キーンコーンカーンコーン、と校内に鳴り響く予鈴。ほとんどの生徒は登校し、席について談笑をしているであろう時間に、慌ただしく廊下を駆ける男子がひとり。

「うわっ!危なっ……」

勢いよく教室の戸を開けたことにより、ほんの一瞬注目の的になってしまったツナこと沢田綱吉は、逃げるように素早く自席へと向かった。
次期ボンゴレ10代目であり、門外顧問の沢田家光を父に持つ。周囲からは“ダメツナ”と呼ばれるほどの弱気、逃げ腰……この時点ですでにマフィアのボスには不向きであるが、リボーンが家庭教師として彼に付き、立派なボスに育てようとしている。

「危なかったなー、ツナ!」

そんな彼に爽やかな笑顔を浮かべて寄ってきたのは山本武。
ボンゴレ雨の守護者であるが、いろいろと危険な戦いに巻き込まれているにもかかわらず、マフィアを何かの遊びだと思えるほどの天然ぶり。

「おい野球バカ!10代目は計算したうえでこの時間に登校されたに決まってんだろ!そうっスよね10代目!!」

「ご、獄寺くん……」

険悪な面持ちで近づき山本を一喝したかと思えば、まるで仮面を取り外したかのようにツナを目の前にして満面の笑みを浮かべる獄寺隼人。
ボンゴレ嵐の守護者で、10代目には決して逆らうことなく忠実に従う現役マフィアである。

もうすぐで担任が来るだろうからと二人に席に座るよう促したところで、ひとつ、空いた席が目に留まる。

「京子ちゃん、今日も来てないんだ……」

ツナの斜め前の席、ほんの数週間前までは、にこにこと周囲に花びらが飛んでいても不思議じゃないくらい可愛らしい笑顔を向けてくれていた笹川京子が座っていた。
彼の癒しともいえた存在が、不登校になった。

「笹川スか?あんな奴、放っておきましょう」

「オレも獄寺と同じ意見だぜ。あいつ、愛莉のこと傷つけたんだしよ」

「武くん!そのことはもう気にしてないからぁ……きっと、愛莉が京子ちゃんを怒らせるようなことしちゃったんだと思うんだ」

「ほんと優しいのな、愛莉は」

常盤愛莉。
彼女は、ツナらが中学2年生の春にこの並盛中学校に転入してきた子。ツナたちとは数週間後には仲良くなり、そして彼女もまた、本気か遊びか定かではないがボンゴレファミリーの一員として迎えられている。
これまではリボーンが無茶を言ってファミリー入りさせるのが基本だったのだが、常盤愛莉に限っては、ツナたちが決めたことであった。

「…………」

「10代目、どうかしました?」

「えっ、いや、なんでもないよ」

「しっかし笹川が来なくなってから、だいぶクラスも普通になってきましたね」

一時期の荒れようひどいもんでしたねと言う獄寺に、「そうだね」と今にも消え入りそうな声で返事をした。


* * * * *


「見ぃつけた」

目が覚めたは正午を少し過ぎた頃だった。
まさかこんな時間まで寝るなんてとびっくりしながらベッドから抜け出し、ぼんやりする頭で冷蔵庫の中に入っていた食材(誰かがあらかじめ入れてくれてたようだ)を見つけて、適当に調理をしてお腹を満たした。

それからノートパソコンを起動して、3時間。時計を見ればすでに夕方の4時で、ずっと睨めっこしていれば肩も凝るわ、とぐるりとひと回し。9代目やリボーンが言っていた厄介な人物を調べるには必要な作業だった、頑張った。

「3−A 常盤愛莉」

名前をクリックすればプロフィール画面に飛ぶのだが、まじまじと顔写真を見てしまった。この子まだ14歳だよね?お化粧ばっちりなんですけど。あたしなんて中学時代はスッピンだったのに……今はそんなことどうでもいい。
にしても、いじめの首謀者っていうのはどこの世界でもこういう子がなりやすいのだろうか。ドラマや漫画でも定番の、いかにも「自分中心に世界が回ってます」とでも思っているかのような。

お茶を飲みながら情報を得るために画面をスクロールしていけば、出身地や生年月日、性格、好き嫌いなど個人情報のオンパレード。それから決して一般ルートでは流れることのない裏プロフィールも掲載されている。

「残念、ボンゴレ所属ってことしか書いてない」

もちろんマフィアでない可能性も考えられる。獄寺や山本はモテていた覚えがあるし、そんな彼らと仲良しな女子が自分の他にもいるということに嫉妬してという展開。でも正直、一般人の可能性は半分にも満たない。マフィアが絡んでもいない案件に9代目まで巻き込むのはおかしい。
ボンゴレに恨みを持ち、潰したいと密かに計画を企てているファミリーは数知れず。9代目を狙っても、ヴァリアーという恐ろしい暗殺部隊がいる。であればまだまだ弱そうな10代目を、正式に継承する前に狙い殺してしまえば、ボンゴレは9代目で終わりを迎える。
それにしても、正々堂々という言葉は知らないのだろうか。嫌なことがあったら正面からぶつかっていけばいいものを……ああ、力の差が歴然すぎるからか。

常盤愛莉のページから離れて次にクリックしたのは、笹川京子の名前。

漫画で見たままの顔写真、プロフィール、そうしてスクロールしていけばある一文が目に飛び込んできて、無意識に「ビンゴ」と呟いていた。

「3週間前からずっと休んでるんだ……ただの風邪なわけないよねぇ。登校拒否かな」

ボンゴレと関係のある人間で、さらに女の子となれば思いつくのは笹川京子しかいなかった。
まだまだ将来がある少女なのにこんなところで立ち止まってはいけない。ノートパソコンを閉じ、服を着替えて家を出る。今の時間帯なら迷惑はかからないだろうし、ほんの少しでもいい、彼女と言葉を交わしてみたい。


* * * * *


印刷した地図を片手に辿り着いた一軒家。門には笹川の表札があるから間違いない。インターホンを鳴らし、何気なく2階の窓を見つめる。まだ外は明るいのに、しっかりとカーテンが閉じられていて……なぜだか、外界とつながりたくないという気持ちが表れているような気がした。

『……はい』

「あっ、すみません突然……ええと、笹川京子さんですか?」

『違うけど。あんた、誰』

「(別の人!?)名乗らずにごめんなさい。岸本という者ですが、笹川京子さんとお話がしたくて」

『意味がわからないわよ。岸本なんて人知らないし、怪しすぎる。入れるわけな――』

「常盤愛莉!」

『!?』

「彼女のことについて、話したい、のですが」

誰かわからないけれどこの通話を切られたくない、そんな思いからいきなり核心に触れてしまった。やってしまった……これでは門前払い確実ではないかと肩を落とした時だった。

「京子のお友達?」

「え……」

肩に置かれた手を見、視線を移動させれば見知らぬおばさんが微笑んでいた。が、少し憔悴しているようにも見受けられる表情。何を思ったのか、おばさんは「京子のお友達ならどうぞ上がって」と言う。いやちょっと警戒してください……なんて思ったがこれは好機。
通話の切れていないインターホンは、無言だった。


「で、なんの用なの?」

おばさんに背中を押されて笹川京子の部屋に足を踏み入れて早々、刺々しい言葉と視線を投げてきたのは、黒川花だった。なるほど、彼女は物事の分別がついているようだ。
追い払おうと思ってたのにとぶつぶつ言う彼女がいてくれて、少し安心した。あたしと違って、この子は強くて優しい子なんだなあ、と生前の出来事と重ねてしまったが、笹川さんを視界に映せばそんな思考も真っ白になるくらい胸が締めつけられた。

「あいつの名前をよくも出してくれたわね。京子と話がしたいって言ってたけど、誰だかわからないあんたに話すことなんて何もないわよ」

「……笹川さん、あなた、学校に行こう」

「!」

「ちょっとほんと何よあんた!?まさかとは思うけど、あいつの差し金じゃないでしょうね!?」

「まさか!あたしは昨日イタリアから来たばかりだから、詳しいことは何も知らないよ」

「じゃあ京子の名前を知っているのは?あいつの名前を出してきた真意はなに!?」

んん、なかなか厳しい。これくらい用心深い子が傍にいてくれるのは心強いことだけれど、と思う一方で、肝心の笹川さんと会話ができないことに少々の焦りを感じていた。

「笹川さん、あたしはとある人の依頼で、こうしてあなたの前に現れた。依頼遂行のために少々調べものはしたから、あなたがどうして家にいるのかは知ってる……常盤って人に、いじめられてるよね」

「!!」

「あんたっ……!」

「何もしない、そう睨まないで」

今にも噛みついてきそうな黒川さんを制して、クッションを抱えて座り込む笹川さんに歩み寄りしゃがみ込んだ。揺れる瞳は恐怖の色。あたしの視線とぶつかれば、すっと逃げるように逸らされてしまった。

「ゆっくりでいい、どうしていじめられてるのか、教えてくれますか」

「……っ、わた、し……」

震える唇から、言葉が漏れてくる。

「何も、悪いことなんかしてない……あの子に手を上げたことなんて、なくって。カッターを向けたことも、一度も、ないよ……だけど、私……」

カッターなんて言葉が出てきて、思わず息を呑んだ。まさかカッターで傷つけられましたか?と口にすれば、ゆるゆると首は横に振られて。
あたしのよく知っている、言葉で精神的に追い詰めていくいじめだろうか。それとも……。覚悟を決めて、あたしは「失礼」と言いながら彼女の服に手を伸ばした。

「っ!?」

「ちょっと何もしないって言ってたじゃない!」

彼女の腹部が見えたところで、捲った服を元に戻す。彼女のお腹は、想像以上に蒼かった。おそらく不登校になる前、3週間前のモノだろうに消えていない痛々しい痣。
これからあたしが踏み込むのは、決して生易しい世界ではないのだと理解はできたが、自身の手足がひんやりしていくのを感じて。ああ、この身体は怖がっている。

「痛かったでしょう……我慢も、たくさんしたよね」

「!」

「酷なことを言うかもしれないけど、学校、行きませんか。まだ義務教育を受けてる最中だし、卒業はきちんとしないと」

「はあ?さっきから偉そうに言ってるけど、京子が受けた肉体的精神的ダメージは相当なものだって、今の見てわかったでしょ!?それを義務教育だからって理由で、京子の気持ちも考えずに登校させるってわけ?ふざけないでよ!」

「は、花……」

「学校に行ったって、また京子はいじめられる。誰もこの子のことは信じてくれない!去年の春にひょっこり現れた常盤の言うことはホイホイ信じるくせに、この子のことは、誰も信じてくれないのよ!あの沢田だってそう!」

無茶言わないで!と、怒鳴る黒川さんの目には、涙が溜まっていて。
悔しいのだろう。誰も彼女を信じてくれない中で、自分だけはと守ってあげたい気持ちがあるのに、いざという時には怖くなってしまう。彼女を支えてあげられるのは、学校から離れた場所でだけ。

「花さんがいる。それに、あたしも」

「は?」

「明日から並盛中学校に通うことになってるんですよ。だから、あたしが行くその場所に、笹川さんがいないと寂しい。学校でたくさん話しましょう、あたし、屋上で友達とお昼ご飯とかそういうの憧れで。ほら、青春してるなって感じしません?」

「……ば、バカじゃないの」

笑いながら言えば、苦笑気味だったけれど、初めて黒川さんの笑顔が見られた。
屋上で云々の話は確かにバカなことかもしれない。でも、あたしにとっては絶対に叶えたい夢なのだ。なんせ私立の屋上は施錠してあって簡単に行くことができなかったのだから!この身体のうちに叶えないと一生できない!

「岸本、さん……」

「?」

「私、本当は学校に行きたい……花とも、こうして家の中じゃなくって、教室で、授業の話とかたくさんしたい」

「京子……」

「学校で授業受けたい……っみんなと笑って、過ごしたい。なのに、どうして、こんなことになっちゃったのかな……」

大きな瞳から、ぼろりと大粒の涙が落ちる。
それから堰を切ったようにわんわん泣き出し、そんな彼女の背中を撫でる黒川さんもまた、泣いていた。
今まで我慢してきたのだろう、親友である黒川花にも、兄である笹川了平にも迷惑をかけまいと必死に閉じ込めていた涙。

こんなに可愛くて、優しくて、友達や家族を大事にする笹川京子がどうしてこんな目に遭わなければいけないのか。泣いている姿を見て、今までその感情がなかったわけではないけれど、湧き上がる怒りの感情に手のひらをぎゅっと握りしめた。絶対に、彼女たちを守りたい。

覚悟は、決まった。

どうせリボーンが言っていたように、あたしは存在自体がおかしい人間。顔も身体も別人だ、傷つけられたって構わない。彼女たちがこの先も笑って過ごせる人生を送れるのなら。
これは神様が与えてくれたチャンスなんだろう。生前、いじめられている幼なじみを見捨ててしまったあたしへの最初で最後のチャンス。ぶっちゃけ、そう捉えて言い聞かせないと、途中で挫折してしまいそうなだけなのだけれど。

10代目 沢田綱吉

あんたの超直感は使い物にならないの?
あんたの好きな女の子が、こんなにも泣いているのに、全然気づかないの?

真実も見抜けないような奴らに、将来のボンゴレは任せられない。

prev back next