遊郭編 序章
【明野視点】
天元さんから命を受け、遊郭潜入任務に同行することになったと義勇に伝えると、案の定彼は嫌がった。
「義勇。遊郭に行くの、任務だからね? 別に遊女にはならないよ?」
「そんなことはわかっている。だが、強く頼まれたときにお前は断れるのか?」
義勇の表情はまさに拗ねた子供のようだ。
「断れるよ。義勇が私のことを押しに弱いと思ってるのはわかるけど、いつも義勇の頼みだから聞いてるだけなの。子供じゃないんだから、知らない人に何を言われたって聞かないよ?」
「善逸の頼みだっていつも聞いている」
「いや、それは義勇と善逸が私にとって特別な人だからで」
「俺と善逸は同じなのか」
「特別なのは同じだよ。義勇は旦那様で善逸は弟、優劣はないの」
「……」
義勇は口を閉ざすと、屋敷を出て行こうと玄関に向かった。
「どこ行くの?」
「胡蝶のところだ」
「えっ、なんで」
「痛み止めの軟膏を切らしていた。先に用意しておきたい」
「……は?」
なんで
*****
「俺が未熟だった。先ほどはすまない」
何に対しての謝罪なのかな。
わがまま言って任務に行くのを引き留めようとしたことかな。
それとも、任務前に昼間から散々抱き潰したことかな。
心なしか肌艶の良くなった義勇は、謝罪を口にして満足げだ。
「謝ればなんでも許されると思ってる顔……」
まあ、許すけど。
許しちゃうからだめなんだよなあ、とは自覚しているけれど、甘えられると嬉しくてつい。
「任務は明日からだったな。痛み止めを塗っておこう」
まだ服を着直していないままでうつ伏せにされ、晒した腰を撫でられた。
薬を塗られた部分がスースーして心地良い。
「……そういえば、薬を貰いに行ったら、胡蝶に叱られた」
「ふふ、また余計なこと言ったんでしょう」
「言っていない」
むっとした表情を見せた義勇。
しのぶちゃんはいつも私のことを心配してくれているから、義勇にお小言でも漏らしたのだろう。
しのぶちゃんの言うことはだいたいいつも正しい。義勇もそれがわかっているから言い返さないし――口下手なだけかもしれないけど――、そんな顔をしちゃうんだろう。
以前は少し心配していたけど、しのぶちゃんとも仲良くなれたようで良かった。私以外の柱とまったく馴染めていなかったら、戦いにも支障を出しかねないし、なにより気の毒だし……。
「嫉妬はしないのか」
「へ?」
「俺が、お前のいないところで胡蝶と話していても、妬かないのか」
「え、妬かないけど……なんで?」
「いや……」
意外な質問だった。
義勇としのぶちゃんが仲良く話していたって、それは同僚とか友人付き合いの話なのだから、嫉妬はしない。いや、女の子と話していたらちょっとは嫉妬するけど、それで怒ったりするほどじゃない。
「先ほど、胡蝶に聞かれた。お前はまったく嫉妬しないが、本当に好かれているのかと」
それは多分からかわれているんだよ、義勇。
……なんだか微笑ましくなってきた。
「義勇は疑っているの?」
「違う。違うが、俺は……」
義勇は少し恥ずかしそうにしながら視線を逸らし、また戻した。
「俺は、お前が宇髄や善逸と親しく話をしていると、疚しいことなどないとわかっていても、どうしようもなく嫉妬してしまう」
天元さんと善逸に対しては、いつからか義勇も寛容になっていたのに。内心では嫉妬していたなんて知らなかった。
「今回も宇髄と一緒の任務だと聞いて、しかも行き先が遊郭などと言われれば……」
「そっか……ごめんね。そんなに気にしてたって、気付いてなかったの」
「お前を責める気はない。お前の気持ちは理解しているし、皆と上手くやれるのはお前の才能だ。だが自覚しろ」
体を起こされて、そのまま抱きしめられた。
「お前には人を惹きつける才がある」
いや……そうだろうか。
一部の隊士からは未だに舐められているし、誰彼構わずちやほやされた覚えもない。
人を惹きつける才や人望なら、誰よりも強く、人格者である行冥さまのほうが秀でているはずだ。
「胡蝶がいい例だ。胡蝶はお前に執着している」
「そう思ってても、怒られるから絶対本人には言わない方がいいよ」
「……先ほど機嫌を損ねてしまったのは、それが原因だったのか」
「あ、手遅れだった」
しゅん、と少し落ち込んだ様子の義勇だったが、いつもの無表情に戻ってこちらをじっと見つめてくる。
「とにかく、お前が遊郭に行くこと自体が心配だ」
「心配してくれてありがとう。でも任務だし、天元さんも強いから大丈夫だよ」
「わかっている」
わかっているけど嫌なものは嫌、という感じらしい。
これは、満足するまで甘やかしてあげないとなあ。
……なんて、そんなのは義勇のためにならないとはわかっていても、なんだかんだ私は絆されてしまうのだ。
*****
翌日、任務の準備のため蝶屋敷を訪れた。
どうせ怪我をするだろうから、応急処置用の物品をいくつか見繕ってもらおうと足を運んだわけだったが……。
「明野、これは一体どういうおつもりですか?」
「ぐぇ、ちょっ、しのぶちゃん、隊服がっ、隊服が、破裂する……!」
しのぶちゃんがいるであろう診察室を目指して歩いていたら、突然後ろから隊服の襟を引っ張られた。
胸元が引っ張り上げられて、釦が嫌な音を立て始めたので慌てて制止をかける。
「ちゃんとした隊服を着ればいいじゃないですか」
「いや、もらえなかったんだってば……」
ともあれ解放された隊服を直すと、笑顔を浮かべるしのぶちゃんと対面する。
「気づいていないんですか? 首、
前を閉じていた羽織をがばりと大胆に開かれた。
「ああ、やっぱり。体にも……」
「え。…………あ」
しのぶちゃんの視線を追って胸元を見れば、そこにあったのは数個の鬱血痕だった。義勇の仕業だ。
いつも痕なんてつけないから、全然気づいてなかった。ていうかさっき首って言ってた? 首にもあるの?
「ちゃんと消してあげますね。さ、早く診察室へ」
「あ、はい……」
どうしていつもしのぶちゃんには
恥ずかしすぎる、年上として情けない。でももう今さらか……。
診察室の椅子に座らされて、赤い痕をお化粧で隠される。
「っふ、ふふ、やだ、くすぐったい……っ」
「……あの、変な声出さないでもらえます?」
「だってしのぶちゃんが……うっ、くふっ、んふふ……っ」
お化粧用の筆がふさふさと皮膚を撫でるものだから、どうしてもくすぐったい。
「もう……本当に無防備なんだから」
しのぶちゃんは溜息を吐いて筆をしまった。どうやら消し終わったらしい。
「ありがとう、しのぶちゃん。このままじゃ天元さんにいじり倒されて誰彼構わず言いふらされるところだった」
「ああ、まあ、そうでしょうね。どういたしまして」
それからしのぶちゃんは戸棚を開けて、小さな巾着を取り出した。
「これを取りに来たんでしょう? 任務、気を付けてくださいね」
「そうなの。さすがしのぶちゃん、ありがとう」
応急処置道具一式が揃って入れられた藤色の巾着を受け取る。
「じゃあ、またね」
「あの……明野、本当に気をつけてくださいね。柱2人が派遣されるような任務、ただで済むとは思えません」
「ううん……やっぱりそう思う?」
「明野がいない間の冨岡さん、四六時中お葬式みたいな顔で歩いてますからね。本当のお葬式にならないようにしてくださいよ、まったく」
「私が見てない義勇の顔をしのぶちゃんが見てるの、妬けちゃうなあ」
「はぁ……」
しのぶちゃんは数回瞬きをした後で、深いため息を吐いた。
「あなたたちは本当に、私をダシにしていちゃつくのがお好きなようで」
「えっ、いや、違う違う! 昨日、私が嫉妬しないって話を聞いたって義勇が言ってたから、そんなことないよって言いたかっただけ」
「別に、ダシにしてくれたって構いませんけどね」
「え、そうなの?」
「幸せそうにしているおふたりを見るのは、友人として嬉しい限りですから」
「しのぶちゃん……!」
「度が過ぎると感じることもありますけ、ど……」
思わずしのぶちゃんに抱き着いてしまった。
「ふふっ……もう、苦しいですよ。あなた力強いんですから」
慌てて少し脱力すると、しのぶちゃんも私の背に腕を回してくれた。同じくらいの身長だから、お互いの顔がよく見える。
私の腕の中にもすっぽり収まるしのぶちゃんは、以前より少し痩せたような感触で、今日も顔色が悪く見えた。
そんな私の心配を知ってから知らずか、しのぶちゃんはいつものように笑顔を見せる。
「じゃあ、頑張ってくださいね、明野」
「うん。行ってくるね」
……診察室を後にして、出口へ向かう。
するとちょうど天元さんの姿を見つけた。
何故かアオイちゃんとなほちゃんを担いでいる。きよちゃんとすみちゃん、カナヲちゃんは天元さんに引っ付いて抵抗していた。人攫いだ。
「ちょっと天元さん、何してるんですか?」
「鳴柱様!」
あんなに切羽詰まったアオイちゃんの様子は初めて見た。
「お前を店に潜入させられねえから、別の女隊士を探してんだよ」
「アオイちゃんたちは非戦闘員でしょう。だめですよ、離してください」
「じゃあやっぱりお前が潜入するか」
アオイちゃんたちを連行されるよりは、そのほうがまだ――
「女の子に何してるんだ!! 手を放せ!!」
私が口を開く前に、玄関口から炭治郎くんが飛び込んできた。
*****
「ごめんね、うちの師範が……」
あれから天元さんと炭治郎くんは派手に喧嘩して、アオイちゃんたちは無事解放された。
そして善逸と嘴平くんが合流し、結局、今回の任務は5人で行くことになったのだった。
「え!? どういうこと!? この人ねえちゃんの師範なの!?」
「うん。正確には、私が柱になる前までだけど」
「そのちっこいのは強えのか?」
「こら伊之助! 無限列車の任務で俺たちを助けに来てくれた方だぞ! 失礼なことを言っちゃだめだ!」
「俺はそいつが戦ってるとこ見てねえからな! おいお前、俺様と手合わせしろ!」
猪をかぶったムキムキの少年は、だいぶ野性的だ。炭治郎くんはともかく、善逸とはうまくやれているんだろうか。心配だ。
「嘴平くんって、元気だね」
「伊之助様と呼べ! ちっこいの!」
「じゃあ鳴柱様と呼んでくれる?」
「呼ばねえ!」
私もこの子とうまくやっていけるんだろうか。心配だ。