@ 荒垣・樋口と1年目-4

中崎のアドバイスをもらいつつ、荒垣と樋口は無事に矢と矢筒、弓道着を選んだ。

男子の着付けは愛生にはわからないため、中崎が好意で2人に教えてくれることになり、店の奥に引っ込んでいた。

「いや、そうじゃなくてだな」

「えーと、この紐がここでー……」

「おいおい、それじゃ結べないだろ」

と、にぎやかな声が時折聞こえてくる。どうやら樋口は着付けに苦戦しているらしい。というか、実際樋口の扱いに苦戦しているのは中崎の方だろう。

愛生は待っている間、店内を見て回っていた。壁一面に展示されている弓も眺めてみる。

中崎弓具店は学生客が多いこともあり、グラスやカーボンの在庫が豊富だが、竹弓も置いてあった。

「……大会だし、やっぱ、グラスかカーボンにしようかな」

射形が安定するのは竹弓だが、グラスやカーボンの方が競技には向いている。中崎たちが戻ってきたら素引きをさせてもらおうかと考えていると、

「普段は何を使っているんだ?」

聞き慣れない声が頭上から降ってきた。

愛生が声の主を振り返ると、そこにいたのは長身の若い男だった。知らない顔だが、彼も弓を持っていたことからこの店の客だとわかる。

思ったより近くにいた青年に、愛生は思わず一歩移動して距離を取った。

「ああ、突然すまん。つい気になっちまったもんでな」

少し髪の長いその青年は、後頭部でちょこんとしたポニーテールを結っている。

「……普段は竹弓です。親のお下がりですけど」

「へえ。すごいな」

すごいのは自分ではなく母だと、愛生はこの言葉を言われるたびに内心で否定していた。しかし、これ以上広がる話でもないので、社交辞令で返すのが常だった。

「いえ、そんなことありません」

取ってつけたような微笑みを向けられた青年は、こりゃ振られたなと――もとよりナンパのつもりはなかったが――苦笑した。

「そうだ、中崎さんに用があったんだが、取り込み中みたいだな。出直すとするか」

「あ……」

「じゃあな」

青年はそう言ってあっさり店を去って行った。

部員が中崎を独占していたことで用事が果たせなかった彼を、私情であしらってしまったことで、愛生の中に多少の罪悪感が生まれる。しかし今更どうすることもできず、愛生は気持ちを切り替えようと一息吐いた。

それから少しの間、また店内を見ていると、着付けを終えた2人が中崎と共に戻ってきた。

「舞田、見て見て〜」

嬉しそうな樋口と、キメ顔の荒垣。中崎は疲れた様子だった。

「中崎さん、ありがとうございます」

「ったく。こいつら、愛生ちゃんの言うことちゃんと聞いてんのか?」

「聞いてます」
「聞いてま〜す」

「聞いてんのか……」

即答した2人に脱力する中崎。この光景に愛生は思わず笑みをこぼす。

「2人とも似合ってるじゃん。次からそれ着て練習しよっか」

愛生に褒められて浮かれた2人は、今なら中りそうな気がするなんて話をしながら、私服に着替えるためまた店の奥に戻った。

「あ、お前ら、ちゃんとたたみ方も覚えて行けよ!」

中崎もそれを追って行き、愛生は再び店内に1人になった。

*****

私服に着替えて戻った荒垣と樋口は、買い物カゴを持っている愛生を見て驚いていた。

「舞田、そんなに買うのか?」

「……色々見てたら、つい揃えたくなっちゃって」

カゴの中には替え弦やギリ粉、下がけ、握り革のほか、ミニチュア弓具のキーホルダーなどこまごましたものが入っていた。

「愛生ちゃん、久々に来てくれたんだし、サービスしてやるよ。ご新規さんも連れてきてくれたしな」

中崎の言葉に3人はお礼を返し、無事に買い物を終えた。最後に持参していた弓具のメンテナンスをサービスしてもらい、辻峰に戻るべく店を出る。

琴葉には朝一で来ていたが、いつの間にやら昼過ぎになっていた。

「お腹空いたな〜」

「どっか寄っていくか。って言っても、このへんの店はわかんないけど」

「そういえば、舞田、中学はこのへんだったの?」

「うん。桐先ってとこ」

「それって、弓道の強豪校だよな。この前ちょっと調べたときに見た名前だ。確か高等部もあったはずだけど」

「うん。全国常連校だね」

「なんで辻峰に来たの?」

「父親の転勤についてきただけ」

「そうだったのか。舞田のお父さんに感謝だな」

「確かに〜」

荒垣の言葉を聞いた愛生は思わず足を止めた。それから何か言おうと口を開きかけ、しかしやめた。

「舞田?」

突然立ち止まった愛生に、2人も歩みを止めて戻ってくる。

「あ……ごめん、なんでもない」

愛生は訳あって、父親のことを心底嫌い、同時に恐れていた。しかしこの2人にそんなことは一切伝えていないため、愛生と父親の関係など知るはずもなく、荒垣としては何気なく言った言葉だった。

「2人とも、何食べたい? 駅の方に行けばお店あるから、行こ」

愛生は2人の興味が逸れそうな話題を出した。愛生もお腹は空いていたし、顔見知りと遭遇するのも面倒だから、早く辻峰に戻りたいという気持ちもある。

「焼肉食べたいな〜」

「昼からか? ファミレスとかでいいんだけど」

「ファミレスもいいなぁ」

「樋口は食べられればなんでもいいわけね」

なんだかんだで、ファミレスに行くことになった。

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