満寵宅の猫を吸う話


 かなり前に満寵殿の屋敷に遊びに来ていた猫は、いつの間にか屋敷の中で飼われるようになっていた。満寵殿も可愛がっているみたいだけど、猫なのに人懐こいから特に女官に人気で屋敷全体で可愛がられているみたいだった。私達が出した城の名前と酒の名前を却下されて女官達に杏と名付けられたその子は、今私の目の前の机で堂々と伸びをしている。存分に伸びをした後、脱力した格好のままちらっと私を見上げた。最初はそんなに見てんじゃないよと言っているのかと思ったけど、暫く目が合ったままだったから、そっとその頬に触れてみた。そしたら杏はすっと目を細めたから、撫でろと言っていたみたいだった。暫く頬と顎の下を撫でた後、お腹の方まで手を伸ばした。猫はお腹を触られるのを嫌がる子が多いけど、杏は堂々と私の手を受け入れている。ふわふわで柔らかい毛と、美味しいものをたくさん食べさせてもらっているのか、そこら辺の野良と比べて肉付きの良いお腹がとても気持ち良い。そこに顔を埋めたら気持ちよさそうだな…。そう一度思ってしまったら、埋めたくてうずうずしてきた。嫌がられたらすぐにどけばいいから、ちょっとだけ。静かに顔を近づけて、そのもふもふにうずめていった。杏は一瞬だけぴくりとしたけど、逃げる様子はなかった。思った通りの柔らかさと温かさで、深呼吸をしてそのぬくもりを噛みしめる。杏からは干したばかりの布団のような、太陽の香りがした。それがあまりにも良い香りだったから、静かに何度も深呼吸を繰り返した。

「ななし殿お待たせ、って。え?これどういう状況なんだい?」

 突然に満寵殿の声がして、慌てて顔を上げた。酒器とつまみの乗った皿を持った満寵殿が不思議そうな顔でこちらを見ている。酒を取って戻ってきた時に私が猫にうずまっていたら驚くに決まっているだろう。

「いや、杏があまりにももふもふで気持ちよさそうだったから…」

 変なことをする奴だと思われたのが恥ずかしくて慌てて口を開いたけど、出てきた言葉はより変態さを帯びていて、余計なことを口走ってしまったなと頭が真っ白になった。一人で慌てている私が余程おかしかったのか、満寵殿は最初は笑うのを耐えていた様子だったけど、酒器と皿を広げる頃には笑い声が漏れていた。

「杏は今日ずっと日向ぼっこをしていたから、良い香りがすると思うよ」
「そうなんですか?」
「うん。私もさっきのななし殿みたいなことをするからわかるよ」
「満寵殿も猫吸うんですか?」
「さっきのは猫を吸うと言うのかい?それならば、たまに吸っているね」

 満寵殿が指を差し出すと、杏は体を起こしてそれに顔を寄せた。小さく鳴きながらすりすりしていて、満寵殿に懐いているのがよくわかる。

「思案に行き詰まった時によく吸っているんだけど、他人から見たらあんな風に見えていたんだね」
「あんな風にって…。私そんなに変でした?」
「変というか、うん…。面白い光景だった」
「それもうほとんど変って言ってますよ…」

 満寵殿は肯定はしなかったけど、ただ笑っていたから認めたようなものだ。笑いながら杯を渡され、そこに酒を注がれた。その酒器を受け取り、満寵殿の杯にも注ぐ。杯を軽く上げてから一気に飲み干す。程よく冷えたお酒がすっと喉を潤して、とても美味しかった。今日も良い酒が手に入ったから飲みに来ないかと屋敷に誘われて来たわけだけど、満寵殿が用意してくれるお酒ははずれがなく、どれも美味しい。満寵殿も一気に飲み干していたから、酒器を手に取ってまた注いだ。並々と注いだ後にその酒器を側に置いたら、杏が体を起こして背中を丸めて縦に伸び始めた。

「ねえ、満寵殿に変って言われちゃったよ」

 杏に顔を寄せたら、杏も顔を近づけてきて、鼻先がちょんとくっついた。冷たい鼻先が触れたから少しだけびっくりしたけど、杏は何も気にしていない様子で顔を洗い始めた。本当に猫は気まぐれで自由な生き物だ。だからこそ、その猫がたまに甘えてくるのがとてつもなくかわいい。杏は人懐こい分よく甘えてくるから、何をしていても手を止めて構ってしまうのだ。手を舐めているところに指を近づけたら、そのままぺろりと舐められた。ざらざらの舌が少し痛かったけど、杏に舐めてもらえたのだからそれくらいは我慢できる。

「ななし殿、すっかり杏の虜だね」
「これだけ可愛かったらこうなりますよ」

 顔を洗い終えた杏がくるりと体勢を変えてお尻をこちらに向けてきた。猫はお尻を撫でられるのが好きという話を聞いたことがあったから、ぽんぽんと撫でたら、満足気にごろごろと喉を鳴らし始めた。存分に撫でた後に手を引いたら、また最初のように大きく伸びをした後、机の上に寝転がった。もう一度そのお腹を吸いたい衝動に駆られたから、そっと顔をうずめた。満寵殿の前だったけど、もう既に見られているから気にせずに杏の柔らかさを堪能する。暫く無言で杏を吸っていたら、また満寵殿の笑い声が聞こえてきた。

「私にはそんな風に甘えてくれないのに」

 笑いながら言っていたけど、ちょっとだけ拗ねているような声色だ。満寵殿と杏は全然違うのに、そんな風に言われても返答に困る。第一杏にするように満寵殿を吸ったらそれこそ本物の変態になってしまいそうだ。だから何も返事をしないで、もう一度大きく杏のお腹を吸った。そうしたら、杏の尻尾がぺしっと頭に当たった。


20210411

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