殴られ、蹴られた身体は、翌日には痣となって出現した。少し動くだけでも、ぐさりと釘でも刺されたかのような痛みが身体中を駆け巡った。痛さに顔を歪ませながら、いつものように冷蔵庫から食材を取り出して簡単な朝食を作り、熱々の作り立てを口に放り込む。ひとりの食事は味気ないなと思いながら咀嚼して、はたと気づく。

「待って手紙書いてない!」

カレンダーを見れば、イタリアから日本に来てすでに1週間以上経っていることは変えられぬ事実。これはまずい。ザンザスが怒っていなければいいのだが……というか、手紙じゃないとダメだろうか、手っ取り早くメールはどう?

愛がこもっているのは、手紙、か。

少し冷めたカフェオレを飲み干して食洗機に食器を突っ込み、洗剤を入れてスイッチを押す。息を吐いて時計を見やれば、時刻は7時過ぎ。急いで支度をして家を出た。


* * * * *


「お、おはようござまーす……」

恐る恐る挨拶をしながら応接室の扉を開け、雲雀さんの姿を確認しようとした。のだけれど、目の前に広がった部屋に人影はなく。確かに数分遅れたが、まさかもう仕事開始したのだろうか?でも校門には誰もいなかったし、ここに来るまでの道のりですれ違うこともなかった。

扉の前で小首を傾げていたあたしの頭上に、声が落ちた。


「何してるんだい」

「うわ!?っとと、雲雀さんこそ何して!」

「……トイレだよ」

突然現れた雲雀さんに驚いて体勢を崩しそうになるが、なんとか立て直してオウム返しをすれば、短い返答の後、あたしの横を通り応接室の中へと入っていった。

なんだトイレか。……雲雀さんがトイレ。
もちろん生理現象なので行くのは当たり前なのだけれど、漫画の登場人物がそういう現実的なことを言うとなかなかに衝撃的だ。慣れたつもりだったのだが、雲雀さんが言うとなんかこう、面白いというか……ってちょっとなんで睨まれたの!?

何もうこの世界の人は他人の心を読めちゃうのデフォルトなの?と額に手を当てて息を吐けば、こちらに向かって手招いてる雲雀さんの姿を捉える。応接室に足を踏み入れ、後ろ手で扉を閉めて彼のもとへ歩を進めた。

「はいはー……いっ!?なっ、にするんですか!」

「……」

椅子に座る彼の近くに寄ったはいいが、油断していたあたしの制服に手を伸ばし、バッと掴み上げた。

「ま、まさか雲雀さん、セーラー服選んだ理由って並中のやつより捲りやすいから!とかそういう下心があっ」

「うるさい。咬み殺すよ」

「すみません」

ぎろりとひと睨みされてしまえば黙るしかなく。そうすると急に冷静になって、そういえばその辺りって蹴られて……!

「こ、これは何でもないです!あたしドジだから転んで……だからそんな、じろじろ見るものじゃ……あだっ」

「転んで作った痣じゃないね。そもそもどう転んだら腹部にこんな痣が作れるのか知りたいくらいだ」

そう言い、肌にさわりと触れる。びくっと身体が揺れたが、ここで華麗に距離を取れるほど、上手に身体が動かせない。冷たい指が触れ、くすぐったいのと痛いのとが混ざり合って変な感覚だ。というか傍から見たらこれ、どういう状況に見えるのだろう。

「これくらい、どうってことないです」

「ふうん。よくやるよね、きみも」

笑顔が天使並みの可愛さを持つんだもの、守ってあげなきゃと思うのが自然だと思わないだろうか。本来はこういう役割って男の人なんだろうけれど……あたし、京子のこと大好きなんだなぁと小さく笑った。

「そういえば、1週間という条件は終わったはずだよ」

「はい。それでなんですが雲雀さん、条件の変更をお願いしたいんですけど」

「ワオ、嫌な予感しかしないね」

「いだっ‥痛っくすぐった……ちょっと!やめてください今絶対遊んでるでしょ!?」

条件変更のお願いを申し出た途端、制服を捲られて露出している痣たっぷりの腹部を容赦なく触ってきた。それまでの触れ方が、雲雀さんなりに遠慮していたことが非常によくわかる変わりっぷりだ。
痛いのかくすぐったいのかはっきりしなよと言いながら触り続けるが、痛いし、くすぐったいんだから仕方ないではないか!


「まあ、きみがきちんと仕事さえしてくれれば何も言わないよ。自由に出入りすればいい」

「ありがとうございます」

「それから、僕からも条件を出しておくよ」

「?」

「呼び方を改めて」

すっと涼しげな視線がこちらを見る。呼び方を改めるというのは、どういうことだろう。雲雀さん……というのは嫌いということだろうか?雲雀恭弥というフルネームのうち、ラストネームで呼ぶことを拒否されてしまった。ということは残された選択肢はほとんどなく。

「……恭弥、さん?」

「敬称なくてもいいけど。まあ、いいや」

まるで独り言のように呟き、でも納得してくれたようでようやく制服の裾が解放された。
それから椅子から立ち上がり、校門に行くよと促してから颯爽と応接室を出ていった。そんな彼を追いながら、背中に向かって小さく、ありがとう、と声をかけた。

服装点検および遅刻者を捕まえるために校門の前で立っていれば、嫌でも耳に入る、悪口。さすがに恭弥さんがいる前で突然殴りかかってくるとか、そういうことをしてくる生徒はいなかったのでよかったものの、生徒たちの視線はあたしを突き刺していく。


朝の仕事が終わり、重たい足取りで教室へと向かう中、教室内はどうなっているのだろうかと思考を巡らす。結局、昨日はあの後、教室に戻ろうとするあたしを花が必死になって止めたので、やむを得ず早退したのだ。

机に落書きでもされているだろうか、むしろ席がどこかへ消えてしまっているのではないだろうかと思いながら教室の戸を開けば、一斉に集中する視線。
それはすべて憎悪や憤怒の入り混じったもので、教室全体がぴりぴりとした空気を漂わせていた。一瞬身体がこわばったが、平然を装って自席へと向かった。

「最低だよなおまえ」

「だから、やってないって言ってる」

「じゃあ、あれは誰がやったんだよ!?」

席に着いたあたしのもとに名前も知らない男子がやってきたかと思えば、机をバンッと叩き方向を示す。朝からぎゃんぎゃんうるさいなと男子を睨んでから、示された方向へ視線を移動する。どうせ常盤が泣いているに違いない、そう思っていた。

「!?」

しかし目に映り込んだものは、違っていた。
泣いている姿に関しては当たっていたものの、それは常盤ではなく、あたしが守らなくてはいけない女の子。

どうして、京子が泣いているの!?
昨日のことで標的はあたしに集中したと思ったのに。京子が見つめる先には、彼女自身の机がある。机上には、大量の生ごみ。

「あれ、岸本がやったんだってな?」

「は……?何言ってんの」

「とぼけんなよ!てめーがやってるところを常盤さんが目撃したんだ!」

「今朝も早くに登校したんだってなぁ?」

「……」

「おい、何とか言ったらどうだよ!?」

目の前にいた男子が机の脚をガッと蹴飛ばしたことが合図だったかのように、他の奴らがじりじりとこちらに寄ってくる。ああ、朝から暴力振るわれるのは嫌だなと椅子から立ち上がろうとした時だった。

「待ってみんなぁ!!」

彼らの動きを止めたのは、嫌でも聞き慣れてしまった常盤愛莉の甘ったるい声だった。

「なんで止めるんだよ!」

「そうだよ愛莉ちゃん!岸本は、きみだけじゃなく京子ちゃんまで傷つけた……!」

「でも、もしかしたら愛莉の見間違いかもしれないし……ねぇ京子ちゃん、これは誰がやったと思う?」

言いながら、常盤は京子の傍に歩み寄って、そっと彼女の肩に手をかけた。その瞬間、京子の肩が恐怖に震えたのを見逃しはしなかった。

「? どうしたのぉ、京子ちゃん」

「……知らないっ!優奈ちゃんは絶対にこんなことしないよ!!」

「やっぱり愛莉の見間違いかなぁ」

目をきゅっと瞑った京子から放たれたあたしを庇う言葉に、常盤はちらりとこちらに視線を寄越した。
ああ、そういうことか。常盤は京子に何か条件を出したのだ……そしてそれに応じることなく、あたしを庇った。それは最もやってはいけないこと。


「じゃあ、いったい誰が京子ちゃんの机を」

今までの経緯から、たとえ京子の必死な叫びを聞いたとしても真っ先にあたしを疑うものだと思っていたけれど、視線を周囲に向けてクラスメートを疑い始める沢田。

「なあ、それより笹川って……いつから岸本のこと名前で呼ぶようになったんだ?一緒にいたことなかったよな」

「そういえばそうだ」

怪訝な顔して、山本は今日までの学校生活を思い返しているようだった。転入初日に、京子には近づかない方がいいと忠告を受けていたし、この数日間、京子と関わっている姿なんて誰も見ていないのだ。それなのにどうして、あたしの名を親しげに呼べるのか。

山本、嘘を作るきっかけをありがとう。

ふ、と短く息を吐いて、京子に視線を向ける。

「ありがとう、京子」

「……え?」

「本当はもう少し利用したかったんだけど、その様子だともう無理みたいだね」

上手に笑えただろうか。ほんの少し首を傾げて貼りつけたような笑みを浮かべて言えば、しんと静まり返る教室。掴みは大成功だろう。

「どういう意味」

「え、わからない?じゃあ、みんながわかるように、わかりやすく言うね」

嫌味ったらしく言葉を紡ぐ。それだけで今にもブチ切れそうな生徒も数名いたが、その様子に小さく笑って、一呼吸置いてから口を開いた。

「あたしね、今まで京子を利用して常盤をいじめてたの。今回みたいに、あたしが不利になるようなことがあれば庇うようにも言った。でも、もう要らない。だからね、あなたの机めちゃくちゃにしちゃった」

「なっ!てめー今までのも全部!!」

「沢田言ってたね、京子に近づかない方がいいよって。でもそれは逆だった。あたしに近づかない方がいいよって、京子に言うべきだったんだよ」

正直、無理のある嘘だ。冷静な人ならば、いろいろと不自然であることに気づくだろうが、今この場所に、その冷静さを持っている人は皆無。好都合だった。

今まで京子が常盤に対して暴力行為をしていたのは、裏であたしが操っていて逆らえなかったから。そういう設定にしてしまえば、怒りはこちらにしか向かない。

「ふざけんじゃねーぞ岸本!」

「っ……!」

突然飛んできた拳に反応しきれず、よろめいて壁にぶつかる。殴られた頬に手を添えながら壁に寄りかかったままでいると、ひとつの影が近づいて。

「ずっと京子ちゃんを利用してたんだ?」

「……そうだと言ったら?」

「絶対に、絶対に赦さない!!」

「ぐっ、」

叫びながら、沢田はあたしの胸倉を掴み上げた。まっすぐとこちらを見る目は、怒りで満ち溢れている。

ねえ、何様なのあんた。
どこぞのアニメのヒーロー気取りでもしてる?

「よくもまぁそんな口が叩けるね。散々京子を傷つけたくせに、これからは守りますよって?ははっ、バカにするにもほどがある、最低なバカ男だねあんた」

「バカ男……オレが?」

「そうだよ。バカでもダメでもどっちでもいいけど……おバカな沢田さん。今までのあたしの言葉、全部嘘だ、と言ってもどうせ信じないだろうから、楽になる方法を教えてあげる」

「……」

「あのね、今までのこと、ぜーんぶあたしのせいにしちゃえばいいの。そうすれば、悩まずに心置きなく暴力を」

「優奈ちゃん!!」

突然呼ばれた自分の名に、身体がぴくりと反応する。沢田の肩越しに、山本に押さえられて動くことができないのに、必死に肩に置かれている腕を振り払おうとする京子が見えた。

いいところなのに、台無しになっちゃうよ。

そんな彼女と視線がぶつかった瞬間、あたしは自身の唇に人差し指を寄せて、ジェスチャーをする。黙ってて、と。

「いやっ‥嫌だよ!!」

「笹川どうしたんだよ、もう縛られてる必要なんてねーのな!」

「京子ちゃん……?」

ぼろぼろと涙を流しながら、嫌だ嫌だと叫ぶ彼女を見て、沢田は困惑気味に彼女の名前を呟いた。

このまま上手くいけばいじめの問題は解決するのかもしれない。けれど、任務のためにはこれではダメなのだ。だからあたしは、容赦なくひどい言葉を浴びせるため、口を動かす。


* * * * *


「京子はもう要らない。庇う必要もないし、解放してあげるから少し黙っててくれないかな」

「優奈ちゃ……!」

「さあ沢田綱吉。あたしは、京子を利用した、そして常盤を傷つけた。ねえ、赦せないよね?これで心置きなく、そして大好きな京子を守りながら、あたしに罰を与えられるよ」

「!!(この感じ……)」

以前にも感じたことのあるものに、ひどく背筋が凍るような感覚に陥った。顔の向きをまっすぐに戻せば、微笑みながらオレを見つめる岸本の顔が、そこにはあった。

そうか、彼女から出た、殺気だ。

ごくり、唾を呑み込んだオレが、彼女にどう映っていたのかはわからない。ただ、微笑みはより一層深まって。


「いつまでも、可愛い可愛いお姫様に騙され続けてればいい。そうすれば、あんたらに任せるよりも、もっともっと輝かしい未来が待ってるだろうから」


何を言っているのか理解が追いつかなかった。未来とはいったい何のことだ、と思考を巡らせている間にも、ホームルームの始まりを告げる鐘が鳴り響く。
それが動く合図だったかのように、放せ、と言われてはっとした時には岸本に胸板を強く押されて、彼女の拘束を解いてしまっていた。

それから1時限目が始まり、とっくに帰るだろうと思っていた岸本。ちらりと教師の目を盗んで視線を向ければ、ペンを動かして何かを一生懸命書いている様子だった。しかも、時たま笑顔を零しながら。

あんな笑顔見たことがない。と思った考えをすぐさま消しながら正面に向き直って、手元に視線を落とした。

あんなことしておいて、よく笑えるな。いや、もしかしたらこの状況を楽しんでいるのかもしれない。だとすれば、岸本という人間はとんでもなく非道だ。


1時限目の授業を無事に終え、2時限目の準備をしている最中だった。

「なあツナ、岸本知らねーか?」

「え?」

「放課後呼び出してやろうかと思ったスけど、どこ探してもいなくて」

いつの間にか、彼女は学校から立ち去っていたようだった。

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