七緒と秘密特訓A
【七緒視点】
マネージャーにしておくのはもったいない。けど、藍の事情を聞いていたからそんなことは言わずに済んだ。
ーー綺麗な射だった。
「マサさんの射にそっくりだ」
「それは言いすぎだよ」
「いやいや、オレはお世辞は言わない男っしょ」
「結構言ってる気がするけど……」
藍は複雑そうな表情を浮かべたけど、"マサさんにそっくり"というワードを出すと少し口元が緩むことをオレは知っていた。
普段のマサさんからの愛が強すぎるから素直になれないだけで、藍も結構ブラコンだ。まあ、蓮さんにべったりだったのは驚いたけど。
一手引き終えた藍は弽をはずしてノートに向かう。手元を覗き見ると、ノートには正の字がいくつか書かれているだけだった。
「それ、何のカウント?」
「百射引くまで数えてる。まだ28だけど」
「あっ、リハビリか」
「ううん。百射引いたらもう弓はやめようと思って」
一瞬理解が追いつかなかった。とっさに藍の顔を見るが、変わらない表情で正の字を書き込んでいる。
書き終えると同時に、今度は藍がオレの方を見て笑った。
「ふふっ、変な顔」
「変な顔って……」
「わかんないよ、先のことは。百射引き終えてもやっぱり続けるかもしれないし、もしかしたら途中でやめるかも」
だけど、少なくとも今はやめるつもりで引いている、と。
「ごめんね、これから県大会予選ってときにこんな話して。七緒は口堅そうだから、つい」
「そりゃ、言いふらしたりはしないけど」
「うん。私、弓引くの楽しいし好きだよ。だから今の話はあんまり気にしないで」
「無茶言うなあ」
「ごめん。……今日は調子良いから、いっぱい引こうかな」
「藍の綺麗な射はもっと見たいけど、いっぱい引いたら百射に近づいちゃうじゃん。複雑だよ」
「……弓道男子はキザな人ばっかなの?」
「えっ、もしかして誰かに口説かれた!?」
「そういうんじゃなくて。ここで引いてたら、湊にも偶然射を見られたことがあってさ。綺麗な射だ、綺麗な弦音だって、真顔で言うんだもん」
「あー、それはなんか想像つくっしょ。天然だよね、湊は」
「そうそう」
藍はいつものように笑った。
「あ、七緒もどんどん引いてね。弓具は貸出用の使っていいから。男子は下僕労働で練習できてないでしょ?」
「そうなんだよ! マサさんもひどいっしょ、合宿なのにさ」
「あはは、クレーム入ってますーって、伝えとくね。でもマサ兄も嫌がらせでやってるわけじゃーー」
あ、と言葉を詰まらせた藍は、顔を赤くして口を覆った。
「普段は"マサ兄"って呼んでるんだ?」
「ちがう、ちがう! 今のは……」
「マサさんは喜びそうだけど。あ、もしかして、蓮さんのことも"蓮兄"呼び?」
「ち、小さい頃だけだから! 誰にも言わないで……!」
本当に恥ずかしかったのか、藍からいつもの落ち着きは消え去っていた。縋るようにオレを見つめる瑠璃色の瞳に吸い込まれそうで、オレはつい意味深な言い方をしてしまう。
「いいよ。オレたち2人のヒミツっしょ」
「……やっぱキザじゃん」
むっと口を尖らせた藍は、いつもより幼く見えた。
*****
それからオレたちはしばらく弓を引いてから解散した。
藍のアドバイスは的確でわかりやすかったけど、マサさん譲りの表現力というかなんというか……。
まあとにかく、思いがけず充実した練習ができたってことでオレは満足だった。
男子部屋に戻ると、まだ電気が点いていた。
「たっだいまー。あれ、何で全員起きてるの?」
「七緒! お前どこ行ってたんだよ!?」
「スマホ置いてっちゃうし、トイレ見に行っても誰もいないし!」
かっちゃんはともかく、他のみんなはてっきり先に寝てるものだと思ってたから、結構驚いた。
「ごめんごめん、ちょっとね」
「まさか、こんな時まで女子と会ってたとか言わねえよな」
あながち間違ってはいないけど。
「女神様に会ってきたんだ」
「は?」
「弓の女神様!」
何言ってんだこいつ、みたいな顔をしているみんなには、まだ教えてあげるわけにはいかないっしょ。