C 転属
会議室に入ると、そこは薄暗くて、何人かの男たちが席についているのが見えた。そしてその中には迅さんもいる。といっても、迅さんは扉からほど近いところに立っていたけど。
林藤さんが空いていた椅子に座ると、真正面に見える城戸司令がこちらを見たことで目が合ってしまった。わたしもさすがに一番偉い人の顔と名前くらいは知っているが……こんなに威圧感のある人だとは知らなかった。
忍田さんは大丈夫と言っていたけど、やっぱり壁のことで怒られるのかな、なんて思っていると、迅さんがすっと横に来て、当然のように手を繋いできた。
「えっ、なんですか?」
この厳粛な空気に似合わない行動に、つい動揺して迅さんを見上げて聞く。
「大丈夫。――あ、ぼんち揚げ食う?」
「いや、いいです……」
何が大丈夫なのか。ていうか何で今それ持ってるんですか、とまではツッコめなかったけど。迅さんは片手に持っていたぼんち揚げを残念そうに引っ込めた。
「……え、離さないんですか? 手」
「この方が良いかと思ってね」
意味深な言い方をする迅さんだが、手を繋いでいることの何が良いのかよくわからない。未来に何か関係するんだろうか。ていうか明らかに呆れた視線を向けてくるおじさんもいるし、できれば離したい。
入隊したての浮かれポンチとか思われてたら嫌だな。いや、浮かれぼんちか、迅さんは。
わたしがくだらないことを考えていると、城戸司令は口を開いた。
「結論から言う。雨取あい君、君には玉狛支部から本部に転属してもらうことになった」
「え……」
なんで、とわたしが聞く前に、城戸司令はその理由を淡々と説明してくれた。
……要約すると、トリオンが多すぎて何が起こるかわからないからだという。
そして結びの一言には、"異論は認めない"と。
「転属手続きは本人が行う必要がある。そのために来てもらった」
忍田さんはわたしの前に何枚かの書類を並べ、その横にボールペンを置いた。サインしろということだろう。
大事な書類にサインするときはちゃんと内容を読まなきゃいけないとは、頭ではわかっているんだけど。今回はその頭がなんだかうまく働かない。
迅さんはわたしの右手を握ったままで、書類に視線を落としていた。
「迅さん」
「……ん?」
「手……字が書けないので」
離してくれ、と口に出して言うのはなんだか憚られた。
解放された右手で置かれたボールペンを取り、転属届に署名をした。
「確かに受け取った。……君の活躍に期待している」
城戸司令はそう言うと、もう戻っていいと言ったので、わたしは迅さんと一緒に会議室を出た。
*****
「転属って、いつから決まってたんですか?」
「それはおれも知らない。気づいたのは昨日の朝だよ」
昨日といえば、本部での入隊式の日だ。迅さんに最後に会ったのはその日の朝。なら、動揺させないために言わなかったのかもしれない。多分だけど。
「すみません、気を遣わせてしまって」
「え?」
「入隊式の前にそれ聞いてたら、多分ちょっとやる気なくしてました。玉狛にいられないのは残念ですけど、トリオンは今更どうこうできることじゃないですし、仕方ないですよね」
「……そっか。あのさ、あい」
「はい」
「抱きしめていい?」
「……はい? なんですか急に、嫌ですけど」
迅さんは立ち止まって、ふざけているのか本気なのかいまいちわからない声音でそんなこと言ってきた。
こんな廊下のど真ん中で、誰かに見られたらアホだと思われる。
「大丈夫、誰も来ないから。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
「サイドエフェクトの無駄遣い……」
迅さんから距離を取ると、迅さんはその羨ましいくらい長い足ですぐに間合いを詰めてくる。
「まあまあ、未来のお嫁さんが強がってるんだ。支えてあげたくなるのが、旦那心ってもんだろ?」
「うわっ、ちょっと! 力つよ……っ」
結局、たいして抵抗することもできず抱きしめられていた。
「…………」
なにこれ、人に抱きしめられるのって、こんなに恥ずかしいことだったんだ。
迅さんの手は後頭部と背中に回されていて、慰めるように撫でてくる。
今すぐに離れたい。でなきゃ恥ずかしさで頭が爆発しそうだった。
「迅さん、あの、そろそろ……!」
「ん? 離してもいいけど、おれにその真っ赤な顔を見られて、またからかわれちゃうよ」
「それは迅さんがからかわなければいいだけじゃないですか……っ」
両手で押しても全く動かない迅さん。力が強すぎる……と思ったが、よく考えたら迅さんはトリオン体でわたしは生身だった。
生身同士でも勝てなさそうだけど、これでは敵うわけがなかった。