18日



 ここ数日、彼女に避けられている気がする。最初は体調でも悪いのかと思っていたけど、侍女に聞いても奥様は大丈夫ですとしか言われなかった。離れの部屋にずっと籠もっているから、何度か声をかけてみたけど、返ってくる言葉は「お気になさらず」の一点張りだった。言い方に少し棘を感じたから、体調が悪いのではなくて機嫌が悪いのかもしれない。ただ、彼女の機嫌を損ねるようなことをした覚えがなかった。何に対して怒っているのか聞きたいのにずっとこの調子だから、私もさすがに痺れを切らし、今から直接理由を聞こうと思い部屋の前までやって来た。扉を叩いて名前を呼んでも返事がなかったから、入るよと言って扉を開けた。来ないで下さい!と返ってきたけど、もう遅い。部屋の中まで入ると、彼女は奥の寝台に座っていて、慌てて私に背中を向けた。避けられているとは思っていたけど、こうもはっきりと拒絶反応を示されてしまうと心にくるものがある。寝台に近づいたら逃げるかと思ったけど、背を向けたまま動かなかった。一人分の間隔を空けて寝台に腰掛け、後ろからもう一度名前を呼ぶ。
 
「私は何か君を傷付けるようなことをしてしまったのかな?」
「……」
「私なりに考えてみたんだけど、全く思い当たる節がないんだ。無意識に君を傷付けてしまったなら謝るから、君をそんなに怒らせている理由を教えてくれないか」

 そう言うと、彼女の頭がぴくりと動いた。まだこっちを向いてはくれなかったけど、小さなため息が聞こえてきた。彼女は小さな声でぽつぽつと話し始めた。

「私の心が醜くて自己嫌悪に陥っていたのもあります」
「うん」
「ですが、旦那様だって……」
「その私がしでかしてしまった事とは?」
「旦那様、最近妓楼に行っていましたよね」

 妓楼。その言葉にあまりぴんと来なくて、少しだけ考え込む。そしてすぐに閃いた。最近軍議の延長を場所を変えて行っていたのだけど、それが曹操殿と郭嘉殿のお気に入りの店だということを思い出した。確かにあそこはそういう場ではあったかもしれないけど、私は軍議の話しかしていないし、やましい気持ちを持ってあの店に入ったわけではない。そう弁明しようとしたら、彼女が言葉を続けた。

「仕事の延長で、というのはわかっています。なので割り切るつもりでいましたが、この前旦那様のお召し物に女物の紅が付いていて、それでもう我慢できなくなりました」
「え、紅が?心当たりは全くもってないんだけどな…。あ」

 言いながらある事を思い出した。これは完全に彼女の勘違いだ。彼女がこれ以上話す前に、慌てて思い出したことを伝える。

「帰り際に近くにいた子が転びそうになったから助けたんだ。紅はその時に付いたものだと思うよ」
「……本当ですか?」
「本当さ。何ならその時隣にいた荀攸殿に確認してもらっても構わない」

 そう言うと彼女はまた黙り込んでしまった。これで納得して貰えたかはわからないけど、やましいことなど本当にないから信じてもらえるまで言い続けるつもりだった。

「旦那様がそこまで仰るなら…」
「よかった。やっと信じてくれた」

 ほっとして胸をなでおろす。彼女は目元を拭うと、少し震える声で話し始めた。

「仕事で仕方がないと何度も自分に言い聞かせたのですが、旦那様が他の人に触れていると思ったら苦しくなりました。子供の事を考えるといずれは側室を迎える日がくるのに、その都度こんな気持ちを抱いてしまう自分を想像したら情けなくなってしまって…」

 涙声で話す彼女がとても愛おしく感じで、一人分の隙間を詰めて後ろから腕を回し、胸元に抱き寄せた。嫌がられるかと思ったけど、すんなりと腕の中に収まってくれた。久しぶりに触れる彼女の柔らかさとふわりと広がる甘い香りを充分に噛みしめる。

「嫉妬してくれていたんだね」
「申し訳ありません、こんな醜い感情を出してしまって」
「いや、すごく嬉しかった」

 彼女からの愛をこの様な形で感じられると思っていなかったから、今とても満たされた気持ちになっている。きっかけはあまりよくなかったけど、たまにはこの様な日があってもいいだろう。それに彼女の話を聞いてもう一つ訂正しなければならない事が増えた。

「私は側室を取るつもりはないよ」
「え?でも…」

 彼女が何か喋ろうとしたのを口で塞いだ。すぐに離れたけど、彼女の顔はほんのりと赤くなっていた。

「貴方がいればそれでいい」
「伯寧様…」
「やっと名前で呼んでくれたね」

 そう言うと、彼女ははにかみながら、でもちょっとだけ罰が悪そうに申し訳ございませんと言った。避けられた上に名前すら呼んでもらえなくてかなり寂しい思いをしたけど、今の彼女を見ることができたから結果的に良かったのだろう。彼女の後頭部に触れ、そっと枕の上に乗せる。寝台に縫い付けるようにして手に触れたら、ひんやりとした指が絡まった。



20210318

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