7日
屋敷の表を掃除していた時、城の使いのお方が伯寧様を訪ねてきた。伯寧様はつい先程少し出掛けると言って出て行ってしまったから、入れ違ってしまったようだ。少しと言っていたからすぐに戻って来るとは思うけど、伯寧様の場合、時間の使い方がかなり緩いお方だから、自分で言った通りに戻らない可能性も大いにあった。使いのお方には一度戻ってもらうか屋敷の中で待って頂くか悩んだけど、わざわざ歩いて来られたようだったから、何度も往復させるのもと思い、中に案内することにした。奥へどうぞと手を差し出した時、急にその手を掴まれた。驚いて手を引こうとしたけど、強い力で掴まれて振り解くことができなかった。
「あの、貴方のお名前は?」
「え……」
「凄く素敵な方だと思ったので。お名前だけでも…」
言葉は丁寧なようでも、掴んでいる手から暴慢さが伝わってくる。ぐいと引かれるからせめてもの抵抗で全身で踏ん張るけど、力負けするのは目に見えている。声を上げれば誰かが来てくれるとわかっていたのに、恐怖で声を出すこともできなかった。力が抜けそうになった時、ふと掴まれている手の力が緩み、肩に誰かの腕が回された。
「私の妻に何か用かな?」
その声は伯寧様のもので、一気に安心感に包まれた。伯寧様は使いの方の腕を掴み上げると、捻ってからとんと押し返した。
「あ…!将軍の奥方様…!?」
伯寧様が現れたことに驚いたのか、押された反動のまま尻もちをつき、すぐに頭を地面に擦りつけた。この反応を見るに、私が屋敷の女官だと思って声をかけたのだろう。ここの屋敷は若い独身の子が多いから、たまにそれ目的でやって来る輩がいる。伯寧様は私を隠すように一歩前に出て言葉を続けた。
「君、于禁殿の兵だよね。執務中に女性にちょっかい出そうとしている事を于禁殿が知ったらどうなるかな」
使いの方は「ひっ…!」と声を上げると、申し訳ありませんでしたとうわ言のように繰り返し呟きながら去って行った。姿が見えなくなってから、伯寧様が振り返り、掴まれていた腕を優しく擦ってくれた。
「大丈夫だったかい?…いや、怖かったよね」
「いえ…伯寧様が助けて下さったので…」
心配かけないように笑顔で言いたいのに、恐怖がまだ残っているせいか全然口角を上げられなかった。伯寧様は私の腕の裾を少し捲ると、すぐに戻した。
「少し赤くなっているから、冷やした方がいい」
「はい」
「私はもう一度出掛けてくるから」
「あの、さっきのお方、伯寧様に用があったみたいなのですが…」
「ああ…。城に用があるから于禁殿に直接聞くよ」
伯寧様は近くを通った女官を呼び寄せ、事情を説明してくれた。伯寧様はぽんと私の肩に触れ、「今日はもうゆっくりお休み」と言うと、城の方へと足早に向かって行った。伯寧様のおかげで恐怖もだいぶ和らいできた。私も女官に手を引かれて寝室へと向かった。
20210307