兵士に襲われそうになっていた所を満寵に助けられる話
目を覚ました時、強い頭の痛みと気持ち悪さで体を動かせず、暫くの間ぼーっと天井を見上げていた。どうして自分が寝台に寝かされているのかもわからない。思い出そうにも頭が酷く痛んで何も考えられなかった。扉の方で誰かが話しているのが聞こえたから、首を少しだけ動かしてそっちを見ると、満寵殿の後ろ姿と、僅かな隙間から荀ケ殿の顔が見えた。今日も綺麗なお顔だなとそんなことしか考えられずに暫く見ていたら、荀ケ殿と目が合ってしまった。反らさなきゃと思い、頭を動かそうとしたけどそれよりも早く荀ケ殿が驚いた顔で私の名前を呼んだ。
「ななし殿!目を覚まされたのですか!」
「え?」
その声に驚くよりも先に満寵殿が反応して、荀ケ殿を差し置いてこちらへ走ってきた。
「ななし殿、無事かい!?」
「頭が…酷く痛みます…」
満寵殿や荀ケ殿の前だからせめて体を起こそうと思ったけど、体に力が入らなくて頭の痛みを訴えた。徐々に感覚が戻ってきたおかげで、頭に布が巻かれているのはわかった。どこかで足を滑らせて頭でも打ったのだろうか。そんな理由だったら恥ずかしすぎて立ち直れる気がしない。
「そうだと思うよ。他に何かおかしい所は?」
「いや、特に…。少しだけ気持ち悪い気もします」
「私が誰だかわかるかい?」
「何言ってるんですか、満寵殿」
変な質問をするなと思ったけど、満寵殿の心底安堵した顔を見てよほど大変なことでも起こったのかと心配になる。意識を飛ばすほど豪快に階段から転げ落ちたとか…。
「ななし殿、丸二日間寝ていたのですよ」
「二日…?そんなに豪快に頭でも打ったのですか…?」
「当時の事を覚えてませんか?」
「あまり…」
いつの間にか荀ケ殿も部屋に入って来ていて、満寵殿に代わって話を進めてくれた。まさか二日間も寝たきりだったのは予想外だった。だから荀ケ殿と目が合ったときにあんなに驚かれたのかと合点がいくし、満寵殿の様子にも納得がいく。
「あの、何があったのですか…?」
「それは、」
「今は目を覚ましたばかりだから、詳しい話はもう少し休んでからにしよう」
荀ケ殿の言葉を遮るように満寵殿が答えた。話を聞くくらいなら全然大丈夫なのにと思っていたら、ふと満寵殿の髪と簪に目がいった。そっと手を伸ばして触れてみる。それは乾いてしまっていたけど、指で擦るとぱらぱらと赤い塊になって落ちてきた。
「何かついていますよ。…血……?」
その瞬間、満寵殿と荀ケ殿の空気が張りつめた。明らかに先程までとは違う空気になった。何か聞いてはいけない事、触れてはいけない事に触れてしまったのだろう。そして確実に私の頭の痛みと関わりがあるに違いない。もう一度満寵殿に聞くことにした。
「何かあったんですね…?」
満寵殿はため息をつくと、まず荀ケ殿に向き合い、こう言った。
「荀ケ度、申し訳ないんだけど少しだけ席を外してもらえるかな。二人で話がしたいんだ」
「かしこまりました。あまり無理はしないで下さいね」
荀ケ殿は頭を下げて部屋を出ていった。会釈したかったけど、寝ているから何もできずに見えなくなるまで荀ケ殿の背中を見送った。せめて体だけでも起こそうと上半身に力を入れたら、満寵殿が肩の辺りを押さえた。
「そのままでいいから、安静にしてるんだ」
「はぁ…。私そんなに重症なんですか?」
「ななし殿が思っているよりもずっとね」
満寵殿は私の側に腰を下ろすと、ようやく何があったのか話し始めた。
「ななし殿は敵に内通していた兵に人質として連れて行かれそうになっていたんだ」
「え?」
「頭の怪我はその時に兵から強打されたものだよ」
「あ…」
満寵殿に言われて少しだけ記憶が戻ってきた。そういえば兵に名前を呼ばれたのを最後に記憶が途切れている。その時の事を思い出そうとしたら、また頭がずきずきと痛んだ。
「これは本当に偶然だったんだけど、荀ケ殿といる時に荷台に乗せられていたななし殿を見つけて助けられたんだ」
「満寵殿と荀ケ殿が…」
「兵二人だけで荷台で何かを運んでいるのは不自然だったからこれは何かと聞いてみたんだ。そしたら病死していた死体の処理をしていると返ってきてね。その言葉だけなら合点はいったんだけど、明らかに兵の挙動がおかしかったから後を追おうとしたんだ。その時に荷台が石に引っ掛かって、傾いた時に人の腕が出てきたんだ。病死した死体には見えない健康そうな腕がね」
「それが私だったんですね」
「私が兵を取り押さえて荀ケ殿に確認してもらったら、頭から血を流したななし殿が乗せられていたんだ。まだ何も思い出せないかい?」
「あまり話したことのない兵に話しかけられたのを思い出しました。そこで記憶が途切れてますが…」
満寵殿に頼まれた調べ物をするのに書庫へ向かう途中だった気がする。兵に話しかけられるのはよくあることだし、特に気にも止めずにいたけど、まさか内通者に目を付けられていたとは思わなかった。兵だからとあまり気にしていなかったのが裏目に出てしまったのか。
「今回の件は首謀者がいて、その指示でななし殿を襲うよう兵が動いたらしいんだ。腕のある副官を手土産に裏切ろうとしたみたいだね」
「私に付け入る隙があったから目を付けられてしまったんですね…。兵だからと気を抜いていました」
「話によるとななし殿に話しかけた瞬間にもう一人が後ろから頭を殴って気絶させたそうだから、気を抜くも何もないよ。気絶させた時に毒も飲ませたらしいから、意識も全然戻らなかったんだと思う」
「毒…ですか」
「うん。幸いにも気を失っていたおかげで上手く飲み込めなかったみたいだからあまり毒は回らなかったようだね」
「この気持ち悪さは毒のせいもあるんですね」
「そうだね」
いくらすぐに襲われていたとしても、やっぱり自分の不甲斐なさに落ち込むと同時に、満寵殿と荀ケ殿が見つけてくれていなかったらどうなっていたのか考えるとぞっとする。冷たくなっていた指先を握りしめた。
「満寵殿、本当にありがとうございました」
「礼には及ばないよ。無事で何よりだ。それに今回のおかげでまだまだ内部にも不安要素があるってわかったからね」
「袁紹との戦い以降大分安定してきたと思いましたけど、まだまだだったんですね」
「今回の件は首謀者がそれなりに名のある人物だったから事が大きくなっているんだけど、似たような事を考えているのは少なからずいると思うよ。注意しておかないと取り返しのつかないことになるね」
「首謀者って誰だったんですか?」
満寵殿の口から出てきた人物の名前は私もよく知る人物で、よく話したことのある文官だった。寧ろ数日前も普通に話していたけど、その時にはこの計画があったのだろう。文官にしては感じの良い笑顔で接してくれていたけど、裏では何を考えているかわからない。いや、感じが良いと思っている時点で相手の手中に落ちていたのかもしれないと思うと、悲しさと同時に悔しさも込み上げてくる。布団をぎゅっと握ったら、その上に満寵殿の手が重なった。
「話を聞いてもまだ当時の事を思い出せないかい?」
「うっすらとは思い出してきましたけど、満寵殿が話した事を聞いてそういえばそうだったなって思う程度です」
「そっか」
「お役に立てずすみません」
「いや、それならいいんだ。ななし殿は何も悪くないよ」
何か思い出せることがあるか思い返してみたけど、すぐに気を失ってしまったせいか話しかけられた事しか思い出せない。話しかけてきた兵の顔をうっすらと覚えているくらいだ。それにしても満寵殿の様子に少しだけ違和感を感じる。気を失っていた私にあれこれ聞くよりも、満寵殿が本人に聞いた話の方が詳しいんじゃないかと。多分だけど満寵殿の髪に付いていた血は兵か文官から話を割る時に付いた物だと思う。私はまだ同行させてもらえないけど、満寵殿の取り調べは容赦ないと誰かから聞いたことがある。そんな拷問を受けた人が話を割らないわけがないから、きっと私よりも詳しいことを知っているはずなのに。重ねられた手に視線を落として、疑問を投げ掛けた。
「満寵殿、まだ私に話してない事あったりしますか…?」
「どうしてそう思うんだい?」
「私よりも詳しい事を知っていそうなのに、やたらと当時の事を聞いてくるので」
「そうだな…。うん、ななし殿は鋭いね」
少し困った表情で悩んだ後、満寵殿は言い辛そうに口を開いた。
「実は、荷台に乗せられていたななし殿は服をほとんど脱がされた状態だったんだ」
「え…」
反射的に自分の服を確認したけど、満寵殿の屋敷に助け出されて二日も眠っていたからしっかりと新しい服は着せられていた。
「兵に問いただしたら服を脱がせただけでそれ以上の事はしていないとの一点張りだったんだけど、それが本当なのか確認する術はないからね。だからと言ってななし殿に直接聞ける事でもなかったから」
「大丈夫だと思いますが…多分…」
記憶にはないけど、身体の感覚的に何事もなかったと思う。そういう経験がないから何とも言えないけど、そう信じたい。だけど、満寵殿に話を聞いてから手の震えが止まらなくなってきた。まだ重ねられたままの満寵殿の手がゆっくりと擦ってくれた。
「…前にも似たようなことがあったんです」
「うん」
「戦中でした。陣で見張り中に、仲間の兵達に引っ張られて…」
当時の記憶が甦ってきて、泣きそうになった目元をもう片方の腕で隠した。その間も満寵殿が手を握っていてくれたから、何とか安静を保てている。
「その時はたまたま近くを通りかかった甄姫様に助けて頂けて大事にはならなかったんですが…」
「実を言うと少しだけ知っているんだ。ななし殿を副官にする時に気にかけて欲しいと言われていてね。その時に助けたのが甄姫殿だったというのは知らなかったけど」
私の話がどこまで知られているのか不安だったけど、やっぱり満寵殿にも伝わっていたのか。あまり知られてほしくなかった反面、気にかけてくれていたという優しさに触れてまた泣きそうになった。
「油断しないように常に気を付けていましたけど、どんなに気を付けていても男には力では敵わないから、いっその事戦いの場から身を引いた方がいいんじゃないかって考えた事もあります。だけど私が国の為にできることってこれくらいしかないから…」
「戦う事だけが国の為とは限らないし、ななし殿はそれ以外の事でも国の為に力を発揮できると思うよ」
「そう…ですかね」
「でも、ななし殿が戦場で力を発揮したいなら、私は全力で支えるつもりだよ。だからななし殿の好きなようにやるといい」
目元を覆った腕はずらさないまま、こくりと頷いた。今腕を外したら涙が止まらなくて酷い顔を晒してしまいそうだ。今までずっと耐えてきた事が認められたような気がしたのと同時に、この人に付いていけてよかったと思った。国の為にという気持ちは勿論だけど、この人の為に働きたい、この人の側にずっといたいと、そう思った。
20200321