荀ケ×アプリコットフィズ×振り向いて下さい


 憧れの荀ケさんの直属の部下になり、一緒に仕事をするようになってから半年。大きなプロジェクトが終わって、その打ち上げに来ている。仕事後だとゆっくりできないからと、荀ケさんは貴重な休日を割いてくれた。私は荀ケさんとご飯に行けるのならば何時でもよかったから、むしろ休日にゆっくり荀ケさんと過ごせるのが嬉しい。
 プロジェクトを始めたばかりの頃、荀ケさんはあまりお酒を飲まないし、種類もよくわからないと言っていたから、このプロジェクトが成功したら飲みに行きたいですねと返した記憶はある。でもそれは行けたらいいなという私の願望を伝えただけで、まさか実現されるなんて思ってもいなかったから、「打ち上げはどうしましょうか」と言われた時、頭が真っ白になった。言葉の意味を理解できた時、出かかった叫び声を抑えるのに必死で挙動不審になってしまったりもした。そんな様子を見られてもこうして一緒に飲みに来てくれたのだから、荀ケさんには本当に感謝しかない。お店は私が予約しますと伝え、お酒をあまり飲まない荀ケさんも楽しんでもらえるようなダイニングバーを一生懸命探して予約をした。口コミ通り、お洒落な店内と美味しいご飯で、接客も良いお店だった。今はお腹も落ち着いてきたから、荀ケさんの好みに合いそうなカクテルを探している。目の前の棚に並んでいる色々なリキュールのボトルを見ながら、私のわかる範囲で説明をしていった。話を聞いていると、チョコやカルーアみたいな甘ったるいリキュールは好みではなさそうだったから、さっぱりしているものを勧めることにした。

「炭酸で割ると飲みやすくなるんですけど、アプリコットフィズとかどうでしょうか。私も好きなお酒なんですよ」
「アプリコット……杏のお酒ですね。ではそれを飲んでみます」

 バーテンさんに頼もうとしたら、私達の会話が聞こえていたのか、目が合うとすぐに頷いてくれた。手慣れた様子で流れるように作られていくアプリコットフィズを荀ケさんと共に静かに眺める。二人で凝視しているのに、動揺する素振りも見せずにあっという間にアプリコットフィズを作って荀ケさんに差し出すバーテンさんを凄いなと思いながら見ていたら、そのバーテンさんが口を開いた。

「アプリコットフィズのカクテル言葉をご存知で?」
「え?」
「振り向いて下さい、ですよ」

 バーテンさんの突然のその言葉に、私はびくっと体を震わせ、いや、とか、あの、といった意味のわからない言葉を発する不審者になってしまった。バーテンさんは荀ケさんにそう言った後に私の方を見て笑っているけど、わざとなのか天然なのかその笑顔を見るだけでは全く読めなかった。ネームプレートからそのバーテンさんの名前が島さんということしかわからない。ここのバーテンさんはいつもこのようなことをするのだろうか。だとしたらただの上司を連れて来るんじゃなかった。顔も熱くなり、荀ケさんのことを直視できなくて、視界の端の方から様子を見ていたら、荀ケさんはいつも通りの様子のままアプリコットフィズを飲み始めた。

「美味しいお酒ですね」

 私とバーテンさんのどちらに言ったのかわからないけど、とりあえず頭だけぺこぺこと下げた。荀ケさんはグラスをコースターの上に置き、そのまま話を続ける。

「アプリコットフィズのカクテル言葉は知っていました」
「知っていたんですか……?」
「ええ。以前貴方が好きだと言っていた本に出てきたので、それで覚えていました」
「あれ、そうでしたっけ……」

 荀ケさんに好きな本を伝えていたことも、その本にアプリコットフィズのカクテル言葉が載っていたことも全然覚えていない。動揺しているせいなのかもしれないけど、どの本のことを言っているのか検討すらつかない。つまり私は無意識に私の気持ちを代弁した意味をもつカクテルを荀ケさんに勧めていて、荀ケさんはその意味に気付いたということなのだろうか。あまりの恥ずかしさのせいで、顔を上げられなかった。私が黙ったままでいたら、荀ケさんのふっと笑う声が耳に届いた。

「今日はもっと飲みたい気分なので、貴方の好きなカクテルをもっと教えていただけませんか」

 少し顔を上げて荀ケさんを見ると、眩しい笑顔で私を見ていた。すっかり赤くなった顔を隠すように両手で覆う。もう目を合わせられなかったけど、はいと小さく頷いた。


20220116

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