満寵のピアス跡について話す
執務室での仕事は集中力が続く時は気にならないけど、その集中力が切れた瞬間、全身が痛くなってくる。特に肩の辺りと腰回りの詰まったような感じが酷い。筆を置いて伸びをすると、腰や背中からばきばきという音が鳴った。余程凝り固まっていたみたいで、更に捻ってみたらまたぽきぽきと音が鳴った。集中力が切れ、これだけの身体の痛みを自覚すると、もう仕事に手をつけたくなくなってしまう。喉も乾いてきたし、何か飲みながら休憩をしようと思い、席を立った。その時に満寵殿の方を見てみたら、相変わらず凄い集中力で筆が進んでいる。そういう所は見習いたいなと思いながら執務室を後にして、飲み物を取りに行った。
女官から飲み物をもらい、執務室へと戻る。先程と変わらず筆を進める満寵殿の側に女官に入れてもらったお茶をそっと置いた。そこでようやく竹簡から意識が離れたのか、顔を上げた。
「ああ、お茶を持ってきてくれたんだね。ありがとう」
「いえ、私が飲みたかったのでついでに用意してもらいました」
最近の天候のせいか、風も強くて乾燥も酷く、すぐに喉が乾いてしまい、その影響か喉がいがいがして咳も出てしまうのだ。いつもなら執務終わりのお酒まで我慢できるけど、そのせいでそこまで我慢できず、ここ数日は女官に飲み物を貰いに行っている。女官もこの時間に私が取りに来るとわかっているのか、行ったらすぐにお茶が出てくるからとてもありがたい。満寵殿がお茶の入った陶器に手をつけたから私も自分の机に戻ってお茶を飲もうと顔を向けた時、視界の端に満寵殿の耳元が入ってきた。それだけなら受け流していたけど、耳が視界に入った時、耳朶の部分に小さな穴があることに気づいてしまい、驚きのあまりその右耳に手を伸ばしてしまった。
「満寵殿、耳に装身具用の穴を開けていたのですか!?」
「えっ、急にどうしたんだい?」
私が大声を出したことに驚いたのか、それとも急に耳朶に触れたことに驚いたのか、満寵殿は大きく身を引いて私から距離を取った。
「驚かせてすみません。満寵殿の耳に穴があるのに気付いて、驚きのあまり触れてしまいました…」
「ななし殿から触れてくれるのは凄く嬉しいけど、耳に触れるなんて思ってもいなかったから驚いてしまったよ」
「すみません…」
まさかここまで驚くとは思っていなくて、ちょっとだけ罪悪感に苛まれる。満寵殿は気にしなくていいよと笑っていたけど、罪悪感はすぐには消えなかった。
「耳朶の穴、そんなに気になるかい?」
「気になりますよ!そういうの興味ないと思っていたので」
まず、耳に装身具をつけるということが男の人の中では少数派なのに、その中に満寵殿が入っていることに驚いている。郭嘉殿はつけているけど、それこそ郭嘉殿のような男の人が身につけている印象だったから。今はつけていなくても、穴があるということは昔つけていたということで、その姿を想像してまた不思議な感覚に陥った。
「ははっ。若気の至り、というやつかな」
「今も若いじゃないですか…」
「もっと昔のことだよ」
「そんなに前から開けていたのですか?」
「うん。それに装身具をつけていたのも少しの間だけだったから、穴自体はもう塞がっているんだ」
「そうだったんですね」
確かによく見てみると穴は貫通しているようには見えなくて、傷痕のように残っているだけだった。耳朶の裏側はどうなっているのか気になってまた手を伸ばしそうになったけど、また満寵殿を驚かせてしまいそうだから踏みとどまった。
「ななし殿は開けないのかい?」
「耳の装身具は綺麗なのたくさんありますけど、私はちょっと…」
「穴開けるのが怖い?」
「それもありますが、装身具が何かの拍子に引っかかってそのまま耳朶が引き千切れたらと思うと恐ろしくて開けられません」
「随分と怖いことを想像するんだね」
「いや、考えませんか?」
「うーん、確かにそうなったら痛そうだとは思うけど、装身具をつけている時にそこまで暴れないからなぁ」
「暴れなくても服に引っかかるかもしれないじゃないですか」
「その時は慌てずにゆっくり外せばいいんだよ」
さすがに昔つけていただけあって、満寵殿は私が不安に思っていることに一つ一つ答えていった。満寵殿は私の耳元を見ると、すっと手を伸ばして耳朶に触れた。
「もしななし殿が穴を開けたら、私の使っていた装身具をあげるよ」
「まだ残ってるんですか?」
「探せば出てくると思うよ。多分」
「あの汚い部屋の中探していたら見つかる頃には穴も塞がっちゃいますよ」
「その時は予め別の装身具を贈るから問題ないさ」
さらっと贈り物の話までされてしまったけど、あくまで穴を開けたらの話であって、今の所穴を開ける予定はない。大丈夫という話を聞いていてもやっぱり怖いものは怖いから。
「もしななし殿が穴を開けたくなったら、その時は私が開けてあげるよ」
「え?満寵殿そんな技術あるんですか?」
「意外と簡単だよ。耳朶を冷やして、そこに消毒した針を躊躇いなく突き刺すんだ」
「確かに簡単そうですけど、とても痛そうですよ…」
「冷やしているから大丈夫。それに戦場で受ける傷に比べたら全然だよ」
「確かに斬り傷や矢の傷に比べたら痛くないかもしれませんが…」
「だから大丈夫。開けたくなったらいつでも言ってね」
「まあ、気が向いたら…」
やたら穴を開けたがる満寵殿をやんわりと躱しておいた。それにしてもさっきからずっと私の耳朶をいじっているけど、くすぐったくなってきたからいい加減離してほしい。そっとその腕に触れたけど、満寵殿の指は止まらなかった。
「あの、満寵殿、くすぐったいのでそろそろ離してもらえませんか」
「ああごめんね。ななし殿の耳が柔らかくて気持ちよかったからつい」
ようやく離してもらえたから、自分の机に戻ってゆっくりとお茶を飲むことにした。触られすぎてまだその感覚が抜けない右耳にそっと触れた時、ある事に気付いてしまった。もしかして満寵殿があんなに驚いたのは、くすぐったく感じたせいなのではないかと。もしそうだとしたら、ちょっとかわいい。いつも触れられて驚くのは私の方だから、たまにはこちらから驚かせたいという気持ちもある。満寵殿が油断している頃を狙ってまた耳に触ってみよう。そして驚かれても手を離さないで触り続けてみよう。もしかしたら意外な反応が見られるかもしれない。ささやかな計画を企て始めたら、自然と口元が緩んでしまった。早く満寵殿の反応を見てみたい。満寵殿の隙を狙うようにじっと見ていたら、私のよからぬ企てを察知したのか、訝しげな目を向けられた。
20210504