荀攸×カンパリソーダ×ドライな関係


 職場から駅までの間の、1本入った裏道にあるダイニングバーが最近のお気に入りのお店だ。派手すぎない店内で、ご飯は美味しく、お酒は豊富。そして何よりも良いのが、日付を越えても営業していること。どんなに遅くまで残業をしたとしても、ここで美味しいご飯を食べられるという安心感は強い。日付を越える頃に帰宅してもご飯を作る気にはなれず、その時間のスーパーのお惣菜はいいものが残っていない。ならば終電までの時間に美味しいお店で食べた方が良いだろうと自分を甘やかして何度もこの店を訪れている。今日は平日のど真ん中だというのにやけに混んでいて、普段は開放されていないカウンター席に案内された。メニューは大体把握しているから、座ると同時に店員さんにお酒を注文した。つまみはどれも美味しいんだけど、その日食べたいものを気分で選んでいるから写真を見てじっくりと考える。その時、一つ席を空けた隣にカップルが案内された。この時間でもまだお客さんが入ってくるなんて繁盛してるな、と思いながらメニューを見ていたら、頼んでいたサングリアが運ばれてきた。混んでいる割には早く来たなと思い、再度店員さんを引き止めるのは気が引けたからつまみとメインの注文を一気に済ませた。
 スマホをいじりながらサングリアを飲んでいたけど、さっきから隣のカップルの会話や動向が気になって仕方がない。横並びだからじっくりと見ているわけではないけど、男は女の体にベタベタ触っているし、女も満更ではなさそうな声で話している。決して聞き耳を立てているわけではないけど、それなりに大きな声で話しているから会話の内容もしっかりと聞こえてくるのだ。もちろん会話の内容も行動に合ったような会話をしていて、正直聞いていられなかった。外の音を遮断しようと思ってカバンからイヤホンを取り出して適当に音楽を流すと、少しだけマシになった。あとは私が視界に入れないように注意すればいいだけだし、頼んでいたものが来たらさっさと食べてここを出よう。早く来ないかなとそわそわしていたけど、お酒の時と違って料理の方は忙しいようで、最初に頼んだつまみもまだ来ない。これだけ混んでいるから仕方がないけど、もうそろそろサングリアがなくなってしまう。仕方がないから二杯目を頼もうと思い顔を上げたら、ちょうど店員さんと目が合った。だけどその店員さんはお客さんを案内しに来たようで、後ろに男の人がいた。その男の人を見た私は、思わず気の抜けた声を上げてしまった。

「へっ…」
「え?…あ、貴方は」

 隣に案内されたのは、別部署の荀攸さんだった。まさか同僚が隣に案内されるなんて思ってもいなかったから、驚きのあまりに変な顔をしてしまったし、店員さんに追加注文をするタイミングも失った。荀攸さんは少し気まずそうにしながらも、イスを引いて腰を下ろした。

「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です。この時間まで残業ですか?」
「どうしても終わらせたかった事があったので。貴方もですか?」
「はい、昨日定時で帰った分、今日に回しました」

 店員さんが荀攸さんのお冷とおしぼりを持ってきたタイミングで、荀攸さんが注文を始めた。

「ビールを一つ。貴方も何か頼みますか?」
「あっ、頼みます。えっと、サングリアを一つお願いします」

 荀攸さんの気遣いのおかげで無事に飲み物を追加することができた。程なくしてビールとサングリアが運ばれて来て、それと一緒に私が頼んでいたアンチョビキャベツも来た。熱々の鉄板から食欲をそそる音が鳴り、しっかりと炒められたニンニクの香りで空っぽの胃がきゅうっと収縮した。

「折角なので乾杯しましょうか。お疲れ様です」
「はい、お疲れ様です」

 グラスを合わせた後、荀攸さんはビールを一気に半分以上飲み干した。あまりにも良い飲みっぷりに少しだけ笑ってしまった。

「よかったら食べて下さいね」
「すぐに頼むのでいいですよ」
「今日は混んでいるせいか料理はすぐに届かないので、待っていたらお腹空きますよ」
「…では遠慮なく」

 前に積んである取皿を取り、アンチョビキャベツを乗せて荀攸さんに渡す。残りの半分も取皿に乗せて、自分の前に置いた。空腹が限界に近かったから、会話は一旦止めて黙々とアンチョビキャベツを食べる。荀攸さんもお腹が空いていたのか、最初遠慮していた割にはすぐにアンチョビキャベツを平らげていた。

「荀攸さん、このお店によく来るんですか?」
「たまにですよ。知り合いに教えてもらったんですけど、ここは遅くまでやっているので、残業した日に丁度良いんです」
「あ、同じです。私も残業した日はここで食べます。遅くまでやっているの有り難いですよね」
「駅前の松屋にも行くんですけど、毎日あれだとさすがに飽きますから」

 荀攸さんのことはほとんど知らないけど、どちらかというとこういう店にはあまり寄り付かなそうな雰囲気だったから、ここよりも松屋の方が似合っていると思ってしまった。そんな荀攸さんでも食べたくなるようなお店ということにしておこう。
 ここで会話が途切れてしまった。というのも、荀攸さんのことは存在は知っているけど、挨拶以外の会話をしたことがないのだ。別部署ということもあり、お互いしている仕事が直接的に関わるようなものではないから、会話らしい会話をするのはこれが初めてだった。最初は隣のカップルが気になって仕方がなかったけど、荀攸さんが来てくれたことで少しは気が紛れるだろうと思ったのに、結局荀攸さんと話す内容がなくなって沈黙の時間が流れてしまった。その時、隣のカップルの会話が聞こえてきてしまった。ホテルがどうのとか、もっといかがわしい話をしている。声が大きいから嫌でも聞こえてくるのだ。気まずくて荀攸さんの方を見れなかったけど、心なしか荀攸さんの空気が張り詰めたような気がした。その時、空気を読んでくれたのか、店員さんが私の頼んでいたパスタを持ってきた。このタイミングで荀攸さんは食べ物と酒を追加注文し、私もそれに便乗して酒を頼んだ。緊張と気まずさのせいで喉がかわいて、いつもよりも早いペースになってきている。

 あれから私は無言でパスタと酒を交互に飲み食いして、程なくして荀攸さんの頼んでいた物も運ばれてきた。無言で食べる私達の横で、カップルは更に盛り上がっている。これ以上聞きたくなかったから、無理矢理話題を考えて荀攸さんにぶつけてみたけど、酒と隣の会話に脳がやられてしまったのか、今聞くことじゃない質問をしてしまった。

「荀攸さんは今付き合っている人はいるんですか?」

 聞いた後にしまったと思ったけど、すぐに話題を変えるのもあれだと思い、荀攸さんの返事を待つ。

「いませんよ」
「そうですか」
「貴方は?」
「私も、しばらくいないです」
「そうだと思いました」

 荀攸さんの返答に少しだけかちんときてしまった。事実ではあるけど、ほぼ初めて話す人にちょっと失礼じゃないか。それともそれくらい私は女を捨てているように見えるのだろうか。

「気を悪くしたなら謝ります。相手のいる女性がこの時間に一人で飲まないだろうと思っただけですから」
「…そういう女の人もいると思いますけど」
「でも貴方は違いました」
「…仰る通りです」

 何も言い返せなかった。荀攸さんは人の事をよく見ているし、大人しそうに見えて意外とはっきりと言う性格のようだ。かちんときたけれども、もうちょっとだけ荀攸さんのことを知りたいと思った。

「荀攸さんはいつから彼女いないんですか?」
「覚えてませんね。何年か前だったと思います」
「覚えてないくらい前なんですか?」
「過去の恋愛は引きずらないようにしているので」

 相変わらず無表情だけど、少しだけ語尾が強くなったのを感じた。もっと過去のことを掘り下げてみたい。ほぼ初めて話す人なのに、この人に対してどんどん興味がわいてくる。いつの間にか隣のカップルはいなくなっていて、私もパスタを食べ終わったから、ここで先に席を立つのも考えた。時計を見ると、そろそろ終電の時間が近づいている。帰るには良いタイミングだ。だけど隣のカップルの会話に加えて酔いが回ってきている私は荀攸さんに対する興味の方が強くなり、酒を追加注文した。サングリアばっかりだったから、次はカンパリソーダ。さっきインスタを見ている時にたまたま目に入ったカクテル言葉のまとめで目についたカクテルだった。

「まだ飲むんですか?」
「荀攸さんの話をもっと聞きたいので」
「これ以上話せるような面白い話はないですよ」

 運ばれてきたカンパリソーダを受け取り、一口飲んだ。口内にカンパリ独特の苦味が広がり、直後に強い炭酸で爽やかな後味に変わる。ドライな関係、というカクテル言葉が良く似合う味だと思った。荀攸さんは一瞬だけカンパリソーダを見やると、すぐに視線を戻した。荀攸さんはカクテル言葉とは無縁そうな人だけど、もしカクテル言葉を知っている人だったら、今どう思っているのだろう。荀攸さんの次の言葉を期待しながら、グラスのふちを親指でなぞった。

20210724

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