柱合裁判
【明野視点】
柱合会議だと思って来たら、今回は柱合裁判だった。
産屋敷邸の庭の綺麗な玉砂利の上に、傷だらけの少年が運び込まれてそのまま転がされた。
そして隠の後藤さんが、その子を起こそうと叩いている。やいやいいつまで寝てんださっさと起きろ、と。
柱合、と名のつく集まりだったが、柱はまだそろっていないらしい。不死川くんと伊黒くんの姿が見えない。……あっ、伊黒くんは木の上にいた。
私の横には天元さん、蜜璃ちゃん、煉獄くん、時透くん、行冥さま、しのぶちゃんが並んでいる。
ところで義勇はなんでそんな離れたところにいるんだろう。並んだ方がいいと思う。
――という視線を向けてみると、ちょっと目が合ってすぐ気まずそうに逸らされた。悲しい。
ともあれ、みんな少年を見て、いつ目を覚ますかと様子を伺っていた。
「天元さん、あの……この子なにしたんですか」
「聞いてねえのかよ」
私は天元さんの隊服を摘まみ、小声でこっそり聞いた。任務から帰って来たばかりのところを呼ばれたから、ろくに用件を聞いていなかったのだ。
というか、私の鴉はちょっとぽんこつなので、内容を伝えきる前に木にぶつかってひっくり返った。その様はもう、あの、あれだ、派手派手であった。
くるくる目をまわした鴉を拾ってきただけだからほとんど何も聞けていないし、鴉は屋敷に置いてきた。
聞いているのは"炭治郎"、"禰豆子"という名と、禰豆子が鬼だということだけ。
まあ、この子がその炭治郎くんなんだろうし、鬼と仲良くしていたのなら裁かれても仕方がないか……と裁判の内容を想像する。
…………。
…………あれ?
――もしかしてこの子、義勇が昔育手に預けたって言ってた"鬼を連れた子供"なのでは。
「!!」
これはまずい。気づいてはいけないことに気づいてしまった。
私はその話を聞いたとき、"義勇が決めたならいいんじゃないかな、将来有望そうだし"とか呑気なことを考えていた。2年ほど前のことだ。
……義勇どころか私も隊律違反では?
「――てめえ、地味に無視とは良い度胸だなオイ」
「いたっ。……すみません」
天元さんに背中をどつかれた。裁判の内容を教えてくれていたみたいだけど、私は正直それどころではなかったので全然聞いていなかった。ごめんなさい。
そんなこんなしている間に、炭治郎くんが目を覚ました。混乱している様子だ。
「柱の前だぞ!」
後藤さんの言葉に、炭治郎くんはこちらを見て目を見開く。
「何だぁ……鬼を連れた鬼殺隊員っつうから、派手な奴を期待したんだが……地味な野郎だな、オイ」
「うむ! これから! この少年の裁判を行うと! なるほど!」
天元さんはがっかりした様子だが、煉獄くんはいつも通りまっすぐだ。
炭治郎くんはさらに混乱していて、後藤さんに窘められている。
「ここは鬼殺隊の本部です。あなたは今から裁判を受けるのですよ、竈門炭治郎くん」
さすがしのぶちゃん、この場をまとめに入ってくれた。しかし、
「裁判の必要などないだろう! 鬼を庇うなど、明らかな隊律違反! 我らのみで対処可能! 鬼もろとも斬首する!」
……煉獄くん、せっかちすぎる。裁判なんだから、せめて罪状は確認しないと罰は決められないと思う。
「ならば、俺が派手に頸を斬ってやろう。誰よりも派手な血飛沫を見せてやるぜ。もう派手派手だ!」
天元さんまで勝手に殺そうとし始めた。しかも"お前もやるだろ? 勝負だ!"とか言ってくる。
「やらないですよ、派手さで天元さんには勝てませんし……」
「それはいい! 明野さん、ぜひやってくれ!」
なんで。煉獄くん、なんで。
「君の剣の腕ならば、少年1人の斬首などすぐに終わるだろう! 居合術には介錯の型があると聞くしな!」
「駄目だ地味すぎる! 明野、派手に斬れ!
斬首でどう腑をぶち撒けろと言うのか。
あと斬首なんて当然やったことないんだけど……だめだ聞いてない。
「刑罰なのだから、速やかに終わらせるべきだ!」
「刑罰だからこそ、派手にやったほうがいいんだろ!」
この2人は何で張り合ってるんだろう。
……ちなみに私は、刑罰は派手なほうがいいと思う。見せしめになるからだ。
視界の端で義勇がおろおろし始めた。無表情に見えるけど、絶対あれ困ってると思う。私も困る。
「明野ちゃんが困っているわ、可愛いわ……!」
蜜璃ちゃんの向こう側、しのぶちゃんが笑顔でイラついているのが見えた。怖い。
それから困った柱たちが好き勝手に話している間に、炭治郎くんは何やら叫び始めた。
「禰豆子! 禰豆子、どこだ! 禰豆子! 善逸! 伊之助! 村田さん!」
連れてこられる直前まで一緒にいた人たちだろうか。というか、いま善逸って言った?
それが私の知っている善逸であるならば、多分私にこの子は殺せない。なんだか親しそうだし。
「あの……私、人間の首は斬りたくないです。先にお館様のお考えを聞いたほうがいいと思います」
そもそも本部に呼ばれているのだから、お館様には何らかの意図があるはずだ。
天元さんは地味に小突かないでほしい。
「そんなことより、冨岡はどうするのかね。拘束もしてない様に、俺は頭痛がしてくるんだが。胡蝶めの話によると、隊律違反は冨岡も同じだろう。どう処分する。どう責任を取らせる。どんな目に合わせてやろうか」
お館様を待つ流れにしようと思ったら、伊黒くんがいつも通りネチネチし始めた。義勇をいじめるのが好きなのかもしれないが、義勇は悲しんでいるのでやめてほしい。
義勇は相変わらず離れたところに立ったまま、置き物のように無反応だ。
「まぁ、いいじゃないですか、大人しくついて来てくれましたし。処罰は後で考えましょう。それよりも、私は坊やの方から話を聞きたいですよ」
しのぶちゃんは義勇のことは割とどうでもよさげだった。
確かに、今は炭治郎くんが鬼を連れていた理由を聞き出すほうが重要だろう。
……私は知っているけれど。口に出す気はないけれど。
とはいえ私がそれを知っていることも、お館様は承知していそうで恐ろしい。もしそうなら数年間泳がされていたことになる。やりかねない。
炭治郎くんはしのぶちゃんの質問に必死で答えた。
――2年以上の間、禰󠄀豆子は人を喰っていない。禰󠄀豆子は自分と一緒に鬼殺ができる。これからも人に危害は加えない。
要約するとそういう主張のようだ。
私は義勇からの事前情報があるから信じられるけど、ほかの柱はそうはいかないだろう。
私とて、信じてはいるが証拠はほしい。
というか、私が信じているのは炭治郎くんでも禰󠄀豆子ちゃんでもなく義勇であるし、残念ながら義勇はほかの柱からそれほど信頼されていない。
それに義勇と恋仲である私の同意では、説得力がないだろう。伊黒くんや不死川くんにはむしろ反発されそうだ。
「話が地味にぐるぐる回ってるぞ、アホが。人を喰ってないこと、これからも喰わないこと――口先だけでなく、ド派手に証明してみせろ」
さすが天元さん。やるときはちゃんとやる師範。私もそれには同意だった。
*****
……証拠がほしいとは言ったけど、不死川くんのやり方は強引すぎやしないかとは思う。
隠から奪ったらしい禰󠄀豆子ちゃんの入った木箱を、日輪刀で滅多刺し。
日の光の下だからかもしれないが、反撃はない。
炭治郎くんがそれをやめさせようと行動したところで、ご子女たちと共にお館様が姿を見せた。
……お館様は、やはりこの2人のことを容認しておられるようだ。
しかし大半の柱はそれに反対している。
「明野、君の意見はどうかな」
みんなが口々に意見する中で黙っていたせいか、名指しされてしまった。
……絶対揉める、けど。
「私は……今すぐ禰󠄀豆子を処分する必要はないかと思います。炭治郎、冨岡についても、厳しい処罰は不要と考えます」
「説得力があると思うか?」
そう言ったのは天元さんだった。
「思いません。いち柱としての、ただの意見です」
ただ、
「禰󠄀豆子には
感情ではなく、鬼殺隊への利益という点で、柱たちを納得させる道はないかと模索した。
今の言葉のすべてが嘘とは言わないが、さすがに私も禰󠄀豆子ちゃんを餌や囮、駒として使い潰してやろうとまでは思っていない。
炭治郎くんは私の意見を聞いて怒りの表情を見せたが、なぜかすぐに冷静さを取り戻していた。とはいえ焦ってはいるようだったけど。
それから少しして、私たちのまとまらない様子を見て、ご子女の1人がなにやら文を取り出した。
病で読むことができないお館様の代わりに、ご子女がそれを読み上げる。
『炭治郎が鬼の妹と共にあることをどうか御許しください』
それは義勇の育手――鱗滝左近次からの文だった。
『もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は、竈門炭治郎及び鱗滝左近次、冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します。』
その一文が読み上げられた瞬間、私は義勇に掴みかかりそうになった。
それから感じたのは、炭治郎くんと禰󠄀豆子ちゃんへの理不尽な怒り。
すんでのところで止まれたのは、横にいる天元さんのかげだ。
炭治郎くんは先ほど後藤さんたちによって蝶屋敷に運ばれて行き、本部には柱のみが残っている。
私は、せめて炭治郎くんの姿が見えなくなるまではと、平静を保つように努めていた。
「明野、大丈夫か」
「大丈夫……大丈夫です……なんとかします……」
冷や汗が止まらなかった。気分が悪い。指先が冷たくなってきた。お館様の前に跪いた姿勢のまま、蹲ってしまいたかった。
「あの、すみません……ちょっと、お手洗いに行かせてください……すぐに、戻りますから……」
「明野」
少しよろけたところを義勇が支えてくれた。でも、お礼を言える余裕がなくて。
「義勇は……私以外のために、その命を使おうとしているの?」
「っ、違う」
つい、言ってしまった。小さい声だったから、義勇以外には聞こえていないと思うけど。
「時雨木テメェ、この状況で何考えて――」
不死川くんの抗議にも答える余裕はなかった。
しかし私が勝手に立ち上がって歩き出すと、その声は止まった。お館様が口を開かれたからだ。
「構わないよ。気を付けて行っておいで」
その後、抗議する者は現れなかった。
*****
明野が一旦退席した後。
「明野が戻るまで、いちど休憩にしようか」
産屋敷のその言葉に、柱たちは反論せずとも怪訝な様子を見せる。
「ふん。時雨木は戻ってこられるのかね? おい冨岡、なぜ時雨木を追わなかった。時雨木がああも取り乱しているのはどう考えてもお前が原因だろう。前々から思っていたが、やはりお前は信用できない。柱にも時雨木にもふさわしくない」
伊黒に対して冨岡はいつものようにだんまりを決め込むかと思われたが、
「関係ない」
発したのは、考えうる限り最悪の返事だった。
「冨岡さん、いくらなんでもそんな言い方はあんまりではないですか?」
「ひ、ひどいわ冨岡さん!」
次に口を開いたのは胡蝶と甘露寺だった。
胡蝶は明野との付き合いを通し、冨岡の言動が常に言葉足らずであることを承知している。
しかし、今回ばかりは大切な友人である明野をぞんざいに扱われたように思えて、堪らず伊黒に同意した。
「関係なくはないだろう! 冨岡と明野さんは恋仲だと聞いている! 大切な女性を傷つけてはいけない!」
「くだらねェ。早いとこ別れるこったなァ」
「嗚呼……なんということだ……明野を悲しませるとは……償いは死で足りるだろうか……」
「あー……よくわからないけど、冨岡さんが悪いよね。悲鳴嶼さん、すごい怒ってるし」
明野が退席したことで、次々に冨岡への非難が集まった。産屋敷はその様子を静観している。
ここまで反論しなかった冨岡だったが、宇髄への反応は違った。
「オイ冨岡、俺からも派手に文句を言わせてもらうぞ。それにお前が関係ねえってんなら、明野をうちの
「っ、ふざけるな!!」
まるで置き物のように微動だにしなかった冨岡が、宇髄の言葉には激昂し声を荒げた。しかし宇髄は動じない。
「あの歳で鬼狩りしかしてこなかった女、他に貰い手なんていねえよ。明野は俺の嫁たちと仲良いし、俺とも相性抜群だから歓迎だ。それに
宇髄の発言は冨岡の真意を探るためのものであり、もちろん本意ではない。
愛弟子をこうも思いもしない言葉で罵ることに抵抗はあったが、それほど冨岡の態度は宇髄には理解しがたいものだったのだ。
しかし宇髄の言葉を聞いた冨岡が日輪刀の柄に手をかけたことには、宇髄のみならず他の柱たちも驚愕した。
産屋敷邸の中、それもお館様の目の前での抜刀など言語道断。
その上相手は音柱だ。刃を向けることは明らかな隊律違反である。
これ以上はまずいと誰もが思った。
冨岡にもかろうじてその意識はあったのだろう。柄に手をかけて宇髄を睨み上げるのみで、結局抜刀はしなかった。
鬼殺隊士にはいささか皮肉な表現だが、冨岡の表情はまさに鬼の形相である。
「いい加減にしてください、冨岡さん。宇髄さんは、あなたを煽るためにわざと言っているんですよ?」
「おい胡蝶、バラすなよ」
「宇髄さんもやりすぎですよ〜?」
胡蝶の怒りを浴びて、宇髄は溜息を吐いた。それから腕を組み、何も言わず冨岡を探るように見つめる。
「えっ? えぇっ!? 今のは嘘だったの!? 宇髄さんと冨岡さんが、明野ちゃんを取り合ってケンカをしているんじゃなかったの!?」
「甘露寺、今はやめておけ」
この状況でも密かに胸をときめかせていた甘露寺に、伊黒は頭を抱えつつも制止した。
胡蝶と宇髄のやり取りを聞いた冨岡は柄から手を離すも、宇髄を睨む目は変わらない。
「さっきのは方便だがこれは真面目な話だ、冨岡。お前の真意がどうあれ、今後もその態度で明野を傷つけて平気な顔をするってんなら、本当にうちに迎えるからな」
「必要ない」
"だからお前、そういうとこだよ……"と、冨岡以外の柱全員が思った。
しかし冨岡は言葉を続ける。
「明野は傷ついていない。明野は俺の妻だ。だから宇髄の妻にはならない」
「きゃ〜! 熱烈ね、素敵だわぁ……! ――あっ、あの、冨岡さん! 明野ちゃんが傷ついていないって、どうしてそう思うんですか?」
冨岡の発言に高揚した甘露寺は、上擦った声でそう聞いた。
内心"愛の力ですか!?"とも聞きたかったが、さすがに空気を読んで我慢する。
「明野は強い。頭も良い」
甘露寺の様子には構わず、冨岡は淡々と答えた。
「明野はじきに戻ってくる」
*****
一方その頃明野は、厠で1人、反省していた。
「はぁ……」
――私の考えが浅かった。
義勇を責めるのは違う。義勇はちゃんと彼らについて教えてくれていた。
義勇から話を聞いた後、2人を殺しに行こうと思えば行けた。
様子を見に行こうと思えば行けた。でも行かなかった。
義勇が、炭治郎くんのことを見込みがあると言ったから信じた。自分で考えなかった。
……と、明野は頭の中を整理するため独り言を続ける。
「うぅ……でも、義勇の命がかかるのは……」
明野にとっては、よく知らない相手である炭治郎や禰󠄀豆子のことなど二の次だった。
そんなことよりも、もし仮に義勇が腹を切るようなことになれば、そのとき自分が何をしでかすかわからないのが怖かった。
育手の鱗滝という人のことを、義勇が大切にしているのは知っていた。
祝言をあげる前に挨拶に行きたいとも言われていたし、義勇にとっての鱗滝とは、自分にとっての桑島のような人なのだろうと思っていた。
先ほど読まれたのは、その鱗滝がしたためた文だ。きっとあの内容は義勇と示し合わせたわけではないのだろう。しかし、義勇が反対するわけもないということは十分に理解できた。
それに鱗滝への感情だけではない。
そもそも、義勇のしたことは鬼殺隊士としてはすでに斬首となっていてもおかしくない行いである。方法はどうあれ、もとより責任を取る必要があった。
無罪放免というわけにはいかないだろうと思っていたからこそ、明野は先ほど"
……起きた事態を考えれば、切腹は妥当かとも思っていたが。
ともあれ今回は禰󠄀豆子が不死川の挑発を退けたことで事なきを得たが、今後どうなるかは誰にもわからないことだった。
「先のことは……考えても仕方ない……」
明野は激情的な性格傾向を持ってはいるが、それは主に恋愛面において顕著になるもので、その実頭は回る方である。
"義勇が腹を切る"という内容にかなり動揺はしていたが、冷静になれば自分の中で折り合いはつけられた。
それよりも、先ほど義勇を責めるような物言いをしてしまったことに対しての罪悪感の方が大きかった。
「義勇が、義勇の命をどう使おうが、それは……」
――義勇の勝手だ、とは、どうしても思えなかったけれど。
自分の命にしてもそうだ。何があろうと、義勇の知らぬ間に勝手に死ぬなどありえない。義勇が悲しむからだ。そう思っていた。
「……そうだ。義勇が……、義勇が私の知らないとこで勝手に死んだら、殺そう!」
そう結論付けると、明野は会議の場に戻るべく歩き出した。
……明野も結局、口より先に手が出る人である。
*****
明野が柱合会議の場に戻ると、なぜか冨岡が玉砂利の上に伸びていた。
自分が席を外したこの数分で、一体どんなやり取りをすればこんなことになるのか。明野は不思議でならなかった。
それによく見れば、不死川と伊黒は明野に背を向けているが、肩を揺らして笑っているのが丸わかりだ。
――あ、また私が見てない間にいじめられたんだ……。
明野は瞬時にそう思った。
「あっ、明野ちゃん! 戻ってこられたのね!」
「顔色は悪くなさそうですね。良かった」
明野が戻って来たことに気づいた胡蝶と甘露寺は真っ先に駆け寄ってくる。
「うん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。……あの、ごめんなさい、会議中断させちゃって」
「お館様も構わないと仰ってくれたんですから、気にしないで大丈夫ですよ」
「お館様、申し訳ございませんでした。お時間を頂きありがとうございます」
先ほどは礼を言う余裕もなく立ち去ってしまったことを思い出し、明野は産屋敷に頭を下げた。
「明野、頭を上げて。もう大丈夫かい?」
「はい」
明野のはっきりとした答えに、産屋敷は微笑む。
思ったよりも落ち込んでいない明野の様子に胡蝶と甘露寺は少し拍子抜けしたが、安心のほうが大きかった。
「……ところで、義勇はどうしたの?」
冨岡は玉砂利の上でうつ伏せになったまま動かず、そのすぐ傍では悲鳴嶼が"南無阿弥陀仏……"と涙を流している。
その様子を見て爆笑する宇髄。笑いを堪える伊黒と不死川。ごみを見るような目で眺める時透。
「冨岡は失神してしまったのか! よもや!」
煉獄はいつも通りだった。
「天元さん、何で義勇が失神してるんですか!?」
誰も義勇を助けようとしないのは同僚としてどうなの、と明野は思ったが。
「あ? あー、悲鳴嶼の旦那に派手に殴られて伸びた」
「行冥さま! 何で義勇を殴ったんですか!?」
「強いものは、確かに傷つきにくい……。しかし、強さは……傷つけてもよい理由にはならぬ。その
「……えっと……」
――ちょっと、何を言ってるのかわからない。
明野は絶句した。
「義勇、大丈夫? 起きられる?」
「……ハッ!」
とりあえず、伸びている冨岡の肩を明野が揺さぶると、冨岡は弾かれたように顔を上げた。
「明野……!」
そして飛び起きた冨岡は、明野の姿を見るなり――抱きしめた。
「えぇっ、ちょっと、義勇!?」
「うわ……。場所くらいわきまえたら?」
時透の正論が突き刺さったが、冨岡は挫けない。
「義勇、お話は帰ったら聞くから、いったん離れてくれる? まだ会議中だよ。私が中断させたんだけど……」
「……わかった」
冨岡は素直に体を離す。
急に抱きしめられたため気付かなかったが、よく見ずとも冨岡の左頬は赤く腫れていた。
「うわぁ、痛そう。ほっぺた、帰ったら冷やそうね」
「……」
冨岡は、うん、と頷く。
「明野ちゃんも冨岡さんも、かわいいわ……!」
甘露寺の呟きを聞いた胡蝶は困惑した。明野はともかく、冨岡はかわいくないだろう、と。
そして明野に甘やかされて満足げな冨岡に、先ほどまで笑っていた不死川と伊黒は舌打ちを隠さない。
「オイ明野! お前は冨岡を甘やかしすぎだ! もっと派手に尻に敷け!」
と、会議は踊ったのだった。
*****
かくして再開された柱合会議。
議題が裁判から変わる前に、明野は挙手をした。
「なんだァ、また便所かァ?」
「ううん。……不死川くんは、これを聞いたら便所の方がまだマシだと思いそうだけど」
冨岡をいじめる者に対して慈悲はない明野である。
不死川を嫌ってはいないが、殴られて倒れている冨岡を笑っていたことには、ほんの少しだけ腹を立てていた。
ちなみに怒りがほんの少しだけなのは、十中八九冨岡の態度が原因でああなったのだろうと思っているからだ。
「申し訳ございません。私は、知っていました。竈門炭治郎が鬼になった妹を連れて、鱗滝さんのところで修行をしているということを、2年前に、冨岡から聞かされていました」
「何ッ……見損なったぞ時雨木。貴様も所詮は冨岡の女ということか」
「……うん、そう。ただ、私はその件について、冨岡からお館様へ報告が済んでいるものだと思っていましたが」
「!?」
明野の横で、冨岡は何も言わずとも驚愕していた。
――そうだよね、ごめん。でもこのくらいのなすりつけは許してほしい。
明野は内心で冨岡に少しだけ詫びる。
ただ、そもそも明野とて当時は"さすがにお館様には報告しているだろう"と思っていたため、決して嘘を吐いてはいない。
話を聞かされてしばらくしてから、義勇の独断だと発覚したのだ。明野としては、肝を冷やすどころか、冷える肝もなくなったと思うくらいの衝撃だった。
――でも、それを知ってからもお館様への報告をしなかったのは、私の独断だ。
そして明野は腹を決めた。
「今後禰󠄀豆子ちゃんが人を襲うことがあれば、私が冨岡の介錯をして、その後腹を切ってお詫びします」
「待て、お前は関係ない! なぜそんな話になる!?」
冨岡は慌てて否定した。確かに明野には隠し通せまいと話はしたが、巻き込もうとしたわけではなかった。
「いや、関係はある! 冨岡が鬼を見逃したと知っていながら、明野さんもまたそれを見逃したということだから、隊律違反だろう! これはキツいな!」
煉獄の言葉に反対する者はいなかった。
「禰󠄀豆子ちゃんが人を襲わないことの証明はすでに済んでいるけど、それが違えられたときに私が受ける罰はさっき言った通りです。……それより、私と義勇を仮にこの場で処分すること――つまり柱が2人欠けることによる、鬼殺隊への不利益を考えてほしいの」
「おい待てェ。何でテメェが受ける罰をテメェが勝手に決めてんだァ?」
「…………言えば通るかと思って」
明野の答えに、宇髄はすかさず頭をはたいた。
「アホか! もっとうまく答えろ!」
「無茶です! 勢いで喋ってるんですよ今!」
「派手に肝が据わってんなお前!?」
「考える時間を与えたら終わりですから!」
元師弟による、小声かつ高速の息の合ったやり取りであった。
「――確かにな! 明野の強さは俺がド派手に保証する。冨岡も柱の中じゃ古参だし、2人が抜けりゃ勝てる戦いも勝てなくなると思うぜ」
宇髄の助太刀をありがたく受け取った明野は、うんうん、と頷き、
「お館様はどう思われますか?」
他の柱には意見を求めず、産屋敷に全てを委ねた。
「そうだね、私は――」
産屋敷の出した結論に、抗議する者はいなかった。
*****
結局、明野の思惑通りに事は進んだわけだが、明野は内心冷や汗をかいていた。
――禰󠄀豆子ちゃんが人を襲いませんように。禰󠄀豆子ちゃんが人を襲いませんように。禰󠄀豆子ちゃんが――
こればかりは禰󠄀豆子自身にしかどうすることもできない。
とりあえず、明野はこの後蝶屋敷に行って、まずは炭治郎と交流を持とうと計画した。
2人の動向に命がかかっている以上、ある程度こちらの言うことに従ってもらえるようにしなければ、と明野は考える。そのために、彼らには信用してもらう必要があった。
……明野が今後の計画を練っている間に会議は進み、いつの間にかひと段落ついていた。
"お前話聞いてなかっただろ"と宇髄に言われたが、全くもってその通りである。また頭をはたかれた。
ちなみに、その様子を見て冨岡が少しむっとしているのに気づいたのは宇髄だけだった。
「夕刻、また集合するように。一度解散にしよう」
産屋敷はそう言い、子供たちと共に退席するかと思われたが、不意に彼は動きを止めた。
そして、その定かではないはずの視線が、確かに冨岡に向けられる。
「――義勇」
突然の指名に、皆の視線が集まった。
「明野とは、しっかり話をするようにね。夫婦円満の秘訣だよ」
「……御意」
未だ片頬を腫らした冨岡は、深く頷いた。