獄寺のおかげで無事2時限目から授業に出ることはできたが、教室に入った瞬間のクラスメートの反応を簡単に言葉で表すなら、ぎょっ、である。
授業中に暴力なんてものはさすがになかったが、ひそひそ声で悪口を言っていたり、消しかすやらごみを投げてきたり。申し訳ないんだけどここはごみ箱じゃないんだよねと思いながらやり過ごし、授業終了を知らせる鐘が鳴れば、あたしはすぐさま席を立ってトイレの個室へと閉じこもった。男子は入ってこないだろうし、女子からの暴力は今のところ受けたことないから大丈夫だろう。
それにしても放課後、気が重たい。

「では今日はこれで終わりだ。日直!」

「起立、礼」

さようなら、の声で生徒たちは一斉に帰り支度を始める。そんな中、教科書類はカバンの中に入れていたあたしはすぐさま帰ることができる。隣の席が山本なのはわかっているが、もしかしたら逃げ切れるかも!と淡い期待を抱きたくなるもので。カバンを持ち、そっと廊下の方へ歩き出したところで腕が引っ張られる。

「逃げる気かよ?」

「……ええっと、何か約束していたっけ?」

「おまえ、物忘れ激しいのな」

「そういうことでもいいよ」

ちらりと視線を向ければ、あたしの腕を掴む山本の表情は、もはや無。笑顔を浮かべるでも、怒っているでもない、本当に何も読み取ることのできないくらい無表情だった。しかしそれは、この後の展開がとてつもなく冷酷なものなのではと思うには充分な材料で。振り払おうと力を入れるも、さすがに男女の差というもので、ぴくりとも動かない。

「屋上来てもらうぜ」

「い、いや!絶対にいやだ!!」

「岸本、今日はずいぶん嫌がるね。いつもはオレたちを見下すような態度なのに」

腕を掴んだまま屋上へ連行しようとする山本の行動に反抗するように身体の重心をずらしていれば、沢田が寄ってきた。

「そんな態度取ってるつもり、ないけど。まぁ、性格の問題かな……っ沢田こそ、もうちょっと弱そうで、ダメダメな人だと思ってた」

「っ!」

「おまえツナをバカにすんの好きなのかよ!」

腕がぐいっと引っ張られたかと思えば、パシンと乾いた音、それから遅れて頬に痛みが走った。沢田を侮辱されて腹が立ったのか、無表情だった山本の顔はあきらかに怒りに満ちていた。その方がわかりやすくていいなと思ったところで自身の腕が解放されていることに気づき、打たれた頬を押さえながら逃げるように走り出す。

「あっ、てめー待ちやがれ!チッ‥追いかけるぞ野球バカ!」

「言われなくても行くっての」

「ちょっ、待って二人とも!」


* * * * *


「あいつ、意外と足速えーな」

「(つかさっきの階段は何だったんだよ!?)おい!こういう時はおまえあれだ、得意な野球モードでも発揮しやがれ!」

「え、でも山本、今ボールなんて……」

「持ってるぜ?」

ポケットから出てきた真っ白なボールに、思わず、ええ!?と獄寺くんと声を合わせてしまった。いやなんで提案した人も驚くんだよ……。どうする?と言っているかのように、走りながらも器用に手のひらでボールを転がしている山本を見て、こくりと頷く。それを投げて、岸本が足を止めるならば。


「……そんじゃ、」

投球体勢に入れば、山本の表情は一気に締まる。とはいえ、ここは廊下だ。関係ない人まで巻き込まないよう、オレと獄寺くんはなるべく廊下の端に寄るよう注意を促した。
普通なら、廊下でボールを投げるなんてやめとけ、と言われる状況だが、その矛先に岸本がいるとわかれば何も言わない。この学校ではもう、岸本が絶対悪になっているからだ。

「目標、見えやすくなりましたね」

「う、うん」

この廊下にいる生徒たちが廊下の端に寄れば、走っている岸本の姿がよく見えるようになった。そしてこの異様な空気を感じ取ったのだろう、足を止めてゆっくりとこちらを振り返る岸本は、驚きで目を見開いている(ように見えた)。

「いくぜ……っ!」

ビュンッ、と風を切るような音がし、山本の手から離れたボールは一直線に岸本が立ち尽くす場所へと向かっていく。オレが言うのもおかしな話だけれど、山本のコントロールは抜群だ。ここにいる誰もが、あいつの身体の一部もしくはど真ん中に当たるだろうと思っていた。
ボールが投げられてからわずか数秒後、ドゴォオンと到底ボールがぶつかった音とは思えない音が廊下に響き渡る。

「当たった、のか……?」

「いや、当たってない、壁にぶつかった音だと思うぜ」

衝撃により立ち込めていた白煙の向こうを、目を細めて見てみるがよくわからない。でも確かに、さっきの音は人体にぶつかった時に出るようなものではない。ヒバリがうるさいかもな、と笑う山本の言葉に頷けば、獄寺くんが声を上げた。

「おいあいつ、どこにもいねーぞ!」

「えっ」

「……本当だな、」

少しずつ晴れていく白煙の向こうを、目を凝らして見てみれば二人が言うように岸本の姿は忽然と消えていた。あのスピードのボールを避けられた……?それにしても、階段までまだ距離もあるし、廊下にいないのは不可思議だった。
いったい何がどうなっているんだという疑問を残しつつ、ヒバリさんに見つかっては厄介だと考えたオレたちは、すぐさま学校から飛び出して帰路に着いた。


* * * * *


「……」

「危ないとこだったな」

爆発音が背中の方から地鳴りのように響いて顔が青くなるが、目の前のこの状況にもまだ理解が追いついていない自分がいる。

「礼言うくらいできるだろーが」

「あっありがとうリボーン!それよりこんな場所で何してるの、優雅にコーヒーなんて飲んで」

そう、あたしは彼に助けられたのだ。ボールが飛んでくる時に立ち止まっていた場所に、偶然、火災警報器があったのだけれど、それが急にパカリと開いて。
え、これ入れるの!?と思考を巡らせるよりも先に、山本が放った猛スピードでこちらに向かってくるボールを見て、どうとでもなれ!という思いで飛び込んだのだ。

「ここ何?ずいぶん広くて住み心地抜群って感じだけど」

「ああ、学校にはオレのアジトが張り巡らされてるからな。そのうちのひとつだ」

「へえ……この学校どうなってんだか」

「悪いな、オレのダメ生徒が」

「まぁでも、守れる対象に京子が入ったことで、沢田の悩みはなくなったみたいだし、いいんじゃないの」

言いながら小さく息を吐けば、リボーンが珍しくコーヒーを淹れてくれた。ミルクも砂糖もたっぷり入った、あたし好みのコーヒーで、一口飲めば緊張でバクバクの心臓も落ち着いてきた。

「どうだ、任務の方は」

「あー……うん、任務ね」

思わず言葉を濁す。
思い返しても、任務らしい任務ができていない。

「自分のことで精一杯で、周りのことは何も見れてないから進展はあまりないかな」

「階段で必死だったしな」

「なっ‥もしかして見てた!?」

「あんなに階段上るのに命賭けてる奴は初めて見たからな、いいもん見せてもらったぞ」

「何よいいもんって……はっ、まさかパンツ!」

ほんのり口角を上げながらコーヒーを飲むリボーンを見ればすぐにわかった、パンツを見られたのだと。容姿が赤ん坊とはいえ脳内はたぶん立派な大人であるリボーンに見られたのは非常に恥ずかしい。やってはいけないのだけど、恥ずかしさのあまりコーヒーを口につけてぶくぶくと泡を立ててしまった。
下品だと言われると思ったが、リボーンは特に気にする様子もなく、封筒を差し出してきた。

「?」

「イタリアからの手紙だぞ」

「もう返事!?でも、どうしてリボーンが」

「普通に郵便を通したら、おまえがマフィアと関係があるとバレちまうかもしれねーからな。念には念を入れてだ」

「そっか。あ、見てよリボーン、ザンザスがあたしのために字を書いてる、ほんと変なの、あはは」

「……おまえ、あいつらにいじめのこと伝えたのか?」


* * * * *


楽しそうに手紙に目を通している優奈に尋ねると、途端に明るさは消えて、「伝えてない」と淡白な返答。まあそれもそうだな、あいつらに伝えたら、日本まで飛んできてツナたちを問答無用で殺しちまうかもしれない。
優奈が絡むといつも以上に恐ろしくなる奴らばかり。いや、それは、オレも……そしてディーノも同じか。

「リボーン?怖い顔してる」

「なんでもねーぞ」

「そう。あ、もう帰らなきゃ。リボーンも、沢田が探し始める前に帰るんだよ」

「ふっ、ツナが探そうがどうしようがオレは帰らねえ。けど、ママンの料理が待ってるからな」

その言葉に、もう一度「そう」と言い、優奈は廊下に誰もいないことを確認してから出ていった。

任務が始まってすでに2週間以上、いじめが始まってまだ数日。それでも、あいつの身体は傷だらけで、弱り切っている。優奈が音を上げるか、それともオレたちが動き出すか、どちらが先になるだろうか。

残ったコーヒーを飲み干し、オレも帰路へ着いた。


* * * * *


学校を出て、途中までしか読めていなかったイタリアからの手紙を読みながら歩いていれば、視界が徐々にぼんやりしてきて。
まだ2週間ほどしか彼らと離れていないのに、なぜだかひどく昔のことのように思えた。手紙の内容は普通だし、むしろ貶されてたりするのに、彼らが書いたひとつひとつの文字が温かく感じる。

「……泣くな」

すぐにでも溢れ出しそうな涙を閉じ込めるように、ぐっと唇を噛んで夜空を仰いだ。
こんなところで泣いていたら先が思いやられる。大丈夫、あたしは強いんだから!と勇気づけるように両頬をペチペチ叩いたところで、そういえば夕飯の材料を買わないといけないのだと思い出し、スーパーへ向かうためくるりと方向転換をした。ら、目の前に、びっくりしすぎて声も出せないほど近くに。

「……、泣いてるの?」

あたしよりも少し高いソプラノの声で言葉を紡ぐ女の子が立っていた。

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