先輩とはじめての-1
※桐先時代のお話です。
来週に県大会の選手選抜を控えた弓道部員たちは、いつも以上に熱心に練習していた。
「先輩、射込みは?」
「飽きちゃった。ちょっと休憩」
「じゃあ俺も」
道場の後方には畳の敷かれたスペースがある。そこに腰を下ろして水分補給をしていた愛生のもとに、二階堂が現れた。
「二階堂、調子どう? あ、ダジャレじゃないよ」
「いや、わかってますよ……まあ、それなりに。先輩は調子良さそうでしたね」
「まあ、それなりに」
大会に向けての練習のため、2人は正面打起こしで引いていた。
「あ、そうだ。二階堂、これ読んだことある?」
愛生はかけ袋からスマホを取り出して、画面を二階堂に見せた。映っているのは通販サイトの商品ページだ。
斜面打起こしの射法に関する書籍で、定価とはかけ離れたプレミア価格がつけられている。
「ああ……それ、存在は知っているんですけど、もう絶版でしたよね」
「うん。この前、母の遺品整理してたらこれが出てきたの。読む?」
「本当ですか? 読みたいです!」
「ん。今日、時間あるならうち寄って行ける? しばらく親父帰って来ないし」
「えっ、先輩の家に……」
「? うん」
「……行きます」
愛生は何の気なしに二階堂を誘ったような口ぶりで、二階堂の動揺には気づいていないふりをした。
二階堂と愛生は恋人同士だが、付き合いたてというわけでもない。
しかし、二階堂は愛生への憧れと尊敬からか、なかなか段階を踏めずにいた。最近やっと手を繋いで人通りの少ない道を歩いたくらいで、愛生はもう少し距離を縮めたいと思っていたのだ。
父親がクソ野郎だから会いたくないし会わせたくないということは、二階堂には言ってある。だから、家に誰もいないという情報は変な意味で言ったわけではなかった。
しかし結果的に誘っているかのような物言いになってしまったことに気づき、恥ずかしくなってきた愛生は二階堂から目線を逸らす。その行為が"誘ってる感"を増長させることにまでは気づいていなかった。
二階堂も二階堂で、愛生の反応を見てどこかそわそわし始める。
「ーー2人とも、うちのエースなんですから、しっかり練習してくださいね」
2人のもとに現れたのは微笑みをたたえた本村だ。愛生と同じく副部長であり、愛生と二階堂が付き合い始めたことに最初に気づいた人物でもある。
二階堂は愛生との時間に割り込まれて少しむっとしたが、本村の正論に口答えはしなかった。一方で、愛生はむずがゆい空気を強制終了してくれたことに多少感謝していた。
*****
部活後の帰り道。
電車の座席に並んで座った2人は、各々スマホをいじっていた。
二階堂は叔父である茂幸とのチャットに夢中になっている。
その様子に愛生は少し不満を抱いたが、茂幸に罪はないと諦め、暇つぶしにかわいい小動物の画像を検索して眺めることにする。
二階堂と茂幸の会話の内容といえば、最近は愛生のことばかりだった。
甥っ子の二階堂のみならず、きょうだい弟子である愛生のことも我が子のように想っている茂幸は、しきりに近況を聞いてくる。
『愛生ちゃんとはどうなんだ?
うまくやってるか?』
『大丈夫だよ。
来週、県大会の選抜がある』
『それならよかった。
永亮と愛生ちゃんなら大丈夫だろう』
『正面で引かなきゃいけないけど』
『どちらにも良い所はあるんだ、
経験しておいて損はない。
愛生ちゃんは何て言ってるんだ?』
『斜面の方がコスパ良いって。
俺もそう思う』
『愛生ちゃんらしいな』
茂幸の笑う顔が二階堂の目に浮かんだ。叔父が元気そうにしていることに安堵して、一言二言交わしてからチャットを終える。
二階堂はスマホをしまい、隣に座る愛生を見た。目に入ったスマホの画面には彼女の好きそうなかわいいハムスターの写真が並んでいたが、少し俯いている愛生の目は閉じられていた。いつの間にか寝落ちてしまったようだ。
「先輩、もう着きますよ」
「……ん……あ、ごめん寝てた……」
肩をちょんと叩いて声をかけると、愛生は目を覚まして二階堂を見上げた。
学校で見せる落ち着いていてしっかりした先輩ではなく、少し気の抜けて無防備な愛生の姿に、二階堂はえも言われぬ興奮を覚える。
それを気取られないよう平静を装いつつ、愛生の家までの道を歩いた。