落ち込んでいるのを満寵に慰められる話


「ななし殿、まだ終わらないのかい?」

 夜も更けてきて物音もしなくなった頃、満寵殿が執務室に戻ってきた。今日はとっくに帰っていたと思っていたから、驚いて筆を落としてしまった。満寵殿はそれを拾い、硯の側に戻してくれた。

「今日はできるところまでやっていきたい気分なんです」
「それにしては昼からあまり進んでいない気がするけど」
「そんなことは…ないと思います…」

 痛い所を突かれて、返事の語尾が弱まる。昼から置いてある書簡の山を見つめ、確かにいつもの仕事の早さに比べると全然進んではいないと思った。満寵殿がいないからこそ仕事が捗ると思ったし、無心に仕事をしていれば思い出さないだろうと安易な考えになってしまっていたけど、実際は全然違ったみたいだ。

「何があったんだい?」

 満寵殿は目の前に腰を下ろして、私の書きかけの書簡を奪った。これで仕事は進められない。満寵殿が心配して声をかけてくれることは何度もあるけど、そういう時は必ず言いたくなかったら無理に言わなくていいと続けて言ってくれていた。けど、今回はそうじゃない。きっとある程度事情を知っていて、私が話すまでずっといるつもりなんだろう。諦めて、朝あったことをぽつぽつと話し始めた。

「女の私が副官を勤めることに不満を抱いている兵や将がいるのは知っているし、色んな事を言われるのは前からなんですけど」
「うん」
「久しぶりに精神的にきました…」

 朝の調練後にあった話だし、その話を聞いてる人もたくさんいた。大勢に聞かれてしまったという羞恥心も相まって、ここまできているというのもある。

「その時は夏侯淵殿や李典殿が収めてくれたんですけど、明日またお礼を言いに行かなきゃです」
「実は夏侯淵殿達から詳しい話をされてね、事情を知っていたんだ」
「やっぱり。言うなって言っても黙ってられないお方ですからね」

 詳しく聞いたということは、当然何を言われたのかも耳に入っているだろう。満将軍に媚を売っているはしたない女だとか、身体を使って地位を仕留めたとか、ここにいる将軍達とも寝たんだろ、とか、それならば俺にもやらせろとわめき散らし始めたことなど。言い出したら止まらないくらい、たくさん言われた。

「わかっているんです。女では埋められない力の差が大きいことや、活躍できる時間が短いことくらい。その地位には自分の方がふさわしいって思ってる人がたくさんいることも。だからこそ人一倍努力をしてきたつもりだし、こうして満寵殿からたくさん学問を学んできました。認めてくれる将や兵もたくさんいるのもわかってるんですけどね。どんなに中傷だったとしても毅然とした態度で受け流せないのは、心の奥で女だからと自分自身に線を引いてしまっているからなんでしょうね。それに気付いてしまって、余計に精神的にきました」

 満寵殿の目を見れなくて、膝を抱えてその上に顔を落としてぽつぽつと話した。気を抜いたら泣いてしまうと思って顔を伏せたけど、もう遅かった。膝に目を押し付けて服に涙を染み込ませた。

「今日ななし殿をここまで追い込んだ原因は、私のせいだろう?」
「いえ、私自身の弱さです」
「その兵が私を悪く言った瞬間に、何を言われても耐えていたななし殿がすごい剣幕で手をあげそうになった、と聞いたよ」
「……」
「みんな素直だからね。何でも話してくれるんだ」
「…すぐに止めて下さった李典殿と楽進殿には感謝しています。副官である私が私情で兵を罰するわけにはいきませんから」
「あんなに怒ったななし殿は初めて見たと言っていたよ。いやあ、私もその場にいたかったな」
「…いない方がよかったです。あんな言葉聞かせられません」

 今思い出しても怒りが沸いてくるし、そう言わせてしまう原因を作っている自分にまた悲しくなってきた。
女にたぶらかされるなんて、満将軍も地に落ちたなと、その言葉を聞いた瞬間に持っていた木刀で殴りかかりそうになった。実際振りかぶってしまったけど、李典殿と楽進殿が抑えてくれたのだ。
 私のことは何と言われようとも我慢できるけど、私のせいで満寵殿が悪く言われてしまうのは我慢できない。私のせいで、しかも日頃の行いから言われるのではなくてただ女というだけでここまで言われてしまうのは耐えられなかった。
 でも、思い当たる節がないわけでもなかった。満寵殿の元に来る前から学問を教わり、その流れで飲んでいたことや、満寵殿の元に来てからはほぼ毎日のように飲んで語っているから、何もないと言っても疑われてしまうのは仕方がないのかもしれない。これは私のせいであるし、満寵殿がそう思われる原因を作っているならば、私が控えなければいけない。それを伝えようと口を開きかけた時、満寵殿に先を越された。

「ななし殿、余計な事を考えていないだろうね?」
「…そんなことないですよ」
「やっぱりななし殿は嘘が下手だよ。そんなんじゃ相手を欺けないよ」
「戦場ではちゃんとします」
「私はななし殿が優秀だし、私についてこれると思ったから側に置いているんだよ。部下を育てるのは当たり前の事だし、毎晩酒を酌み交わすことだって他の将軍もやっていることじゃないか。何も問題ない」
「満寵殿がそう言っても、周りがそう思わないかもしれないですよ」
「上にいるものは常に妬みの対象になる。私の場合はその標的になってしまったのがななし殿だっただけで、むしろ謝らなければいけないのは私の方だ」
「それはないです!満寵殿は悪くない!私がもっと立派にならないと…」
「それ、他の将にも言われたことはあるかい?」
「え?」
「夏侯淵殿や李典殿が、ななし殿はもっと頑張らないといけないと言っているのかい?」
「言われたことはないですけど…」
「じゃあななし殿はみんなに認めて貰えてるんだよ。私以外の将軍も認めているなら、充分じゃないかな」
「そうでしょうか…」

 確かに身近な将軍達は私にとてもよくしてくれている。でもそれはみんな優しいから私にも優しくしてくれているのだと思っていたけど、満寵殿がそう言うなら認めてくれていると思ってもいいんだろうか。

「ななし殿の活躍はどの将軍も知っている事だし、上官である私が誰よりも認めているよ。確かに女性であるななし殿に先を越されたとなれば周りの妬む感情も生まれてくるだろう。でもそれは自分が功を上げればいいだけの話だ。ななし殿はただ胸を張って堂々としていればいいんだよ」

 ぽん、と頭に触れた満寵殿の大きな手がとても優しくて、ようやく落ち着いてきていた目頭がまた熱くなってきた。


20190803

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