満寵と夏を楽しむ話
流れてくる汗をぬぐいながら、首元の服をぱたぱたとあおぐ。夏に入ってから今日が一番暑い気がする。さらに湿気もあるせいか、一度動くとなかなか汗が引かない。満寵殿に付いてある将軍の屋敷に来たけど、屋敷に上がれたのは満寵殿だけで、私は炎天の中満寵殿が戻るのを待っている。それは仕方がない。仕方がないけど、それならどうして私を連れてきた、と心の中で悪態をつきながら、乗ってきた馬を撫でた。馬も熱い。それも仕方がない。生き物だし、こんなに毛で覆われているんだから。きっと馬も暑くて大変な思いをしてるだろうし、何でこんな暑い中俺に乗った、と思っているかもしれない。馬屋でゆっくりしたかっただろう。帰り道に池があったら水でも飲ませてあげよう。本当はここの屋敷内にある池の水を少しあげたいけど、ばれてしまったら大変なことになってしまうから。
どれくらい経ったかわからないけど、ずっと太陽に当たって意識が朦朧とし始めた時、急に顔に冷たい物を当てられ、驚きのあまり変な声が出てしまった。
「ははっ、何だいその声は」
「お、驚きますよ!急に顔に冷たいもの当てられたら!」
談義を終えたであろう満寵殿は杯を持って笑っていた。
「ななし殿、これをあげよう」
「ありがとうございます。…これ何ですか?変なものじゃ…」
「疑うなんて酷いなぁ。将軍からお茶を頂いたんだよ。外で部下を待たせてると言ったら帰り際に冷やしてあるこれをくれたんだ」
「うわあ、お気遣いありがとうございます。…冷たい」
杯には氷が浮かんでいて、外側に付いている水滴が中身の冷たさを物語っている。一口口に含むと冷たさが広がった。一気に半分程飲み干したら、少しだけ頭にきんと響いた。
「満寵殿は?」
「私は中で頂いたから平気だよ」
私と違って汗もかかずに爽やかなのはそのせいか、と思いながら、お言葉に甘えて残りの半分も一気に飲み干した。すっと冷たいものが胸を通って、火照った体が冷やされていく。
「お話うまくまとまりましたか?」
「うん、まずまずといった所かな」
「あまり煮え切らない感じですね。時間もかかっていましたしね」
「もっと早く終わると思ったんだけどな」
「仕方ないですよ。今まで上手くいかなかったからこうして満寵殿が直接出向いたんじゃないですか」
「それもそうだね」
城に帰ろうと思って馬に跨がったら、同じく馬に乗った満寵殿が、そうだ、と呟いた。
「ななし殿、ちょっと寄り道して行かないかい?」
「寄り道…?いいですけど、どこに行くつもりですか?」
「行けばわかるよ。付いてきてね」
馬を走らせた満寵殿に置いていかれないように慌てて手綱を握った。満寵殿は街を出て山の方へ向かっている。この時間から山にでも行こうとしてるのだろうか。また悪い癖で変な所に行って迷子にならないか不安になりつつも、山に入る前の川辺で止まり、馬から下りた。私も馬から下りて、手綱を引いて満寵殿の横に並んだ。
「ここの川、街から近い割には綺麗なんだ。少し涼んで行こう」
「本当だ。透き通って綺麗ですね。…水も冷たい」
水面に手を入れると、わき水のようにひんやりとしていて、馬を走らせてまた暑くなってきた体が冷やされていく。ここならいいかなと思い馬を水面に近づけたら、物凄い勢いで水を飲み始めた。馬もこの暑い中よく頑張ったね。たてがみを撫でたら嬉しそうに顔を震わせたけど、口元の水も一緒に飛んできた。
「子供の頃、夏になると川で水遊びをしていました。みんなでびしょびしょになって、泥だらけになって、よく親に怒られてましたよ」
「怒られる程汚れてきたのかい?本当に活発だったんだね」
「子供はみんなそういうものじゃないですかね」
もちろん幼馴染の女官も一緒になって泥だらけになった。あの子は母親に特に怒られてたけど、けろっとしていてまた次の日も川に入って遊んでいたな。当時が懐かしくなってきたのと暑いのとで、ちょっとだけ川に入りたくなってきた。足だけでも…。上官の前で素足をさらすのは失礼かなとか、女としてはしたないかな、と考えがめぐったけど、満寵殿はきっとそんなこと気にしないだろうと思って、思い切って聞いてみた。
「満寵殿、足だけつけてもいいですか?」
「気持ち良さそうだね。転ばないように気を付けるんだよ」
「子供扱いしないで下さいよ」
言葉ではそう言いつつも、やってることは子供と同じだなと思った。靴を脱いで膝まで裾を捲り、川へ入った。意外と川の流れが早くて、足を取られないよう注意する。
「満寵殿、気持ちいいですよ!満寵殿もどうですか?」
「そうだな、私も童心に戻って少しだけ入ってみようかな」
川辺にあった丁度いい石に座って、満寵殿が靴を脱ぐのを待つ。将軍とその部下が川遊びだなんて、なんて平和な時間なんだろうか。満寵殿が川に足を入れた時に立ち上がった。その時、足元にいた生き物に気付かず、急に動き出したそれに驚いて体勢を崩してしまった。
「う、わっ…」
「危ない!」
前につんのめり、そのまま水面に突っ込むかと思った時、満寵殿がばしゃばしゃと走って前から手を伸ばして受け止めてくれた。足がつっかえて踏ん張れなかった私はそのまま満寵殿の胸に思い切り突っ込んだ。
「す、すみません!」
「大丈夫かい?」
「大丈夫です!すみません、ありがとうございました」
満寵殿の胸に付いていた手に力を入れて急いで離れる。川の中で転びそうになったことと満寵殿のお手を煩わせてしまったこと、更に満寵殿に抱き付くような形で飛び込んでしまった色々な恥ずかしさで顔が熱くなってきた。
「転ばないように気を付けるんだよって言ったのに」
「まさか足元に生き物がいたとは気付かず…お恥ずかしいです…」
「怪我はしていないかい?」
「はい、お陰様で。満寵殿、足元が濡れてしまいましたね…」
「ああ、これくらい平気だよ。この暑さですぐに乾くだろう」
靴を脱いだばかりでまだ裾を上げてなかったのに走ってきてくれたから、満寵殿の足元はずぶ濡れになってしまった。持っている布では拭き取れないくらい水を含んでしまっている。
「散歩中に通り雨にやられた時の泥に比べればこれくらいね」
「ああ、あれは確かに酷いですけど」
「だから平気さ」
そうは言っても自分のせいでこうなってしまったことに罪悪感を感じているんだけど。本人は本当に気にしていないようで、何がいたんだろうね、などと言いながら水中を覗いている。
足元を流れる水は冷たいのに、一度熱くなってしまった顔の熱はまだ引かない。傾きかけた西日のせい、そう言い聞かせて水面を蹴り上げた。
20190809