満寵とたくさん酒を飲む話
今日はお客様が来るらしく、朝から満寵殿は対応するとかで屋敷に籠もっていた。ただ、昼までには終わるだろうから、その後に城で執務を行うと言っていたのに、中々城に姿を現さない。長引いているだけと思えばそうなのかもしれないけど、何となく嫌な予感がしたから様子を見に屋敷に向かった。
女官に挨拶をして通された応接間には、満寵殿と王淩殿、そして大量の酒瓶が転がっていた。部屋に充満する酒の匂いに顔をしかめる。王淩殿は顔が赤く、酔っている様子だった。だけど満寵殿は顔色を変えず、いつも通りの調子で何かの書物を広げて話しながら王淩殿の杯に酒を注いでいた。その様子で何となく事情を把握した。
満寵殿が執務中にこんなに飲むわけがない。満寵殿はああいう性格だから人から恨みを買うことはあまりないけど、意見が合わず、あまり満寵殿のことを良く思っていない人が何人かいるのは知っていた。直接聞いたわけではなく調練のときに李典殿や兵達の噂話で耳にする程度だったけど、そのうちの一人が王淩殿のような気がする。どうして酒を酌み交わしているのかまではわからなかったけど、あまり穏やかな理由じゃなさそうだ。満寵殿が酒で潰れる心配はまずないけど、何か出来ることがあるかもと思い、声をかけた。
「満寵殿、王淩殿、お楽しみの所失礼します」
「ななし殿じゃないか。どうしたんだい?何か向こうで問題でも?」
「いえ、満寵殿が昼過ぎても執務室に現れなかったので、様子を見に来ました」
「さすがななし殿ですな。女なだけあってそういう気はよく回りますね。満寵殿と怪しい仲だと言うのも納得できる」
満寵殿に声をかけたはずなのに、何故か王淩殿が身を乗り出してきた。それに王淩殿の言葉には私に対しての嫌味しか感じられない。満寵殿の副官だからなのか単に女だからなのかわからないけど、私も王淩殿に良く思われていないのはとてもよくわかった。酔っ払いのくせに、と頭にきたから満寵殿を見たら、目が合い、頷かれた。私はそれを良しの合図だと感じ、満寵殿と王淩殿の間に移動した。
「この酒は王淩殿が用意してくれた物だよ」
「こんなに沢山ご用意して下さったんですね。満寵殿はお酒が強いから、とても喜んでいると思います」
「よかったらななし殿もご一緒にどうですか?女にはもしかしたら強い酒かもしれませんが」
私の目の前に乱暴に杯を置いて酒瓶をちらつかせる王淩殿に、私の中の何かが完全に切れた。杯を取らずに王淩殿から酒瓶をひったくると、酒瓶から直接酒を飲んだ。口が広くて両側から溢れていくのを感じたけど、そんなこと気にならなかった。酒瓶の中の酒を飲み切り、袖で口元を拭いながら王淩殿の目の前に酒瓶を叩きつけた。
「喉が乾いていたのでちょうど良かったです。ありがたく頂戴しました」
出来る限りの笑顔を作り、王淩殿に向き合う。王淩殿の口元が一瞬引きつったのが見えた。大方よく思っていない満寵殿を潰そうとしたけど思うようにうまくいかず、ただの女の私に矛先を向けたかったのだろう。いつもは酒の勝負に関しては否定的な満寵殿だけど、今日はお許しが出た。ならば私がやることは一つだけだ。
机に伏せようとしている王淩殿の肩を支えて杯に酒を注ぐ。王淩殿の持ってきた酒瓶の終わりが見えてきた時に女官に頼んで新しい酒を持ってきてもらった。この酒は郭嘉殿から頂いた物を満寵殿の屋敷に置かせてもらったものだ。郭嘉殿のおすすめだから強い酒に決まっているし、味も保証できる。
「王淩殿、次はこちらのお酒をどうぞ。郭嘉殿のおすすめですから美味しいですよ」
王淩殿は匂いで既にやられてしまったのか、杯を押し返した。その際に酒が溢れてしまった。良い酒なのに勿体ないなと思いながら布で拭き、再度注ぐ。王淩殿がもう飲めないであろうことはわかっているけど、勝負を仕掛けてきたのはあちらの方だ。満寵殿を潰して酒に耽っているとか悪い噂でも流そうとしたのかもしれないけど、満寵殿相手に飲み比べなんて馬鹿げたことを企む暇があったらもっと他のことに集中してほしい。王淩殿は自分の持ってきた酒瓶に手を伸ばしたけど、先に私が取り上げた。
「このお酒は私が頂きますので、こちらのお酒をぜひ」
その時の絶望した顔はなかなかの傑作だなと思ったけど、さすがにそれは性格悪すぎるなと思い、心の中に留めておく。絶望を感じて理性が途切れたのか、座ったまま寝てしまった。何度か肩を揺らしてみたけど、起きる気配は全くない。支えていた手を離すと、そのまま後ろに倒れて大の字になった。私が来るまでにたくさん飲んでいたんだと思うけど、案外早く終わってしまった。郭嘉殿の酒で勝負しようと思っていたのにつまらない。王淩殿の残りの酒を飲もうと思い、大きめの杯に全て注いだ。全く様子の変わらない満寵殿に一つ杯を渡し、もう一度疑問をぶつけた。
「満寵殿、どうしてこうなったんですか?」
「私もよくわからないんだよね。荷台に乗せた大量の酒瓶と共にやってきて、飲もうと言い出したんだよ。普段何も喋らないのに」
「満寵殿の悪い噂でも流そうとしたんでしょうね」
「かもしれないね。王淩殿が私の事を良く思っていないのは知っていたから。でもそれがどうして酒を飲むことに繋がったのか理解できないな」
「満寵殿の酒の強さをあまり知らなかったんじゃないですか?私みたいな女とよく飲んでいるからと酒絡みで仕掛けたのかもしれません」
「まさかななし殿まで巻き込む事態になるとは思っていなかったよ。結構飲んでいたけど大丈夫かい?」
「多少は回ってますけど全然大丈夫ですよ。こんな勝負ふっかけられたら負けられないじゃないですか」
「今日は私がいたからよかったけど、一人でいる時は無理しないようにね。ななし殿はそれなりに強いけど底があるんだから」
「正直満寵殿と飲んでいれば誰にも負ける気はしないですけど」
「郭嘉殿の前では潰れただろう?」
「…そうでした」
嫌な事を思い出してしまった。でもあれは正直数に入れなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。あんな満寵殿並の酒豪と飲み比べるなんて機会、今後絶対にないだろう。そうじゃなくても誰かと飲んでいて万が一潰れることがあったら満寵殿に迷惑がかかってしまうから、気を付けたいとは思う。
「それで、王淩殿はどうしましょうか」
「うーん…そうだなあ…」
床で伸びている王淩殿を見下ろし、二人で考える。ここに置いといても邪魔になるだけだし、かと言って最後まで面倒見るのも癪だし、私は絶対に嫌だ。とりあえず空になった酒瓶を集め、部屋を片付け始める。その時にふと思い立った。
「酒瓶を乗せた荷台に王淩殿ごと乗せて屋敷に送り返すのはどうですか?」
「ああ、そうしようか。王淩殿の付き人も外にいるはずだから」
「ならば早速王淩殿を乗せましょう」
満寵殿と協力して王淩殿を引きずって外にある荷台まで運んだ。荷台に王淩殿を乗せて、その周りに酒瓶を置いた。その光景がとても滑稽だったから、せめてもの情けだと思い、大きめの布で王淩殿を覆った。屋敷の入口まで運び出し、付き人に受け渡したら、大層驚いて凄い声を出していた。王淩殿が潰れてしまったことと頂いた酒は全て飲み終わったことを伝えたら、何故か謝られて逃げるように屋敷を後にした。部屋に戻ると、片付けはほとんど終わっていて、郭嘉殿のお酒だけが机の上に残っていた。
「ななし殿、もしまだ飲めるようならこれも一緒に飲まないかい?」
「え、でも仕事…」
「あれだけ飲んでおいて仕事する気分にならないだろう?」
満寵殿の言う通りだ。こんなほろ酔い気分で城に戻ったところで、仕事の続きに取り掛かる気分ではない。中途半端に終わらせてしまったものばかりだけど、満寵殿がこう言うならお言葉に甘えて続きを楽しもうと思う。腰を下ろしたら、満寵殿は満足そうに笑って杯を差し出した。
「ななし殿、今日あったことはできるだけ内密にしておいてもらえないかな?」
「王淩殿を潰したことですか?それとも王淩殿がここへ来たことですか?」
「どちらもだよ」
「別にいいですけど…」
「不満そうだね」
「満寵殿を辱めようとしたかもしれないのに、何も言わないなんて…」
「王淩殿はそうしようとしたかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。本当の事は本人にしかわからないだろう」
「そうですけど…」
「それに、内部で争った所で何も良いことはないよ。戦うべき敵は他にいるのだから」
満寵殿の言っていることは正しい。けど、それでも不満に思ってしまうのだ。満寵殿がこんな調子だから、これ以上何を言っても意味ないなと思い、郭嘉殿の酒を一気に呷った。強い酒だったことを忘れていて、喉が一気に熱くなった。
あれから王淩殿が満寵殿の元に来ることはなくなったし、通りすがりに王淩殿とばったり会っても挨拶する間もなく避けられるようになった。その後からだろうか、満寵殿は大酒飲みで、その量は軽く一石いくだろうという噂が流れ始めたのは。王淩殿の持ってきたお酒は一石もなかったよなと思ったけど、何だか面白かったから噂はそのままにしておくことにした。
20201014