C桔梗・魂・鎖
私は伯寧の事が好き。家族や兄としてではなくて、一人の男の人として好きだった。これは幼い頃に賊に襲われて助けられた時から思っていることで、年齢を重ねるごとに好きという気持ちは強くなっていった。幼い頃は一緒にいられるだけで幸せだったけど、年齢を重ねて、色々なことを知っていくにつれて一緒にいるだけでは足りなくなっていった。一人の女として見てほしい。私だけを見てほしい。私に触れてほしい。そんな欲がどんどん膨らんでいくけど、伯寧に妹扱いをされる度に私の思いは絶対に伝わらないのだと思い知らされた。ただ辛いだけのこの気持ちに鎖をかけても、伯寧と会う度に解かれてしまう。ずっとそれの繰り返しだった。
伯寧が役人になってから会える回数はとても減ってしまった。年に数回しか会えない。しかも不定期に帰ってくるし、長く滞在する時もあればすぐに帰ってしまう時もある。寂しいけれど、私の年齢では伯寧の侍女として付き従えないから、どうしようもできなかった。考え事をしていたらお皿を洗う手が止まっていたらしく、誰かに顔を覗き込まれる。急に至近距離に現れたその顔は考え事の原因の張本人で、驚きのあまり手に持っていたお皿を落としかけた。
「何か考え事かい?」
「びっくりした……。いつからいたの?」
「さっき来たところだよ。終わったら声をかけようと思ったんだけど、なかなか終わらなかったから先に声をかけてしまったよ」
伯寧はそう言うと、竈の近くに腰掛けた。私も洗い物を再開して、お皿を洗いながら伯寧に今回の滞在期間を聞いた。
「今回はどれくらいいられるの?」
「十日程はいられるよ」
「かなりゆっくりできるね」
「だからななしと何処かへ出掛けようと思って声をかけたんだ」
「本当に?嬉しい!」
「何処か行きたい所はあるかい?」
「馬でどこか遠くに行きたい!」
「わかった。準備をしておくから、洗い物が終わったら厩に来てね」
私は頷き、洗い物の手を早める。お皿の量は多かったけど、伯寧と出掛ける為ならいくらでも頑張れる。さっさと終わらせて身支度を整えて、伯寧の元に行こう。
洗い物と着替えを済ませて髪型も少し変えた私は急いで厩へと向かった。そして伯寧に抱え上げられて馬に乗り、後ろに伯寧が乗った。伯寧に後ろから抱きかかえられている状態だ。伯寧の後ろと前どちらに乗った方が良いのか悩んだ結果、初めて馬に乗るなら伯寧が後ろから支えた方が良いということになったのだ。最初は後ろから抱きしめられてとても緊張したけど、目的地に着く頃には激しい馬の揺れに酔ってしまっていた。
「大丈夫かい?水を飲むと楽になるよ」
「ありがとう……」
伯寧から受け取った水を飲むと少しは落ち着いてきた。それでも胃の不快感と視界の揺れは暫く抜けず、うずくまっていた。一度戻せば楽になると言われたけど、伯寧の前では吐きたくない。動けるようになるまで耐えていたから、かなり時間を無駄にしてしまった。
「折角遠くに連れてきてもらったのにごめんね」
「いや、私の方こそななしが馬に不慣れなのをきちんと考えていなかったのが悪かったよ」
伯寧は悪くない。多分私が大きな揺れに弱いだけ。いつだったか馬車の荷台に乗った時も気分が悪くなった。それでも伯寧と馬に乗って遠くに出掛けたかったから、無茶をしてでもお願いしたのだ。
「少し山の方に来たから、屋敷とは全く違う光景だと思うよ。今日はここでゆっくりして行こう」
「たくさんお話してくれる?」
「ああ、勿論だよ」
伯寧は花がたくさん咲いている所に座ると、ぽんぽんと隣を叩いた。そこに座れということだろう。密着しないよう、一人分の間隔を空けて腰を下ろした。
伯寧から聞く仕事の話は面白い。どんなに難しいことでも、私がわかりやすいように説明してくれる。お陰で屋敷にいるのに官府のことがとても詳しくなっていった。一通り話を聞き終えると、少し沈黙が流れた。伯寧との沈黙は嫌じゃない。次の話題を見つけなきゃ、そろそろ退散しなきゃ、という気持ちにならないから会話がなくても心地良かった。ただ手持ち無沙汰になったから、近くに咲いていた桔梗の花を一本だけ摘んだ。
「その花、何という花なんだろうね」
「桔梗だよ」
「これが桔梗なのかい?根の部分が薬になる」
「そうだよ」
伯寧は私の手から桔梗を取ると、じっくりと観察し始めた。桔梗の根が薬になることは知っていても、その花のことを知らなかったみたいだ。いかにも草花に興味なさそうな所はとても伯寧らしい。
「とても綺麗な花だね」
「伯寧でもそういう事思うんだ」
「積極的に愛でるわけではないけど、人並みには興味があるよ」
「城とか刑具とかにしか興味ないのかと思っていた」
「うん、それは否定できないな」
伯寧の偏った趣味については私は理解できないことが大半だったし、今でこそ理解できるようになったけど、伯寧の興味あるものは子供に聞かせられるような内容のものではなかった。話を聞いていないわけだし、私も特に興味がなかったから、伯寧の趣味をいまだに理解できなくても仕方がない。ただ、伯寧が楽しそうにしているなら何よりだった。
「この花、ななしに似合うんじゃないか」
伯寧は急に私の髪に触れると、髪の結び目に桔梗の花を差し込んだ。髪に触れられた事に加えて、あまりの手際の良さに驚いてしまった。
「思った通りだ。よく似合っているよ」
伯寧の笑顔が眩しくて、照れも相まって目を合わせられなかった。純粋に嬉しかったのに、お礼の言葉が直ぐに出てこなかった。だけど、伯寧は私の心をざわつかせる言葉を続けた。
「花の似合う女の子になるなんて、ななしがこんなに成長したのが少し寂しいな」
「何で?」
「だってななしが大人になったらどこかへ嫁いでしまうだろう。それは兄として喜ぶべきことだけど、私のことが大好きでずっとくっついていたななしがいなくなってしまうのは寂しいよ」
ざわついた心がすっと冷たくなっていくのがわかった。いつもの事だけど、今の言葉で伯寧が私のことを妹としてしか見ていないと充分に思い知らされた。それに伯寧以外の誰かに嫁ぐことが決まったかのような言い方も辛かった。兄妹の様に育ってしまったが故に、伯寧には一人の女として見てもらうこともなく、いずれは満家の一員として知らない誰かの元に嫁ぐことになる未来が悲しかった。この気持ちを誰にも打ち明けたことはなかったけど、最初から伯寧のことが好きだと言い続けていたら未来は変わったのだろうか。否、そんなことをしたらもっと早いうちから引き離されていただろう。伯寧に助けられた時から私は満家の一員で、伯寧の妹なのだ。一族の長男は、それに見合った身分の人が嫁いでくるに違いない。伯寧もいい年だから、そういう話も出てきているだろう。私はそれを妹として祝福しなければいけないのだ。頭ではわかっていても、心は辛くなっていく一方だ。そうなってしまったらいっそのこと命を絶ってしまおうか。心の痛みを感じない魂になって、色んな災いから伯寧を守り続ける存在になる方が私には合っているかもしれない。それか、伯寧との関係を全て断ち切って、ななしという存在を消してしまおうか。伯寧が側にいることで辛い思いをするのなら、側にいなければいいのだから。
私は伯寧の事が好き。家族や兄としてではなくて、一人の男の人として好きだ。ただ好きなだけなのに、こうして楽しく一緒に過ごしているのに、こんなにも辛くて苦しい思いをするのはもう嫌だ。
20220313