合宿1日目-練習
思いがけず風舞と道場を共用することになった夏合宿。
うちはうち、よそはよその精神で俺らもいつも通りの練習をしていると、ひぐっさんが風舞の方を眺めて口を開いた。
「ねぇ舞田」
「んー?」
「タンデンってなに?」
丹田。それは風舞の男子たちから度々聞こえてくる単語だった。あと息合いとか。
「なにって言われても。このへんのこと」
聞かれた愛生さんは自身の下腹部を指さした。
「それ、弓道と関係あるの?」
「あー、まあ。丹田に力を込めろとか、呼吸がどうのとか、昔よく言われたけど」
愛生さんの言う"昔言われた"ことというのは、母親に言われたことらしい。もう亡くなってしまったが、範士八段の名人だったとか。
「お腹に力入れればいいってこと?」
ひぐっさんは丹田が気になるのか、愛生さんに聞きながら射込みを始めた。
「そういうわけでもないんだよね。それ、そのままやると上半身崩れるから」
「うお、ほんとだ」
胴造りをしたひぐっさんの背中を指先でちょんと押した愛生さん。ひぐっさんはバランスを崩して一歩前に足を出した。
「舞田はできるのか? 丹田ってやつ」
愛生さんとひぐっさんが話していると、だいたい荒垣さんもふらりと現れて参加してくる。今回もその例には漏れず、真面目に射形の研究を始めていた。
矢取りから戻ってきた二階堂は3年生たちの仲睦まじい様子に少し眉根を寄せたが、射の話をしているとわかったのか特に口を出すことはなかった。
「舞田先輩は何でも知っているなぁ。しかしまぁ、よくわからん」
先輩たちを見ながら腹に手を当てつつも首を傾げている大田黒は、壁際に座って水分補給がてらに眺めていた俺の横にどかりと腰を下ろした。
「不破はわかるか?」
「いや、俺もさっぱり。理屈は聞いたことあっけど」
「二階堂は?」
「まあ、多少はわかる」
「そうなのか? さすが舞田先輩の一番弟子だな!」
太田黒の言葉にちょっと嬉しそうな顔をする二階堂。素直なんだか不器用なんだか。
「――まあ、正しい姿勢を取れてれば、自然とここに力が入るから。引くときわざわざ意識する必要はないってこと」
そう言った愛生さんは弓矢を持って射位に入る。
「樋口、丹田触ってて」
「ここ?」
「もっと下」
愛生さんはひぐっさんに自分の下腹部を触らせた。あの人ああいうとこあるんだよな。合理的な指導を優先するあまり、客観的に見てどんな絵面かは後回しだ。しかし羨ましいな、ひぐっさん。
二階堂は案の定、指導と私情の間で葛藤している。
愛生さんが1本引き終えると、ひぐっさんも手を離した。
「どうだった?」
「う〜ん……よくわかんなかった。動かないし」
「わかってんじゃん。そういうもんだよ」
「えー? 丹田がわかれば楽に引けると思ったのに〜」
ひぐっさんは納得していない様子だったが、これ以上つっこむ気にはなれなかったのか引き下がる。
「次、俺も」
荒垣さんはちゃっかり並んでいた。俺も並ぼ。
と思って腰を上げると、
「おい不破」
「なんだよ」
二階堂に阻止された。
「じゃあお前が教えてくれよ」
「キモい」
「愛生さーん! 俺も教えてほしいんすけどー!」
「いいよ。次ね」
近くまで行かずともお願いはできるのだ。愛生さんの返事に二階堂は眉根を寄せた。
「二階堂は? わかってるから別にいい?」
「よくないです。俺もお願いします」
愛生さんは二階堂の扱いが上手い。
「大田黒は?」
「しかし……先輩の……」
若干赤い顔で葛藤する大田黒に、二階堂は浅くため息を吐いてから声をかけに行った。
「大田黒も教われよ」
「えっ。二階堂、いいのか?」
「ああ」
大田黒はよくて俺はだめって。差別だろ。