異臭が放たれていたし、何やらはみ出ていたし……案の定開けてみれば、中からごっそりと生ごみが出てきたわけだ。
色も変色し、履けそうにもない上履きと生ごみを一緒にビニール袋に突っ込んでから廊下に放置した。誰か心優しい人が拾って、捨ててくれると信じて。
3−A
「よし」
穏やかそうな笑い声が飛び交う教室を前にして、あたしはひとり、いじめになんか屈しないぞという意を込めて手のひらで両頬をペチッと叩いてから戸に手をかけた。
ガラリ、と開けたあたしの目に、バケツを持った男子が映る。
バシャアッ
「っ、つめ、た……!」
「おまえが来ることは予想済みだぜ!」
「うわぁ、朝から水浴び?」
「今日ってそんな暑かったかー?くくくっ」
全身びしょ濡れ、床に広がる水たまり、思わずため息が出る。わざわざバケツ一杯に水を汲んで待機しているなんて暇人め。まだ夏とは言えない6月の風は、あたしの身体を容赦なく冷やしてくる。
「つーかなんで来たんだよ」
「あんな奴死んで当然なのにな」
「朝から見たくないもの見ちゃった」
「常盤さんと笹川さんに謝ってよ!」
口々に言葉を投げつける生徒は無視するに限る。濡れた髪の毛を絞りながら自席へと足を進めれば、見るも無残な机。一昨日まで使っていたきれいな机はどこへやら、「死ね、最低、謝れ、ブス」等々……乱雑に書かれた机は真っ黒だった。
それから、白い菊の花が一本、置かれていた。
「おまえ、死んだんだと思ってたんだぜ?」
「これは山本が?」
「ははっ、まさか!オレは野球で忙しいから、おまえに時間かけてる暇もねーのな」
「ああそう」
隣の席に座っている山本は、笑顔を浮かべた。腹の底で何を考えているかわからないその表情は、こちらの恐怖心を煽る。
「それに、今朝も愛莉を叩いたらしいな」
「は?」
「とぼけるのぉ……!?ひどいよ優奈ちゃん……朝、体育館裏に呼び出して、叩いたじゃない!」
泣きながら左頬を押さえて山本の傍に駆け寄る常盤。嘘泣きだとわかっているけれど、本当、すごい演技力だ。まあ、押さえるべき頬は反対なのだが。
「ほら、愛莉泣いてるじゃねーか」
「知らない」
「ねぇ聞いたよ、京子ちゃんたちも呼び出したんだって?」
あたしが呼び出されたんだけどなぁと思いながら、近寄ってきた沢田に視線を向ける。本当、京子が絡むと怖いんだから。
「もう学校来ないでくれないかな」
「嫌だよ。義務教育はちゃんと受けないと」
「なら、来れないようにするまでだよ」
「お、いーなそれ!ツナにしては名案!」
「ツナくん、武くん……」
「愛莉は下がってろよ?別にもう優しくしてやる必要なんてねーんだ、これは、おまえのためにやってるんだぜ!」
「う、うん」
常盤の頭を優しく撫でると、今から始めるのであろう暴力に巻き込まれないよう彼女を後ろへと下がらせる山本。ええ、今から始めるの?
無言で近づいてくる沢田と山本、それから、二人がいるからこそ便乗できるクラスメートたちがぞろぞろ寄ってくる。そういえば獄寺がいないなと視線をさ迷わせた時だった。
「どこ見てるんだよ!」
「うぐっ‥!」
「ほらよ!あ、今のバットでやりゃーよかったか?」
沢田からの強い拳でよろめいたあたしの身体は、山本の方へと向かう。当然支えてくれるわけでもなく、腰辺りに強い衝撃が走り、机や椅子にぶつかりながら床に倒れ込んだ。
全身を襲う痛さと寒さ、なんだか身体中が熱い。ぶるりと身体が震えたと同時、肩に蹴りが入れられ、次には後頭部への痛み。男女の差というものだろうか、頭を上げようにも重力に逆らっている行為であることも相まって、到底敵わない。
「ざまーねぇな」
「井草くん、意外とこういうの好きだよね」
「ど、けろっ……!」
「あらら?おまえ、今のオレにそんな強気なこと言えちゃう立場ですかぁー?」
「ぐっ」
「獄寺の奴、どこ行ったんだ?こういう時、あいつの花火があると便利なのにな」
絶えず押しつけられる後頭部。そして度々襲う腹部や背部への痛みに、呻き声を上げることしかできなかった。頭上では何か言葉が交わされているというのに、水中にでもいるみたいにくぐもっていて。意識、飛ばしている場合じゃないのに。
気絶しないようにと痛いくらいに拳を握りしめていれば、1時限目開始の本鈴が鳴り響いた。もちろん授業を受けるため、あたしの頭に足を乗っけていた井草含め各々の席へと着く。
「放課後、屋上来いよ」
床に倒れて動けなくなったあたしの髪を引っ張り無理やり顔を持ち上げたのは、山本で。あまりにもドスの利いた声でそう告げるものだから、逃げたくなるのは当然で。そもそも、律義に放課後まで残ってあげる人間なんているわけないだろう。
痺れる身体に鞭を打って立ち上がり、教室を出た。どうせ授業に出ていなくても構いはしないだろう、教師だって、全員このいじめに気づいているくせに口出ししてこない。本当、大人はずるい生き物だ。
向かう場所はただひとつ。傷の手当と、水に濡れた制服と髪の毛も乾かしたいし、それに、挨拶もしないといけないなと思っていたのでちょうどいい。
待ち構えているのは変態オヤジだけれど。
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