蝶屋敷にて
柱合裁判の後、炭治郎が療養している蝶屋敷を訪れた明野。
裁判の際には目にしただけで直接の会話はなかったが、自身の目的のため、端的に言えば仲を深めにきていた。
明野は当然義勇の味方であるので、炭治郎に対して悪い印象はない。
「あ、しのぶちゃん。お邪魔してます」
「あら、明野? どうかしたんですか?」
アオイの案内で病室に向かう途中、偶然しのぶと顔を合わせた。
「炭治郎くんの様子を見に」
淡々と話す明野に、しのぶは"相変わらずの冨岡さん馬鹿ですね"と呆れる。口には出さないが。
「そうでしたか。経過は良好ですから、安心してください」
「うん、ありがとう。またね」
「はい、また」
手を振る明野に会釈をして、しのぶは去って行った。
「病室はこちらです」
きびきび歩くアオイについて行くと、大部屋に辿り着く。
「すみません。ひとり、すごくうるさいのがいますが……」
と、アオイの言う通り、部屋から漏れ聞こえる声はまさに叫び声だった。
「……あ」
薬を飲みたくないと騒ぐその汚い高声に、明野は聞き覚えがあった。
明野が動く前に、アオイはいらだちを隠さず病室の扉を開け放つ。
「いい加減にしてください!」
喚き声の主を叱るアオイに続き、明野が病室に入ると、まず炭治郎と目が合った。
「あっ! あなたは、柱の――」
「あ"ーーーー!!! 嘘だろ!? なんでここにねえちゃんがいるんだよ!? えっ、ていうか、ほんとにねえちゃんだよねえええ!?」
炭治郎の言葉を遮って、アオイに叱られていた善逸が飛び起きる。そして短くなった手足でなんとか移動し、
「ああそうだ間違いない!! この柔らかくて大きなお乳は間違いなく、ねえ、ちゃん……」
明野の胸に突進したかと思えば、いきなり失神してその場に崩れ落ちた。
「ぜ、善逸!? いきなり何やってるんだ! 失礼だろ! っていうか、大丈夫か!?」
「……あ、ごめん。つい、反射で」
無遠慮に胸に飛びついた善逸の首に両腕を回し、締め技で落とした明野はハッとした。
「竈門くん、ええと、はじめまして」
「えっ」
炭治郎とアオイは揃って"善逸は放置なの?"と思ったが、平然と話を続ける明野に呆気に取られてしまっていた。
しかし柱からの挨拶を無視するわけにはいかない。
「初めまして! 竈門炭治郎です! よろしくお願いします!」
柱合裁判でお互い顔は見ていたが、実質初対面。細かいところは突っ込まなかった。
「時雨木明野です。よろしくね」
「はい!」
「……」
「……」
「あの、鳴柱様……私は仕事に戻りますね」
「うん、ありがとう。またね」
アオイは沈黙に耐えかねた。
そして、先ほどしのぶにしたのと同じように手を振る明野に一礼し、足早に病室を出て行った。
挨拶を終えて口を閉ざした明野と、戸惑う炭治郎。そして布団に倒れた善逸。
「ええと……時雨木さんは、どうしてここに?」
「竈門くんの様子を見に。……善逸がいたのは、驚いたけど」
「そんな、わざわざありがとうございます……! ところで、善逸とお知り合いなんですか?」
「弟弟子」
善逸を指さして言う明野。
「ということは、時雨木さんは雷の呼吸を使うんですね」
「うん。鳴柱なので」
「そうでしたか!」
ふふん、と胸を張る明野から友好的な匂いを感じ取った炭治郎。
先の柱合裁判の場では気になる発言をしていたが、それは自分たちへの敵意ではないと匂いで気づいた。そのため明野への警戒心はもうほとんどなくなっていた。
それから明野は思い出したように善逸の首根っこを片手で掴み、そのまま適当にぽいっと投げて布団に寝かせた。
「善逸うるさいでしょ。ごめんね」
「あはは……。でも、善逸にもたくさん助けられましたよ!」
「そう」
明野はここで初めて表情を崩した。少しだが微笑んで見せた明野に、炭治郎も安心する。
「時雨木さん、なんだか冨岡さんに雰囲気が似てますね」
同じ柱である義勇とは交流があるだろうと思い、話題に出した炭治郎。
正確に言えば、雰囲気というよりは単にまとう匂いが似ている。例えるなら家族のよう。
それゆえ、仲良いのかな? という興味だった。
「……そう?」
途端に、明野から歓喜と恥じらいの混ざった匂いが流れてくる。
「付き合いが長いから、似てきたのかも」
「そうなんですか!」
「ちょっと待て、誰だよそのトミオカって奴」
いつの間にか復活していた善逸が、血の涙を流していた。
「ねえちゃん、鬼殺隊に入ってまさか男なんか作ってないよね?」
「善逸、何を聞いてるんだよ。それに呼び捨てにするなんて失礼だぞ」
「うるせええぇ! 俺のねえちゃんを渡してたまるかよおおお!! それじゃあもうお乳触れないじゃんかよおおおぉ!!」
「こら! さっきから女性の体に勝手に触れるなんてあり得ないだろ!」
「やだよおお、捨てないでよねえちゃあああん!!」
善逸はピーピー泣き続け、明野は困り顔で胸に顔を埋めた善逸の頭を撫でる。
炭治郎もこれには困惑していた。
善逸が姉弟子を大切に思っているのは十分に理解したが、今善逸から感じ取れる匂いは下心そのものだ。彼は今なお明野の胸に顔を埋め、ちゃっかり両手まで使って縋り付いている。
「あの、時雨木さん、抵抗しなくていいんですか……!?」
純粋な悲しみや寂しさからくる行為ではないと判断した炭治郎だったが、明野があまりにされるがままなので心配になってきた。
「善逸はまだ子供だから、仕方ない」
いやいやいや、そいつ絶対弟弟子の立場を利用してますよ! と、言っていいのか悪いのか。
炭治郎が迷っていると、明野は突然思い出したように善逸の顔を上げさせる。髪の毛を引っ掴んで、強引に。
こんなぞんざいな扱いをしているにも関わらず、明野から悪意は感じないし、善逸からも拒否や嫌悪を感じない。
姉弟弟子の関係性とは元来こういうものなんだろうか? と炭治郎の思考は迷走し始めた。
「善逸、お薬飲める?」
「嫌だ! この屋敷の人、あんな苦いものを1日5回も飲めって言うんだよ! ひどくない!?」
「飲ませてあげようか?」
「え"っ!? く、口移しで!? そんな、俺……ぜひお願いしますっっ!!」
「はい寝て」
またしても首根っこを掴まれ放り投げられた善逸。明野はその鼻をつまんで強制的に口を開けさせる。
包み紙を開けて、中の薬を善逸の口内に流し入れた。
「あ"ああああ〜っ! ねえひゃん! にあい! にあいよおおお!!」
「鼻つまんでるから苦くないよ」
それから明野は水も適当に流し入れ、薬ごとすべて飲み込ませた。
飲み終えた善逸はぐったりしている。炭治郎はその光景を、まさに唖然といった表情で眺めていた。
「よく飲めました」
「ひどい……俺の純情が汚されちゃったよぉ……」
「善逸、いい子いい子」
「ねえちゃあああん」
明野が善逸の頭を優しく撫でると、一瞬で機嫌を直した善逸がまたしても胸に飛びついた。
「おやすみ」
そして締め技で善逸を眠りに落とし、布団に放り込んだ。
「……善逸はこうしないと寝られないの」
炭治郎は言えなかった。
絶対それ、何か違うと思います、と。