Hたなびく・背中・霞む


 荀攸殿と許昌近辺をじっくりと視察していたら、かなりの時間が経ってしまい、城へ引き返そうとする頃にはほとんど日が沈んでしまった。城を出てから何も食べていなかったので、通りがかりにあった料理屋に入ることにした。街から少し外れた所にあるその料理屋は、立地や見た目の寂れた感じからは想像できない賑わいだった。賑わってはいたけど、空いている席があったからそこに座り、目に入った料理を注文する。人の良さそうなご老人一人しか見当たらないが、こんなに賑わっている店を一人で切り盛りしているのだろうか。そうだとしたら物凄いご老人だ。出された茶を飲みながら店内を観察していたら、荀攸殿が口を開いた。

「以前郭嘉殿が、許昌を少し出た所に肉まんが絶品の美味い料理屋があると言っていたんですよ。この賑わい様だと、ここがそうなのかもしれませんね」
「へえ、郭嘉殿がそんなことを。ここは酒もあまりなさそうなのに気に入っているんだ」
「あと、可愛らしい女性がいた、とも言っていました」
「それは郭嘉殿らしいね」

 それを聞き、もう一度店内を見回す。それでも店内には先程のご老人一人しか見当たらなかった。

「あのご老人しか見当たらないけど、郭嘉殿はあの方のことを言っているのかな」
「さあ。俺も話を聞いただけで実際には会ったことがないので」

 確かににこやかで人の良さそうなご老人は郭嘉殿の言う通り可愛らしい女性に見える。ただこう言うのは失礼だけど、郭嘉殿が老人を口説いているのは見たことがないから、違う人物のような気がした。
 他人の料理や店内の様子を観察していたら、先程のご老人が注文したものを運んできた。肉まんは頼んでいなかったから、肉まんも追加で頼むことにした。

「お客さん達、運が良いですね。最後の二個なんですよ」
「肉まんが人気あるという噂は本当なのですね」
「ええ。うちの自慢の看板娘が作る肉まんは本当に美味しくてね。今は明日の分を仕込んでいるからここにはいないんですけど」

 ご老人の話によると、やはりここにはご老人の他にも女性がいるようだ。郭嘉殿の言っていた女性で間違いないだろう。仕込みをしていたから見当たらなかったのか。これだけ賑わっている店の仕込みは二人いてもさぞかし大変だろう。
 一度裏に下がったご老人が蒸籠に入った肉まんを持ってきた。とても大きくて食べごたえのありそうな肉まんだ。手に取り半分に割ると、溢れんばかりの具と共に良い香りが鼻孔をくすぐる。一口食べたら、味の染みた餡が口内に広がった。見た目通り、とても美味しい肉まんだ。これは人気が出るだろう。荀攸殿も美味しかったのか、黙々と食べている。
 この大きな肉まんを見ていると、初めてななしを見かけた時のことを思い出す。母親から貰った肉まんを嬉しそうに頬張っていた。頬と鼻先を真っ赤に染めながら美味しそうに食べている様子が可愛くてずっと眺めていたのを覚えている。あの時はどうして目が離せなかったのかわからなかったけど、あれは可愛くて離せなかったのだと今ならわかる。時が経つごとにななしと過ごした些細な思い出は霞むことが増えていったが、あの時の顔は今でも鮮明に覚えている。家族はもう諦めてしまったようだけど、私はきっとどこかで生きていると、いつかまた出会えると信じている。


 饅頭を食べ終え、窓の外を眺める。沢山食べたから、少しお腹を落ち着かせないとすぐに動けそうにはなかった。何も考えずに暫く外を眺めていたら、若い女性が窓の外を通りかかった。郭嘉殿やご老人の言っていた女性なのだろう。たなびく一つ結びの髪を目で追っていたら、一瞬だけ見えた横顔に何か違和感のようなものを感じた。ここに来たのは初めてなのだから、初めて見かける女性のはずなのに、どこか懐かしさも感じた。その違和感と懐かしさからくる一つの可能性にたどり着いた時、私は大きな音を立てて席を立ち上がった。

「満寵殿!急にどうしたのですか」

 後ろの方で荀攸殿の声がしたけど、それどころではない。ひっくり返した椅子を放置したまま、慌てて店の外へ出て先程の人影を追う。竈へと向かうその背中はやはり見覚えがあった。忘れるはずもない、ずっと探していた背中だ。私はその背中に向かって焦がれ続けた名前を叫んだ。

「ななし!」

 その背中が一瞬だけびくりと震え、動きが止まる。私達の間を流れる空気も止まり、全ての時間が止まったような感覚に襲われた。ななしらしきその女性は声を発することも振り返ることもなく、奥へ向かって走り出した。すぐに後を追い、その腕を掴む。頑なに体を背けていたから、肩を掴んで無理矢理こちらへ向けさせた。顔は下を向いたままだからしっかりとは見えなかったけど、ようやく顔を見ることができた。あれから数年の月日が経っているから随分と大人びた顔つきになっていても、しっかりと面影が残っている。ななしで間違いなかった。


20220330

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