満寵に告白される話


 外の用事を終わらせた後、溜まっていたものを少しだけ片付けようと思って執務室に戻った。外も暗かったしもう誰もいないだろうと思いながら扉に手をかけたら、力を入れる前に開いて変な声が出てしまった。

「ななし殿か。お帰り」
「満寵殿…まだいたんですね…」
「もう帰るところだよ」
「そうですか。お疲れ様でした」

 どきどきうるさい胸を押さえて深呼吸をする。完全に油断していたから本当に驚いた。頭を下げて挨拶を済ませてから中に入ろうとしたら、満寵殿が口を開いた。

「ななし殿、これから空いてるかい?」
「あー、一応」
「もしかしてこれから仕事しようとしていた?」
「そのつもりで戻ってきましたけど、急ぎじゃないので大丈夫です」
「よかった。そしたらちょっと付き合ってくれないかな」
「いいですよ。ここですか?それとも街に出ますか?」
「いや、私の屋敷に来てほしい」
「わかりました」

 城内にいる時はここか私の部屋で飲むことが殆どなのにあえて満寵殿の屋敷なんて珍しい。よほど良い酒でも入ったんだろうか。仄かな期待を込めて満寵殿のあとを追った。


 今日の仕事の報告は屋敷に向かうまでに終わらせたから、飲む時の話題は雑談になった。満寵殿の考えた新しい計略について吟味したり、街で話した民の話をしたりといつもの様に色んなことを話した。今は将達の面白い話をしている。今朝の軍議が始まる前、殿が荀攸殿を驚かせようとして、賈詡殿だと勘違いした荀攸殿が怒って振り返ったら殿がいて凄く慌ててたという話をしてくれてお腹がよじれる程笑った。殿も意外と悪戯好きな所はあるけれど、後ろから驚かすのは賈詡殿の特権だから。殿もそれをわかったうえであえて賈詡殿の仕業に見せようとしたんだろう。

「その時の荀攸殿の焦った顔は凄かったよ。戦場でも見たことがないような顔だった」
「私もその場にいたかったです」

 笑いすぎて出てきた涙を拭う。私だって満寵殿の仕業だと思っていつもみたいに振り向いて殿がいたら驚きすぎて固まるに違いない。謝罪の言葉もすぐに出てこないくらい頭が真っ白になるだろう。殿の悪戯の被害者にはなりたくないなと思いながら杯の酒をあけた。
 満寵殿が酒を注ぎながら話変わるけど、と言ったから、次は何の話をしてくれるのだろうと見ていたら、目が合った。

「私はななし殿のことが好きだよ」
「え」

 びっくりして注いでもらったばかりの杯を落としてしまった。料理の上に酒がこぼれてしまったけど、そんな事を気にしている余裕はなかった。満寵殿の言った意味がわからなくて頭の中が真っ白になる。正確に言うと満寵殿の言った言葉の意味は理解できている。だからこそ意味がわからなかった。

「大丈夫かい?」
「いえ…」

 内心大丈夫なわけないだろうと叫びたかったけど、混乱した頭では言葉が出てこなかった。動揺で覚束ない手付きで杯を退け、机にこぼれた酒を布で拭こうとしたら、そっと上から満寵殿の手が被さった。反射的に手を引こうとしたけど、ぐっと掴まれたから引けなかった。そしてそのまま満寵殿が隣にやって来た。

「とりあえず離してもらえませんか…?」
「離したらななし殿は逃げるだろう」

 沈黙に耐えかねて聞いてみたけど、すぐに却下されてしまった。わかってた。あれから何度か手を引いてみたけど、全然離してくれなかったから。今なら酒が入っているからと冗談を言えるけど、時間が経つとその冗談も使えなくなる。目を合わせないように次の手を打った。

「満寵殿、久々にたくさん飲んで酔いましたか?」
「至って冷静だよ。それにななし殿は私が酔ったところを今まで見たことがあるかい?」
「…ないです」

 愚問だった。満寵殿の酒の強さは私が一番わかっている。最初の頃はこの人はどれくらい飲んだら酔うのだろうと積極的に酒を注いでいたけど、水の様に飲むし酔う様子も全く見られずこの人は底なしだと悟って諦めた。だから今日飲んだ程度の酒で酔うわけがないのだ。

「もう終わりかい?」

 次にどう切り出すか悩んでいるのを見抜かれているのか、楽しそうな声だった。笑いを耐えているようで肩口が震えている。
 満寵殿は離してくれないだろうなとわかり、諦めるしかなかった。
ぼけた聞き方はもう思い付かず、疑問に思ったことを聞くことにした。目はまだ合わせられそうになかったから、顔を下げたまま口を開く。

「それは副官として認めてくれているからそう言って頂けるのでしょうか…?」
「勿論それもあるけど、それ以上に女性として好いているよ」

 改めてはっきりと言われて顔が熱くなってきた。顔を隠したかったけど、満寵殿が手を離してくれないからどうにもできない。一度静かに深呼吸をした。

「つまり、嫁に来いということですか…?」
「そこが難しい問題なんだよね。ななし殿が嫁になってくれるのはとても嬉しいけど、副官としてのななし殿も手放したくないんだ」
「欲張るのはよくないですよ…」

 ずっと満寵殿との距離をごまかしてきたけれど、もう潮時のようだった。満寵殿に限ってそれはないだろうという気持ちと、もしかして…という気持ち。その時はただの自惚れだったかもしれないけど、正直言うともしかして、と思う場面は何度もあった。思い返すとたくさん出てくる。だけど上官と副官という関係性を守るために、周りの噂通りにならないために、知らないふりをして距離を保ってきていた。それに、もしかしてが本当だったら、満寵殿もきっと同じことを考えていたと思う。本気になれば満寵殿の立場だったら命一つで私をどうとでもできたし、手篭めにする機会は数え切れない程あった。だけど今までそうしなかったのは、満寵殿もきっと私との関係性を考えて今までずっと手を出さなかったんだと思う。そう思いたい。
 満寵殿は言葉を続けるわけでもなく、私の手を握ったままだ。満寵殿が嫁に来いと言うなら断ることなんて出来ないんだからすぐに話がつくだろうに、このような言い方をされたらどうすればいいのか困ってしまう。
ずっと戦場で満寵殿を支えますと言えたら副官として最良の答え方なんだろうけど、今の私にはそう言い切る勇気がない。言葉に困っていたら、満寵殿の手がすっと伸びてきて、そのまま頬に触れた。

「返事が欲しいわけではないんだ。国の為に働きたいというななし殿の気持ちも尊重したいから。ただ、私がななし殿をどう思っているのかちゃんと知ってほしかった。前にななし殿はこう言ったよね。ご両親に言われたからという気持ちでいるなら嫌だと。決してそんな事はないよ。あの時だって私がそうしたいと思ったから手を伸ばしたんだ。こうして触れたいとずっと思っていたよ」

 何度か顔に触れられたことはあったけど、こんなに熱く感じるのは初めてだ。だけど頬をなぞる指が心地よくて、目を閉じた。この心地よさをずっと感じていたいと思った時、前に満寵殿に言われた言葉を思い出した。落ち込んでいた時、身近にいる将が私に非があるように言ったのかと。その時はもちろん親しい将達はそんな事を言っていなかった。今もそうだ。噂にされからかわれることはあっても、非難した人はいただろうか。女官や兵にはいるかもしれないけど、親しい将達に咎められたことなど一度もなかった。それにこの事はついこの間曹休殿が言葉にしてくれたことでもあった。

「曹休殿に言われたんです。上官と副官だからと言って特別な感情を持ったらだめという事はないだろう。もっと自分の気持ちに素直になったらどうだって」
「うん」
「もっと、素直になってもいいんですか…?」
「だってそれがななし殿の取り柄だろう?」

 曹休殿と同じ事を言われて笑ってしまった。薄々気付いていたけど、気持ちを抑えるのは私には向いていないみたいだ。こうして周りがいいと言っているんだから、これからはもっと素直に生きてもいいのかもしれない。寄りかかるように少しだけ体を寄せてみたら、優しく抱き止めてくれた。


20200707

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