戦の悲しい話


 血糊と汗で滑りそうな剣を握りしめ、炎を避けながら駆け回る。自国の兵や敵の兵、どちらともわからない死体を見ながら、息のある仲間がいないか探し回る。煙のせいで喉が痛くて声が出ない。いつ受けたのかわからない傷のせいで全身、特に足が痛む。まだいるかもしれない仲間を探して出ない声を振り絞りながら戦場を駆け回る。だけどどこを探しても生きている兵はいなくて、自分だけが生き残ってしまったのではないか、という恐怖に襲われた。そのうちに火が回ってしまい、来た道が塞がれてしまった。いよいよ自分も終わりか、と諦めかけた時、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。生き残りがいた、それだけで諦めかけていた気持ちを強く持てた。ここにいると声をあげるけど、やっぱり声が出ない。体も動かなくなってきた。喉が潰れるのではないかというくらいの叫び声をあげたけど、届かないのか、名前を呼ぶ声が徐々に遠ざかっていった。もう叫ぶ気力を失いかけた時、強く体を揺さぶられた。

「ななし殿!目を覚ますんだ、ななし殿!」
「…満寵殿……」

 重たい瞼を開けると、すすだらけでぼろぼろの満寵殿に支えられていた。名前を呼ぶと、今度は声が出たけど、ひどく枯れた声だった。

「ななし殿、無事でよかった。さあ、早くここを発とう」
「…剣……みんなは…?」
「ななし殿の武器はここにあるよ」

 満寵殿に渡された剣は束の部分も刃の部分も血糊が乾いていて使える状態ではなかった。ずっと離さずに握りしめていたのに。

「みんなを助けなきゃ…まだあっちにいるはず…」

 剣を差して立ち上がろうとしたけど、体に力が入らなかった。さらに、さっきから痛いと思っていた足に激痛が走る。あまりの痛みに剣を落として満寵殿の方に倒れ込んでしまった。さっきまでの光景は、どうやら気を失っていた間の夢のようだった。夢の中では仲間を助けられなかったけど、今なら満寵殿もいるから助けに行けるはずだ。満寵殿の服を掴んで、一人でも多くの仲間を探しに行こうと訴えた。

「ななし殿、駄目だ。ここはもう危ないよ」
「でも、私のように息のある仲間がいるかもしれないですよ!?一人でも二人でも助けられる人を見つけて…」
「ななし!私達は負けたんだよ」
「…負けた……」

 肩を捕まれ、ひときわ強く名前を呼ばれた。聞きたくなかった言葉を満寵殿にはっきりと言われ、力が抜けていく。

「ななし殿だってたまたま運が良く息があったけど、あそこの兵のように焼けて崩壊した物の下敷きになって死んでいたかもしれないんだよ」

 満寵殿の指差す方を見たら、焼け焦げた木材の下敷きになっている自軍の兵の腕だけが見えた。周りも見渡してみると、自軍の兵達の死体がたくさん転がっていた。血の臭いと死体の焼け焦た臭いも感じ、五感全てで感じる圧倒的な敗北を前に、涙が溢れてきた。満寵殿は親指で私の涙を拭うと、ぽんと頭に手を置いた。

「さあ、行こうか。私達ができることは、これ以上の被害を抑えることだよ。立てるかい?」

 こくりと頷いて立ち上がろうとしたけど、やっぱり足に激痛が走って立ち上がれなかった。自分の足がどうなっているか見てみたら、足全体に走る大きな切り傷と、矢が掠めた跡、更に破れた服から見えた肌は大きな火傷で変色していた。

「ああ、これは酷い傷だね。ちょっと失礼」

 満寵殿は私の背中と膝に手を回すと、そのまま軽々と持ち上げた。急に動いた負荷でまた足が痛み、満寵殿の服を強く掴んでしまった。火の勢いがあまりない所にいた馬に乗せられると、満寵殿も後ろに乗った。体を包むように後ろから手綱を握られ、少し抵抗があったけど満寵殿に体を預けるしかなかった。

「傷に響くと思うけど、少しだけ辛抱してね」

 馬の腹を蹴り、馬が走り出した。満寵殿が後ろからしっかりと抱き抱えてくれているから落馬するわけないのに、癖で無意識に内腿に力を入れてしまい、また足に響いて少し体勢が崩れてしまった。

「こちらの軍はどれ程の損害を受けたんですか?」
「最悪だね。今までにないくらいの被害だよ」
「そうですか…」

 正直、これだけの状況になってもまだ負けたことが信じられなかった。我が軍は小競り合いで多少の進退があったとしても、大敗を味わったことはなかったから。
 私の隊は前線にいたわけではないけど、敵の奇襲を受けて隊が散り散りになった。壊滅するよりは、と思って兵を撤退させ、私は逃げ遅れた兵を助けに戦場に戻ってきた。そこで火の手にやられてしまったんだと思う。
 見覚えのある兵達の亡骸を越えて行くにつれて、私の判断が間違っていたのではないかという考えに至るようになった。もう少しまとまって抵抗したら返り討ちにできたのではないか、とか、考え始めると止まらなくなった。だけど私の心を見透かしたかのように満寵殿が口を開いた。

「ななし殿が早く兵を退却させてくれたおかげで、こうしてすぐに救出に向かえたんだよ」
「え?」
「まだ残っている兵がいること、ななし殿がそれを助けに戻ったこと、状況をすぐに伝えてくれてね。怪我を負っているのに私と共に引き返してきた兵もいるんだ。よく統率の取れた兵達だよ」
「…」
「それに、あの奇襲隊はななし殿の兵よりも明らかに多かったから、抵抗していたら被害はもっと大きくなっていたはずだ。ななし殿の瞬時の判断でこちらの被害は最小に抑えられたんだよ」
「…そうですか」

 兵の亡骸を見ているとよかったとまでは思えないけど、私の判断が間違っていなくて、被害を最小に抑えられたなら安心した。満寵殿にそう言って頂けるだけで心が救われる。
 会話はここで途切れて、馬の蹄の音だけが響いている。怪我に響く振動のせいで徐々に体力が奪われていき、体を支える力はほとんどなくなってきた。気を抜くと意識が飛んでしまいそうだったけど、次に意識を飛ばしたら危険だと思い、必死の思いで耐える。満寵殿に何か話してもらおうと口を開いた時、聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな声が耳元に響いた。

「もう、絶対にこんな敗北は味あわないよ」

 それはとても悔しそうな声色で、私を支える腕に力がこもった。私も同意の意味を込めて、満寵殿の手に自分の手を重ねた。


20190722

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