甄姫から葡萄を貰う話
昨日甄姫様から葡萄を頂いてしまった。葡萄と言えば曹丕殿だし、これも曹丕殿から甄姫様への贈り物だとわかるから最初は頂くのを躊躇ったけど、他にも果物はたくさんあるし美味しい葡萄を味わってほしいと言われ、更に満寵殿と一緒に召し上がって、と言われてしまった為、断りきれずに受け取ってしまったのだ。だから今日空き時間に一緒に食べようと思って持って行ったのに、満寵殿は忙しかったようで一度も執務室に現れなかったし、姿すら見かけなかった。葡萄を食べる為だけに屋敷を訪れるのも何だかなと思ってそのまま持って帰ってきたのだけど、明日会えるだろうか。葡萄がどれだけ日持ちするのかわからないし、触った感じとても瑞々しそうだから、早めに食べた方が良いだろう。明日も満寵殿に会えなかったら、執務室の女官と食べるか、幼馴染を呼び出して一緒に食べよう。そう決めた時に、扉を叩く音がした。夜に訪問者なんて珍しいなと思いながら扉を開けたら、満寵殿だった。
「やあななし殿。ちょっと話さないかい?」
「お疲れ様です。仕事のお話ですか?」
「いや、ななし殿に会いたくなったから来たんだ」
にっこりと微笑む満寵殿に、言葉が詰まってしまった。突然ぶつけられる満寵殿の真っ直ぐな言葉に、嬉しくて恥ずかしくてくすぐったい気持ちになった。部屋に招き入れると、満寵殿はいつもの所に腰を下ろした。急いで酒器と杯、そして甄姫様から頂いた葡萄を用意して机に持っていく。私の部屋で葡萄が出てくるとは思わなかったのだろう、満寵殿は大層驚いた様子だった。
「これは?」
「満寵殿と一緒に召し上がってと甄姫様から頂きました」
「そうだったんだ」
「だから執務室に持っていったんですけど、満寵殿お忙しそうだったから、明日も会えなかったら女官と食べようと思っていたんです」
「ならますます今会いに来てよかったな」
せっかく頂いた物を満寵殿と食べられないのはちょっとだけ寂しかったから、結果としては良かった。葡萄なんて珍しい物、一度だけ何かの宴で食べたきりだ。果物は滅多に食べられない物だから、こんなに食べられるのはとても嬉しい。満寵殿の杯に酒を注ぐと、満寵殿が酒器を取って私の杯に酒を入れてくれた。乾杯をして一気に飲み切る。仕事終わりのこの一杯がたまらなく美味しいのだ。二人して一気に飲み干したから、すぐに酒を注ぎ直した。
「葡萄、食べますか」
「そうだね。ほら、先に食べなよ」
「え、いいんですか?」
「もちろんだよ。だってななし殿が貰った物なんだから」
「ではお言葉に甘えて」
一粒もいで皮を剥く。濃い紫色の皮の下からは半透明で肉厚な実が出てきた。皮を全て剥いて口に入れると、独特な香りが抜けると共に口の中に程よい甘みが広かった。実は大きかったのに、少し噛んだらなくなってしまった。
「凄く美味しいですよ。満寵殿も是非」
「うん、頂くよ」
満寵殿も同じように皮を剥いて口に入れた。そして口を動かした時、がりっという大きな音が響いた。なんの音かと思ったけど、満寵殿が渋い顔をしているから、何かを噛んだのだろう。
「種があったよ」
「そういえば葡萄って種ありましたね…」
口から出てきた茶色い残骸を見て、以前に食べた時の事を思い出す。さっき私が食べた物にはたまたま入っていなかっただけのようだった。種の口当たりが余程悪かったのか、酒で流し込んでいた。
「前に皆が食べていた時、曹操殿が種を飛ばして遊んでいたね」
「そういえばそんなこともありましたね」
私が初めて葡萄を頂いた時の事だ。本当に遠目で見ていただけだったけど、曹操殿の周りは楽しそうだった。こんな事口が裂けても言えないけど、酒が入っているのもあり、子供っぽい事をしているなと眺めていた覚えがある。もちろん悪い意味ではなくて、戦がなくなってこのような平和な日々が続けばいいのにと思っただけ。絶対に誰にも言えない話だ。
それから葡萄を食べ続けたけど、どれも程よい甘さが美味しく、食べる手が止まらなかった。前に食べた時の事を思い出し、ぽつりと言葉をこぼす。
「前に頂いた物は酸っぱかったので、葡萄って甘くない果物だと思ってました」
「私が食べたのはこれくらい甘かったよ」
「葡萄にも個体差があるんですね」
「みかんも甘いのと酸っぱいのがあるからね」
「確かにそうですね」
他の果物にも酸っぱいのや甘いものが存在する。それと同じように葡萄にもそういう違いがあるのだろう。私は今日食べている甘い方が美味しく感じるし、実際に葡萄を食べる手が止まらない。満寵殿よりもたくさん食べてしまい、お皿の上の残骸が大変なことになってきた。そろそろ控えようと考え始めた時、満寵殿が皮を剥きながら口を開いた。
「ななし殿が好きそうな葡萄の話でもしようかな」
「どんな話ですか?」
「葡萄は遥か西の食べ物だけど、そこにはこの葡萄を使った酒があるらしいよ」
「え、この葡萄を使ったお酒ですか?」
「その酒、実は曹操殿や曹丕殿は飲んだことあるらしいんだ」
「こちらにも伝わっているんですか」
「曹丕殿が言っていたから間違いないと思うよ」
葡萄を使った酒なんて想像できないけど、こんなに美味しい物を使っているんだから、美味しい酒に決まっている。できることなら飲んでみたいけど、殿や曹丕殿が飲んでいるということは相当な高級品だろうから、私なんかは見ることも出来ないだろう。それでももし飲む機会を得られたら、その時はまたこうして満寵殿と一緒に飲めたらいいなと思う。
「もし葡萄の酒を飲む機会があったら、その時は一緒に飲もうね」
「え…」
「嫌だった?」
「いえ、違います。今全く同じ事を考えていたので…」
「それならよかった」
満寵殿は満足そうに笑うと、葡萄に手を伸ばした。あれだけあった葡萄はもう残りわずかだ。二人で食べきれるか心配だったけど、この調子ならすぐになくなるだろう。それに満寵殿とゆっくり過ごせたのが何よりも嬉しかった。きっかけを作って下さった甄姫様には朝一でお礼を言いに行こうかな。
20201201