起きたら隣に満寵がいる話完

 あれから半月程経ったけど、しばらく忙しくなるからと言っていたのは本当だったみたいで、満寵殿の姿を見ていない。どこかで会えたらこの前の文句でも言ってやろうと思っていたのに、ここまで顔を合わせない期間が長くなると当時の怒りも少し落ち着いてきてしまった。それよりも私は今上から回され続けている書簡を片っ端から片付けていくことに忙しくてそれどころではなかった。こういう細かい作業は女の方が得意だろう、と自分の偏見と共に押し付けられている書簡の山。今日も切りのいいところまで終わらせようと思っていたら、いつの間にか真夜中になっていた。明日も同じ仕事をするから、今日はここで寝てしまおうと椅子に横になりかけた時、壁を叩く音がしてそちらに目をやると、入り口から顔を覗かせている満寵殿と目が合った。

「やあ。ななし殿は最近は椅子で寝るのが好きなのかい?」
「満寵殿。…お久しぶりですね」

 突然の訪問者、しかもその人物はさっきまで会っていないと思っていた満寵殿だったせいで驚きが勝って以前の文句や今の冗談に対する反応を咄嗟に返すことができなかった。

「酒を持っていくと言っていたのに手ぶらですまないね」
「いえ…とりあえずこちらへどうぞ」

 さっき自分が横になろうとしていた椅子を空けて満寵殿に座るよう促す。
それを手で制して私に座ったままでいいよと言うと、そのまま話を続けた。

「単刀直入に言うよ。ななし殿、私の元へ来てくれないかな」
「は…え…?満寵殿の元へ…?」

 急なお誘いの言葉にこの前の事が重なりどきりとした。満寵殿のことだからそういう意味はないと思うけど、あまりにも単刀直入すぎてそう捉えてしまっても仕方がない言葉だけ述べられた。

「そう。ななし殿は私の計略をよく理解してくれているし、よく読み取ってくれるからね。私としてもそういう人が近くにいてくれるととても助かるんだ」
「それは満寵殿があれだけ話してくれれば嫌でもわかるというか…」
「いいや、ななし殿の意見はとても的確だし、時に私とは別の視点で意見をくれるだろう」
「そうですかね…?」
「そう。だからさっき将軍と話をしてななし殿の意見次第でと許可を頂いたんだ」
「私次第」
「さて、ななし殿はどうしたい?このまま将軍の元でこのように他人の仕事を押し付けられて戦場でも自分の意見を聞き入れてもらえないまま埋もれるか、私の元でななし殿の才能を発揮するか」

 私の胸元へと向けられた満寵殿の人差し指へ視線を落とした。指を指すのは満寵殿の癖だ。いつも地図や城の見取り図を広げて計略の話をする時のような真剣な眼差しでそう言われてしまっては答えは自ずと決まってくる。

「その言い方はずるいです」
「そうかな?」
「そう言われてしまえば、はいと答えるしかないじゃないですか」
「頷いてくれると思っていたよ。では早速だけど明後日から共に動いてもらうよ」
「明後日!?さすがにそれは急すぎますよ。この書簡を片付けないといけないし、部屋も片付けないと…」
「この書簡は本来ななし殿の仕事のものではないだろう?そのまま将軍にお返しすればいいじゃないか」
「えー…それを私から言うのですか?」
「嫌なら私から伝えておこう」
「そうして下さい」
「あと、ななし殿の使っている部屋も私の所から少々遠いから、近くに部屋を用意したよ。使いの者を出すから引っ越しておいで」
「もう全てが急ですし、用意周到ですね」

 私の意見次第と言いながらもここまで準備をされていると私の知らない所で私の異動の話は決定していたんじゃないかと思ってしまう。
急にあれこれと環境が変わることについていける気がしなかったけど、とりあえずこの目の前の書簡の山を全てやらなくていいとなれば少しだけ気持ちが楽になった。

「もうここで仕事しなくていいのだから、部屋に帰るかい?それならば送るけど」
「いえ、この部屋の私物を片付けるのでこのまま泊まります。使者がくるまでに部屋に戻りますので」
「そう。じゃああまり夜更かししないように。将軍にはこれから話しておくから、仕事ももう手つけなくていいからね」
「…」
「ななし殿のことだから切りの良いところまでやるつもりなのだろう?」
「…やりません」
「はは、嘘が下手だね。目が泳いだ」

 誤魔化しきれなかったから返事はしなかった。満寵殿は机に山積みになった書簡を眺めて「1回で運ぶのは無理そうだ…」などとぶつぶつ言っている。その視線を下ろすと、視界に入る胸元の肌色。

「満寵殿、その格好で将軍に会ったんですか?」
「そうだよ?その足でななし殿を訪れたんだ」
「また紐がずれてます。本当に身だしなみ気を付けてください」
「ああ…じゃあ今朝殿に謁見した時もこの状態だったんだな」
「まあいつも掛け違えてますからね」
「今日は直してくれないのかい?」
「…甘えないで下さい」
「はは、冗談だよ。でもちょっと残念かな」

 残念という言葉はたまたま流れで出てきた特に深い意味のない言葉なのか、それとも何か意味を含めた言葉なのか、今は深く突っ込まないことにしよう。でもこの流れでこの前の文句でも言ってやろうと思い立った。

「満寵殿、何でこの前わざわざ李典殿に話したんですか?」
「隠すような事でもないから話したんだよ。あったことをそのまま話しただけだしね」
「それがとんでもない捻れ方をしてありもしない噂が立って私は否定して回るのに疲れてるんですけど!」
「そうなのかい?」
「そうです!夏侯淵殿もからかってくるし、楽進殿や曹休殿なんか挙動不審になるし、郭嘉殿からは気持ち悪い笑みを浮かべながら付きまとわれましたし!」
「そうか…。そんなに疲れるならばいっそのこと否定するのを諦めたらどうかな?」
「は!?諦めるとは」
「人の噂なんか一時の盛り上がりですぐに落ち着いてしまうものだよ。だから適当に流しておけばそのうち噂自体も消えるだろう」
「あー、そうですね。そうですけどね」
「相手にしない。放っておくのが一番だよ」

 満寵殿は山積みになった書簡に腕を突っ込み、がっと抱えて持ち上げた。指に引っ掛かって落ちていったものもいつくかあったけど、ある程度の山が一瞬にして消えた。そしてもう一回取りに来るからと言って颯爽と部屋を出ていってしまった。


20190319

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