郭嘉と飲む話
今日は何となく街の料理屋に行きたくなって、仕事終わりにふらっと出てみた。女官達の間で話題になっている料理屋があるらしく、ななし様もぜひ行ってみて下さいと言われて気になっていた所だ。話題になっているだけあって、店内は賑わっている。一人だったからすぐに座れて、酒とおすすめの物をいくつか注文した。
料理はすぐに出てきたし、味も良い。これは女官達が絶賛するわけだ。追加で頼んだ酒を待っていたら、男の人が持ってきてくれた。お礼を言おうと顔を上げたら、予想外の人が酒を持って微笑んでいた。
「こんばんは。同席してもいいかな?」
「郭嘉殿…」
私の返事を聞く前に目の前に座ったし、酒を注がれたし、自分の杯にも注いでいた。いいとも言っていないし、それ私の頼んだ酒なんだけどな…。でも軍師相手に嫌ですなんて言えないから、頭だけ下げておいた。
「ななし殿はよくここに来るのかな?」
「いえ、初めてです。女官達にすすめられたので今日来ました」
「やっぱりね。私はここによく来るのだけど、ななし殿を見たのは初めてだなと思って」
「よく来るんですね…」
酒好きなのは知っていたけど、こういう所にも来るんだ。でも、さっきから女の客や店のお姉さん達が通る度に郭嘉殿に熱い視線を送っているし、郭嘉殿もまめに応えている。酒も飲めて女の人と遊べるなら、来たくもなるか。
郭嘉殿はあまり話したことはないけれど、少し苦手だ。女に軽い人は元々好きじゃないし、郭嘉殿はそれに加えて頭もいいから話しかけられても上手くかわすことができない。今だって帰ろうと思えばすぐに帰れるのに、こうして一緒に酒を飲んでいるし。
「いつも一人で飲んでいるの?」
「一人の時もありますし、誰かに誘われて行くこともあります」
「私が誘うといつも断るのに」
「折角のお誘いですが、色々と都合が悪いんです」
「色々と、ね。満寵殿とはよく飲んでいるのに」
「学問教わってますし、満寵殿の元に来てからは共に過ごす時間も増えるから仕方ないでしょう」
「今日は満寵殿は来ないのかな?」
「いつも満寵殿と飲んでる訳じゃないですよ。それに満寵殿は数日前から遠方に行っていて今日遅くに戻りますし」
「じゃあ今日はななし殿とゆっくり飲めるんだね」
「…」
しまった。満寵殿といつも一緒に過ごしているわけじゃない事を主張しようとしたのに、郭嘉殿と飲む流れになってしまった。今さら無理ですなんて言えないし、諦めて飲むしかないのか。腹をくくって杯の酒を空けたら、微笑んで酒器を構えている郭嘉殿と目が合った。
「ちょっと飲ませ過ぎてしまったかな…」
机に伏せてしまったななし殿を見て、これからどうしようかと思考を巡らせる。酒が強いと聞いていたし、私と同じ速度で飲んでいたから嬉しくなって私の好きな強い酒をすすめてしまったけど、それで一気に回ってしまったのかもしれない。名前を呼んでも、あやふやな言葉しか返ってこない。ななし殿と飲んでいる時に、もっと楽しめたら、という思いがなかったわけではなくて、まさかこんなに早く好機が巡ってくるとは思わなかった。まずは起こすところからと思って肩に触れたら、酔い潰れているとは思えない力で手を払われた。
「ななし殿、起きれるかな?」
「…んー…、」
先程の力はどこへやら、意識はまだ混濁しているみたいだった。無意識な抵抗か。私はよほど警戒をされているみたいだね。触れられないとなれば声をかけ続けるしかない。
「横になった方がいいよ。戻ろうか」
何度か耳元で声をかけたけど、やっぱり反応はいまいちだった。幸いなことにこの店は遅くまでやっているから時間は気にしなくていいけれど、明日も朝から仕事があるだろうから、ここでこの体勢のままというわけにはいかない。使いの者を出すか、少々無理矢理だけど別の場所へ運ぶか…。どの方法が一番良いか考えていたら、意識が少しだけ戻ってきたのか、ななし殿が顔を上げた。
「…どの……」
「ん?」
「満寵…どのの、ところへ……」
「満寵殿の所へ?」
「いきたいです…」
声は小さくて呂律も回っていなかったけど、確かにそう言っていた。…参ったな。まさかここで満寵殿の名前が出てくるとは思わなかった。これはもう諦めて満寵殿の所に送り届けるしかないね。
起きたと思ったのにまた寝ようとしていたから慌てて水を差し出す。飲み過ぎには水が一番だからね。大きな杯に入った水をこくこくとゆっくり飲み干したななし殿はもう帰ろうとしたのか立ち上がったけど、ふらついていた。そうすぐに酔いが覚めるわけではないからね。支えようと肩に触れたら、先程ではないけれど大丈夫ですと避けられてしまった。
遅い時間に訪ねるから満寵殿が驚かないように使いの者でも出しておこうかな。慌てて飛んできそうだけどすれ違ってしまったら嫌だから、ちゃんと送り届けるから屋敷の前で待っていてと伝えておこう。
ふらふらと千鳥足のななし殿が倒れないように少し後ろから見守りながらゆっくりと歩いていた。相変わらず話しかけると反応があまりないけど、本能的に満寵殿の屋敷への道を辿っているのか、迷う様子はなく着実に満寵殿の屋敷へ近づいていた。
ようやく満寵殿の屋敷が見えて、門の前に立っている影が見えた。手を振ると、駆け寄ってきてくれた。
「満寵殿。お疲れの所すまないね」
「こちらこそうちの副官がご迷惑をかけたみたいで申し訳ないです」
満寵殿が頭を下げると、ななし殿はふらふらと満寵殿に近寄っていった。
「満寵殿…すみません……」
謝罪の言葉を発した後、満寵殿に倒れ込んだ。満寵殿はそれを受け止めて、ななし殿が倒れないように腰に手を回して支える。先程まで意識がはっきりとしないなりに気を張っていたようだったけど、満寵殿に凭れると途端に寝てしまったのか、肩が規則的に上下し始めた。
「私が無理に強い酒を飲ませてしまっただけだから、どうかななし殿を責めないであげてね」
「ななし殿は自制できる人だと思っていたんですけどね」
「おや、もしかして酔ったななし殿を見るのは初めて?」
「そうですね…ここまで酔った姿は初めてです」
「酔ったななし殿は実に面白かったよ。意外とよく喋るんだね」
「何か余計な事まで話していましたか?」
「いや、…そうだね。例えば、荀攸殿は素晴らしい思考を持っているのにどうしてあそこまで自信を持てないのか、とか、賈詡殿にはいつも驚かされるから、いつかやり返したい、とか」
「…どうかその事は郭嘉殿の心に留めておいて下さい」
「もちろん誰にも話すつもりはないよ」
「面目ないです」
ななし殿の腰を抱き直した満寵殿の表情は、いつもの微笑みではあるけれど、少しだけ引きつってきている。それが面白くて、更に話を続けた。
「あとはね、荀ケ殿の顔がいい、とか」
「…」
「戦場では勇敢に戦う彼女も、そういう感情はあるんだね」
「まあ、妙齢の女性ですから。そういう感情を持っていても不思議ではありません」
「誰でもいいというわけではなさそうだよ。私は随分と嫌われているみたいだからね」
「郭嘉殿に対して何か失礼なことでも?」
「女に軽い人は好きじゃないとはっきり言われたよ。それも何度もね」
「ああ、なるほど」
「郭嘉殿は頭が良くて口が上手いから逃げ切れなくて苦手だ、と。今日は少々強引に付き合わせてしまったけど」
「あまり無理はさせないで下さい」
「満寵殿は自分が何と言われていたか気になるかい?」
「いえ…」
「気になるんだね。残念ながら、何も言っていなかったんだよ。いつも一緒に過ごしているから何かしらの好意だったり逆に不満の一つくらいは出てくるかと思ったんだけど」
「そうですか」
「だから満寵殿の事を気にせずに今日はゆっくりと楽しめると思ったんだ」
期待通りに徐々に表情が消えていった。普段の満寵殿は何を考えているかよくわからないと言われているけど、今は誰が見てもわかりやすい変化だったね。ななし殿を守るように肩にも手を回して、更にぐっと引き寄せた。
「場所を変えようと起こしたらね、満寵殿の所へ行きたいと言われたんだ」
「私の所へ…」
「ほとんど意識はなかったんだよ。なのにそれだけは言っていたから、ああ、ななし殿の中にはしっかりと満寵殿がいるんだなと思ったんだ」
満寵殿は驚いた表情でななし殿を見つめる。さて、もう遅い時間だし、私は帰るとしようかな。満寵殿に伝えたい事は伝え終えたし、あとは二人がどうなるかをゆっくりと見守ることにしよう。他の将や女官達からも噂されているんだから、いい加減少しでも進んでもらわないと困ってしまうからね。
それにしても今日はななし殿の面白い姿や表情豊かな満寵殿を見られてとても楽しい一日だったな。次は二人を誘って三人で飲むのも面白いかもしれないね。
20190603