A自由・主張・晴れ


 ななしを抱えたまま父の元へと戻った私は、何も言われなかったのを良い事に、そのままななしを屋敷へと連れて帰った。街中では何も言われなかったけど、屋敷に着くと父はすぐにななしを私から抱き上げて母に託した。そして私はそのまま腕を引かれて別の部屋へと連れて行かれる。

「あの女の子はお前の知り合いか?」
「いいえ、一度街で見かけた子です」
「大きな怪我をしているわけでもなくて、知り合いでもない。どうして屋敷まで連れて来た?」
「それは……」

 連れて来た経緯を話そうとするが、ここで父の納得しない返答をしたらななしが街に戻されてしまうのではないかと思い、口を紡ぐ。しかし私は自分が間違ったことをしていないと自信があったから、一瞬の間の後にすぐに話し始めた。

「あの子はななしと言います。私が見つけた時にはななしの両親はななしを庇うようにお覆い被さって死んでいました。ななしはずっと泣き叫んでいたようで、私が助け出すと同時に疲れて眠ってしまいました」

 父は声も出さずに真っ直ぐ私の目を見ながら話を聞いている。止められなかったから、そのまま話を続けた。

「一度見かけた時、ななしとその母親はとても幸せそうに暮らしていました。そんな親を目の前で亡くした幼い女の子をその場に残すことなんて私には出来ませんでした。それで、私の屋敷は広いから連れて帰ろうと思ったのです」

 私が話し終えた後、少しだけ沈黙の時間が流れた。ほんの少しだけだったのかもしれないけど、私にとっては何よりも長くて重い時間だった。父は黙ったまま私の肩に手を置いた。先程街でやられたのと同じ感覚だった。

「寵、良く頑張った。お前は一人の幼い命を救ったんだ」

 そのまま父の手が私の頭に伸びると、ぐしゃぐしゃと乱雑に撫でられた。

「あの子をここまで連れてきた理由も、その場に残さなかったことも立派だ」

 厳しい父にあまり褒められたことがなかったから、自分の主張を認められたことがとても嬉しかった。頬が緩み、あまり慣れない感覚に少しだけむず痒い気持ちになり、顔を伏せた。しかし、私は次に続く父の言葉ですぐに顔を上げることになった。

「しかしな、寵。お前はこの先こうして人助けをする度にこの屋敷に人を連れて来るのか?」

 父の言葉にはっとする。それだけで父の言いたいことが伝わってきた。いくらこの屋敷が広いと言っても、助けた人をずっと連れてきたら、いつかはこの屋敷だってその人達で溢れてしまう。私はきゅっと口元を結び、顔を伏せたまま父から目を反らした。

「今日連れてきた子にも両親以外に親戚がいるかもしれない。明日以降、落ち着いたらこの子の家族をすぐに調べよう」
「……もしいなかった場合はななしはどうなるのですか……?」
「あんな年の子を一人で帰すわけにはいかないから、その場合はここで面倒を見よう」
「本当ですか!」
「ただし、その場合はお前がしっかりと責任を持って見守るんだ。わかったな?」
「はい!」

 ななしの親戚が見つかった場合は親戚の元に帰される。ななしにとってもそちらの方が幸せなはずだ。だけど私は残酷にも、ななしの親戚が見つかるかもしれないことよりも、見つからなかった場合にここで一緒に暮らすことの方が嬉しいと感じてしまった。そして数日間ななしを連れて街を探し回ったけど、ななしの親戚らしき人は見当たらなかったため、晴れて満家の一員として迎え入れることになった。


 ななしが屋敷に来てからは新しい発見の毎日だった。ななしは屋敷の中で自由に過ごして良いと言われていたから、毎日のように屋敷の中を駆け回っている。最初の方は目の前で親を亡くした衝撃のせいか暫くの間は一言も発することなく寝台で寝ていたけど、毎日ななしの元に行って話しかけたことで、ななしも少しずつ心を開いてくれた。合間の時間を使ってななしの元を訪れていたから、ほんの少しだけ話して部屋に戻る時もあった。ななしが来てからは空いた時間を全てななしの為に使っていたから、前のように街中を駆け回ることはなくなった。
 私が一番構ってくれると認識したのか、心を開いてからの懐きようは凄かった。弟達の方が年は近いはずなのに、私がいる時は絶対に私にぴったりとくっついて行動しているし、私の行動を真似るようになった。新しく妹が出来たような感覚になり、それがとても嬉しくて、自分の知っていることを少しずつななしに教えることにした。
 ある晴れた日のことだった。先程まで学んだことを頭に入れようと思い、書簡を持ち出して木に登った。ここは最近の私のお気に入りの場所だ。この場所でその日学んだことを復習することが日課になっていた。書簡を広げて声を出しながら文字を追っていたら、下の方から私の名前を呼ぶ声がした。

「はくねい!」

 声だけで誰だかわかったけど、書簡を閉じて下を覗く。予想通り、そこにはななしがいた。頬を真っ赤に染めて笑顔で私を見上げる姿に自然と口元が緩む。

「どうしたんだい?」

 ななしは私の方を指差して何度か跳ねた。「ん?」と聞き返すと、自分の主張が伝わらなかったことにやきもきしたのか、すぐに不機嫌な顔になってもう一度跳ねた。

「ななしもそこにいく!」

 どうやら私のいる場所に行きたいらしい。あまり高さのない木だったのと、踏み台もあったから、途中まで登って来られればあとは引き上げられるだろうと考えた私は、ななしに踏み台を使って途中まで登るように言った。弟達もななし位の時にはこの木に登り始めていたから、大丈夫だろうと思ったのだ。すぐに引き上げられるように前のめりになりながらななしに登り方を指示していたら、ななしが踏み台から木に移った瞬間、ずりっという音が聞こえた。まずいと思った時にはもう遅く、手を伸ばしても何も掴むことなく空を切り、ななしは木から滑り落ちてしまった。少しの沈黙の後、大きな泣き声が響いた。慌てて木から飛び降りてななしを抱き起こすと、こめかみの辺りから血が出ていた。木から滑った時に木のささくれ部分で切ってしまったようだ。ただ、ほとんど高さがなかったことと、落ちた時に踏み台に当たらなかったおかげで他の怪我は見当たらなかった。血が流れてきたから袖口で拭ってみたけど、何回拭いても流れてくる血に段々と不安になる。ななしの泣き声が止まないのも不安な要素を駆り立てていた。きちんと手当てをしないとななしが死んでしまうと思い、抱き上げて女官の元へと走った。女官は血だらけのななしを見て小さな悲鳴を上げたけど、すぐに手当てを始めてくれた。その様子を見守っていたら、女官の騒ぎを聞き立てた母がやってきた。母は私を見るなり、私の頬を叩いた。

「女の子の顔に傷を作るなんて、何てことをしたのですか!」

 母のあまりの形相に、頬を押さえたまま固まった。母がここまで怒る姿を見るのは初めてだ。

「だいたい話は聞きました。どうして木に登るのを止めなかったのですか」
「それは……弟も登れたからななしも登れると思ったのです」
「弟と女の子では体の作りが全然違います!あんな小さな女の子が途中までだとしても一人で登れるわけないでしょう!」

 母の言うことはもっともだ。小さい頃から武芸の訓練をしている弟達と同じ動きをできるわけがない。どうしてそこに気付いてあげられなかったのだろう。

「お父様に責任を持って見守るように言われているでしょう。もう二度とこのような怪我をさせないで下さいね」

 ななしを怪我させてしまい、その手当ての手伝いもできず、母には正論を言われ、今の自分がどれだけ役立たずかを実感し、胸が張り裂けそうになった。


 ななしは手当てを終えると、相当体に負担がかかったのか、暫くの間眠っていた。ななしが目を覚ますまでここにいるつもりだったから、寝台の側でずっとななしの寝顔を見ている。出血量が多くて不安だったけど、傷口自体は小さくて浅かったようだ。頭部は傷が浅くても出血量が多い場所らしい。ただ、もしかしたら傷が残るかもしれないと言われた。幸いなことに前髪で隠れる部分だったから、日常生活に支障はないようだ。それでもななしの顔に傷をつけてしまった事実は絶対に消えない。包帯越しに触れたら、ゆっくりとななしの目が開いた。

「傷、痛むかい?」
「……いたい」
「私が無茶な教え方をしてしまったからこんな怪我をさせてしまだたんだ。本当にごめんね」
「おなかすいた」
「え?」

 ななしは体を起こすと、きょろきょろと辺りを見回した。ご飯を探しているのだろうか。寝台から出ようとしたから、慌てて体を押さえて寝台へと戻す。痛いと言う割には元気そうな姿に少し安堵した。

「もう遅くてご飯は用意できないから、明日たくさん食べようか」

 そう言うとななしは不服そうな顔をしたけど、真っ暗な外を見てごねても無理だと悟ったのか、こくんと頷いた。

「じゃあ、ずっといっしょにいて」

 怪我をして心細くなったのか、変な時間に起きて怖くなったのか、ななしは私の手をぎゅっと握ってきた。

「もちろんだよ」

 頭を撫でながら手を握り返すと、ななしは嬉しそうに笑った。ななしの表情はころころと変わるから見ていて楽しい。今日は辛い顔もさせてしまったけど、私は今のように頬を真っ赤に染めながら笑ったななしの顔が一番好きだ。
 

20220305

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