独歩と一二三と初対面
【独歩視点】独歩編
今日も先生の診察を受けてから、広い待合の椅子に座り会計を待っていた。
相変わらず先生は素晴らしいお人で、俺なんかの話を本当に真剣に聞いてくださった。
何回も通院しているのに一向に治る気配のない俺の不眠が憎い。他にも患者はたくさんいるだろうに、こんなことに先生の貴重な時間をかけさせてしまうなんて、俺は俺は俺は……。
「はあ……」
あまり人のいない端っこの椅子で項垂れながら、つい溜め息を吐くと、ふと横に人の気配を感じた。
「大丈夫ですか?」
俺にかけられたであろう柔らかい声がした方を向くと、そこには俺と目線を合わせるようにしゃがんだ――天使がいた。
「天使様……?」
「え?」
心配そうな表情のまま首を傾げた、白衣を着た女医さん……だろうか。髪が短く中性的で、すごく綺麗な人だ。
「あっ、す、すみません! こんなところでブツブツと独り言を……! 普通に考えて不審極まりない、本当に俺はどうしようもない人間だ……」
「えっ、いやそうじゃなくて、すごく具合が悪そうに見えたから、大丈夫かなと思って」
「あ、ああ、大丈夫です! さっき寂雷先生に診察してもらったところで……」
「そうでしたか。寂雷先生が担当なら心配なかったですね。余計なことしちゃってすみません」
「いえ、余計なんてことは……」
柔らかく微笑んだ天使様につい見惚れてしまうが、目が合うと反射的に逸らしてしまった。
こんな性格のせいで今までろくに女子と関わってこなかった童貞だ、いきなりこんな美女に優しくされたら動揺するに決まってる。ああでも、もう29だっていうのにこんなんじゃ、死ぬまで一二三と2人で暮らすことになりそうだな……。
それもある意味悪くはないが、俺だって一度くらいは……なんて考えていたら、ピリリリという着信音が聞こえた。
今日は休日だってのに、またハゲ課長だろうか、勘弁してくれ、いつか殺してやるからな。
「あ、すみません……呼び出されちゃいました」
ハゲ課長への呪詛を頭の中で唱えていたら、PHSを片手に持った天使様がそう言った。さっきの着信は俺のスマホじゃなかったようだ。
「お、俺こそすみません、引き留めてしまいましたよね……」
「ふふ、そんなことないですよ。じゃあ、お大事にしてくださいね」
マニュアル通りじゃなく、本当に心配してそう言ってくれてるみたいに感じられた。
「何で名前聞かなかったんだ、俺……」
病院は"そういう場所"じゃないのはわかってるけど、やっぱり男は美人女医には勝てないな……。
立ち去る彼女の後ろ姿を見て、思ったより背が高いんだなとか、目が大きくてかわいかったとか、明るい髪色が似合ってたとか、そんなことが頭の中を占める。
考えてるうちに、自分がいつものようなネガティブ思考から脱していることに気付いた。
あの先生にも、いつか診察してもらいたい……。
次回の診察で寂雷先生にあの天使様のことを聞いてみようと決心した。
*****
【独歩視点】一二三編
今日は俺の通院日だが、一二三も先生を釣りに誘いたいとか言ってついてきた。昨日仕事が休みでヒマだったんだろう。
「おや、今日は一二三くんも一緒なんだね」
「すみません、先生……」
「どぽちん何で謝ってんの?」
「お前が騒ぐからだよ……!」
診察室に着いてからジャケットを脱いだ一二三は相変わらずのテンションで、早速先生を誘っていた。俺の診察時間なのに……。
それから一二三の話が一段落し、俺の診察もいつも通り終わった。最近はそれほど寝つきが悪いということもなく、まあ寝足りなくはあるが、だいぶマシになってきたところだ。
先生の処方してくれる薬のおかげでもあるし、なんだかんだ気遣ってくれる一二三のおかげでもある。でもやっぱり、前回来た時にたまたま会ったあの"天使様"の影響が大きかった。
「そうだ、先生にお伺いしたいことがあったんですが……」
口を開いてから、やっぱりこんなことを聞くのは失礼なんじゃないかと考え始めてしまい躊躇った。ほぼ下心だしな……。
「あの……この前診察していただいた後、待合でまた調子が悪くなってしまって」
先生は心配そうにしながらも俺の話の続きを待ってくれている。
そうだ、俺はあの女医さんにもう一度会ってお礼を言って、あわよくば名前を聞きたいだけ、何もやましいことはない。
「その時に心配して声をかけてくれた方がいるんですけど、名前を聞きそびれてしまったんです。先生ならその人が誰かわかるかと思って」
「ああ、病院職員ならわかるかもしれないね。どんな人だったか教えてくれるかな?」
「……明るい髪色で、ショートカットの女性です。声は少し低めで、身長は結構高そうに見えました。服装からして多分医師の方だと思うんですけど……」
「…………」
先生は少し難しい顔をしている。もしかして心当たりがないんだろうか。まあ、大きい病院だし職員全員を覚えてる方が驚きではあるが……。
「独歩くん」
「はい?」
「一応心当たりがないわけではないんだけれどね。今から呼び出しても大丈夫かな?」
「えっ、待って待って! オンナっしょ!? 俺っち的にはちょっとキツいんですけど!!」
「大丈夫。一二三くん、君が心配するようなことはないよ。ただ、独歩君は少し驚かせてしまうかもしれないな」
「え、え? 一二三は大丈夫なのに、俺は駄目なんですか……?」
「ああ、いや、悪い意味ではないんだけれど、こればかりは実際に会ったほうが早いだろうから」
状況がよくわからないまま、先生はPHSで"天使様"に連絡している。ともあれ、ついに再会できるのか……!
「――はい、着いたら3番の診察室に入ってきてください。ではまたあとで」
連絡し終えた先生は、俺たちを見て微笑んだ。心なしか後光が見える……。
「すぐに来てくれるそうだから、少し待ってもらえるかい?」
「はい、俺は大丈夫ですが……」
「…………」
一二三がすっかり怯えきってしまっていた。
「一二三くん、本当に大丈夫だからね」
「だ、大丈夫って、でもオンナでしょ……?」
「いや、彼は――」
先生が説明しようとしたところで、診察室のドアがコンコンとノックされた。
「ああ、着いたみたいですね。どうぞ」
ドアが少し開いて、そこからあのショートカットの女性が顔を覗かせた。
「亜璃澄くん、突然呼び出してすまないね」
「いえ、それは大丈夫ですけど――って、あの、どうされたんですか?」
完全に俺の後ろに張り付いている一二三を見て、天使様はそう聞いた。
「いや、少し勘違いをしてしまっていてね。私の説明不足で悪いんだけど」
「? ――あ、この前待合で少しお話しした方ですよね?」
状況をいまいち飲み込めてない様子の天使様は、俺と目が合うなりそう言ってくれた。まさか覚えているなんて、幸せすぎる。俺は今日死ぬのか……?
「あ、そ、その節は大変ご迷惑をおかけして……!」
「迷惑じゃないですよ、僕から声かけたんですし」
「いや、そんな――って、え?」
今"僕"って言ったか?
「亜璃澄くん、ちょっと」
寂雷先生が何かを天使様に耳打ちしていた。
「えっ。あ、あー……そういう……」
「ふふ、説明が間に合わなくてごめんね」
「もー寂雷先生面白がってるでしょ」
天使様は先生と親し気な様子だ。
「あのー、非常に申し上げづらいんですけど」
俺たちの方に向き直った天使様は困り顔で話し始める。
なんだろうか、やっぱり俺なんかに会いたいなんて思われても迷惑だったんだろうか。そりゃそうだよな。医者なんだから忙しいに決まってる、この前だって呼び出されてたんだし、いつも俺はそうだ、そういうとこまで気が回らない、天使様に微妙な顔をさせてしまったのも全部俺のせい俺のせい俺のせい……。
「えと、観音坂さん? 聞いてますか?」
「えっ、あ、すみません!」
「ああ、いや、謝らなくても大丈夫ですけど。というか僕、女医じゃなくて男なんです。だから誤解を解いておこうと」
「へ?」
「え、男? ――なーんだよ無駄にビビっちった!! てかよく見たらフツーに男じゃね!?」
「うわっ、びっくりした」
一二三は突然俺の後ろから飛び出していき、天使様と勝手に握手していた。
「メンゴ! 俺っちは伊弉冉一二三。よろしくね! ひふみんって呼んでいーよ!」
「……寂雷先生、あの、これどういう状況ですか?」
「つーか、ちゃんどぽ生きてる? 固まっちゃってんだけど、ウケる!」
「やっぱり、驚かせてしまったようだね……」